南極を
離れた<青海>が、
その後、どのようなコースで日本まで帰り着いたのか、概略を御説明したいと思います。
南極(①)を去るとき、振り返って撮った写真です。海面には南氷洋のうねりが、少し立ち始めています。 <青海>はついに南極を離れ、嵐で名高いドレーク海峡(①~②)に乗り出し、南米ホーン岬(②)を目指したのです。
ホーン岬の正面です。(撮影は3年前の上陸時) ゴツゴツした荒々しい岩肌が印象的ですね。
ホーン岬から北に100キロほど離れた小港には、この地方の特産品、Centolla(セントージヤ)と呼ばれるカニをとる船が入っていました。彼らと仲良くなり、カニを十数キロもプレゼントしてもらいました。ずいぶん大きなカニでしたから、脚一本か二本で、腹が一杯になるほどでした。
その後、ブエノスアイレス(③)で半年ほど船体整備をした後、<青海>はブラジルのリオデジャネイロ(④)まで北上します。上の写真は、リオデジャネイロの位置するグアナバラ湾入口、植民地時代?の要塞?です。迫力がありますね。
そして<青海>は南米を離れ、南アフリカのケープタウン(⑤)に向け、南大西洋の横断を開始します。日本から北米サンフランシスコまでの太平洋横断が4500マイルほどですから、その7割程度の航程ですね。一月半ほどかかったでしょうか。
南大西洋横断の航海は、南極航海に比べればかなり楽で、たいした嵐にも遭いませんでした。海が穏やかでしたから、釣りをする余裕もあったのです。上の写真は、トローリングの疑似餌に、鳥が食いついた場面です。食べずに、あとで逃がしてやりましたよ!
ケープタウン(⑤)の名物、テーブルマウンテンです。頂上がテーブルのように平らですね。登って、平らな部分を端から端まで歩きました。空気が澄んでいて、素晴しい景色でした。
ケープタウンでは半年以上も、船体整備や修理を行った後、オーストラリアのパース(⑥)に向けて、帆を揚げました。インド洋横断航海です。意外にも、これは4900マイル、太平洋横断よりも長いのです。2か月半ほどの航海でした。
オーストラリアの西海岸、パース(⑥)に着いた直後の写真です。岩壁に着けた<青海>に、麻薬検査のため検査官と犬が訪れました。小さなヨットに犬は慣れていないらしく、船室内で少し暴れたものですから、あとで見ると、犬の毛が床のあちこちに落ちていました。
左上に小さな黄色い信号旗、検疫を要求するQ旗が揚げてあるのに気づくでしょうか。
オーストラリアでも、やはり数々の整備が必要でした。南極に行くために張り付けた金属メッシュをカバーするFRPにも問題が見つかり、サンドブラストで一度はがしてから、再積層を行ないました。
出発準備が整うと、パース(⑥)からシドニー(⑦)に向けて帆を揚げました。ところが、これが長い。なんと、太平洋横断の半分以上もあるのです。オーストラリア大陸のデカさを実感せずにはいられませんでした。
その後、<青海>はオーストラリアを離れ、いよいよ日本に向けて北上を続けます。
赤道の少し手前、ソロモン諸島の風景です。現地の人たちが、小さなボートで移動中のようです。
拡大してみましょう。父親と母親、赤ちゃん一人、小さな子供が3人、どうやら一家のようですね。彼らの日常生活と、我々日本人のそれとは、どれほど違っていることでしょう。さまざまなことを考えてしまいます。
赤道付近の日没です。
オーストラリアから日本までは、南極航海と比べると海が穏やかで、とても楽な航海だったのです。
南極の後に体験した大西洋横断、インド洋横断、そしてオーストラリアから日本までの太平洋航海も、南極やチリ多島海に比べれば、単調で平穏な日々でした。
やはり、困難であった南極やチリ多島海の航海のほうが、生きていることを実感できた、危なくても充実していたと思うのです。通常では得られない体験をしたという、確かな思いがあったのです。
前例がほとんどないため難しく、海が荒れて難儀もしたけれど、チリ多島海や南極に行けて本当によかった。もし、そうでなければ、 <青海>の世界一周航海は、普通の観光旅行と本質的に同じものになっていた気がするのです。
それでは、2017年が皆様にとって、良い年となりますように。
ヨット<青海>より、お祈り申上げます。