あとがき 



 南極を離れた[青海]とぼくが、ツメに段がつくほど体力を消耗した航海の末、三千キロ北のブエノスアイレスに戻り着き、アフリカやオーストラリアを経て日本に帰ったのは、さらに四年が過ぎた北半球の夏でした。

 ヨットから陸に上がり、町に住み始めると、海とは随分違うことに気づきます。数メートルも上下する船室で転んで怪我することも、頭上から波が襲って海に落ちそうになることも、嵐を心配して人の顔色をうかがうように空を見上げることも、座礁の恐怖に震えて過ごす闇の夜も、もうありません。航海中のぼくは、海という広大な原野の中、天敵に脅えて暮らす小動物のようでした。

 人という生き物は、いつのころから、他の動物に捕食される不安もなく、自然の力に脅えることもなく、日々を送っているのでしょう。天敵も自然の力も恐れず、むしろ忘れ、町という群れの中で安全に暮らすのは、幸せなことかもしれません。でも、そういう生活が続く間に、遠い昔の記憶、もしかすると恐竜か何かに追われていた祖先の時代のこと、自然界で存続するために不可欠な掟や、勇気や、態度や、感性のようなもの、今後の人類にも同様に大切なことを、忘れかけた気がするのです。

 そういう思いを抱くのは、町という住み慣れた世界を、ヨットで飛び出したからかもしれません。ひとりきりで自然の美しさと厳しさの中に生きるうち、感覚がしだいに研ぎ澄まされ、狭い町の常識が地球の常識ではないことを、体のすべての部分で直感したのかもしれません。人工物のない大洋の真ん中を走りながら、強烈なオレンジに燃える太陽や、海面を銀色に光って吹く風が、はるかな太古からあると想うとき、我々の住む現代社会の常識が、四十数億年も続く地球の常識ではないことを、心で直接理解したのかもしれません。

 これらの詳細を語る力は、ぼくにはもちろんありません。おそらく言葉になり得ないもの。肌や筋肉や、もしかすると内臓の一部で感じとる、あるかないかさえ不確かな、言語や記号に変換できない種類のものでしょう。

 とはいえ、長い視点で考えれば、地球に住む人々の運命をも決めることだから、たとえ言葉で表現できなくても、どんなに困難でも、なんとかしてあなたに伝えたい、この実際の物語で少しでも分かってもらいたいのです。



 地球を一周する八年間の単独航海を終え、外敵から守られた安全な町で暮らす今、そんな思いが日増しにつのる一方で、もう一つの思いも、おさえきれないほど心の真ん中に湧くのです。命の保証がなかった航海の日々、冬山のように白く泡立つ嵐の海、南極で衝突した青い氷の恐ろしさ、マストを折って漂流した漆黒の夜、それらは本当に現実だったのかと。――長い長い夢を見ていたようにも思うのです。

 でも、よく考えてみると、ぼくはあのとき、地球という美しい水の星に、自分が本当に生きて存在する現実を、自分自身の両眼と肌、間違いなく全身で鮮烈に感じていた。これだけは疑いようもない気がするのです。

 ならば、あれが現実なら、あの命がけの航海が夢でないなら、平和な町で暮らす今こそ夢に違いない。ぼくはやはり、陸に戻り着けずに別の世界に入ったのかと、不思議な気持ちになるのです。そして、ひょっとすると現実も夢も、生きていることもそうでないことも、結局は区別がないのだと、半ば本気で思いもしたのです。





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