余話 5  烈風のマゼラン海峡を行く

マゼラン海峡

この回は、マゼラン海峡の話です。

中学校の社会科で、おそらくマゼラン海峡のことは習っていますが、いったいどこにあるのか、実はヨットを始めるまで知りませんでした。

南極と南米の間かな? と思い込んでいたのです。

マゼラン海峡とは、南米を横切る細い水路であると知ったのは、ヨットの航海記を何冊も読んだ後のことでした。

航海記の愛読者なら、もちろんご存じと思いますが、1898年にヨットで単独世界一周を最初に果たした、ジョシュアスローカムの『スプレイ号航海記』にも、1970年に日本人として初めてヨットで世界一周した栗原景太郎氏の『白鴎号航海記』にも、マゼラン海峡について実に魅力的な記述があるのです。

花崗岩の岩山が幾重にも重なって続くという、生命感の全くない過酷な景色。断崖から吹き下ろすウィリウォウと呼ばれる烈風。スクリューや錨にからみつく大型海藻、そして山々の上に光る氷河。――胸がワクワクするような、素晴らしい冒険航海に違いありません。

「行きたい!」と思いました。その荒涼とした景色を自分も体験してみたい。自力でそこを航海してみたい。 

日本を出て1年8カ月後、<青海>は南緯50°線を通過して、ついにマゼラン海峡に到達しますが、そこは想像もつかない烈風の海でした。

写真左の山影は、南米大陸最南端、フロワード岬です。南米大陸はマゼラン海峡の北岸で終わり、そこから南米南端ホーン岬まで、延々と島々が続くのです。

写真中央の波は、大洋のものほど迫力はありませんが、狭い海峡でこれほどの波が立つとは驚きでした。よく観察すると、頂上では水が踊り、泡立つ水の一部は心に染みるほどの緑色です。盛り上がる波の斜面には、平行線状の風紋までついているのです。

「いくらなんでも、風が強すぎる」と思いました。背後の海面に崩れる波が水煙となり、<青海>をどんどん追い越して行くのです。その光景を目の当たりにして、唖然としたまま何もできず、しばらくデッキに立ちつくすほどでした。

セールは写真のように小さなストームジブを張り、メインセールは降ろし、追い風走行時の安定性を保っています。

このストームジブは通常のストームジブの半分以下、面積わずか2平方メートルの特注品ですが、通常の嵐では小さすぎて何の役にも立ちません。買ったことを後悔したこともあるほどです。でも、本当に風が強いとき、実に頼もしい働きをしてくれました。

しかし、その極小スーパー・ストームジブさえも、ついには怖さのあまり降ろしてしまいます。それでもマストに受ける風だけで、<青海>はどんどん進んで行くのです。この先どうなるか、どこまで風に流されて行くかも分からず、本当に怖かったのです。

「身の毛もよだつ」と言う表現がありますが、そのとき、髪の毛は本当に逆立っていました。(――風で!)

マゼラン海峡でもう一つ特筆すべきは、停泊地の恐ろしさと、その例えようもない美しさです。

海峡の全長は600kmほどもありますし、狭い水路の夜間航行は危険を伴いますから、ヨットは途中で何泊かしなくてはなりません。

しかし、停泊地の入江では、この地方特有の烈風ウィリウォウが吹き荒れ、錨は利かず、ヨットが吹き流される例は少なくありません。

前述の『スプレイ号航海記』には、「2本の錨を引きずったまま羽根のように飛ばされた」とありますし、『白鳳号航海記』には、「それにしても、なぜこうも錨が掻かないのか。2時間、投錨を繰り返す。(中略)ついに投錨をあきらめた」

さらに前号の余話でご紹介したハルロス著『ホーン岬への航海』には、
「あれほど手を尽くしたはずの錨も鎖もまるごと引っ張って、私たちは湾の外へ吹き出され……」とあるのです。

休息の場である入江でさえ、このように少しも油断できない状況ですが、その一方で、停泊の労苦と不安を帳消しにするほど入江の光景は美しく、不思議で、心を強く揺さぶるものでした。

『白鳳後航海記』の最後に、栗原景太郎氏は語っています。

「世界一周の航跡を振り返って、いちばん脳裏に深く刻みこまれているのは、なんといっても、マゼラン海峡、パタゴニア水道の過酷なる景色です」

Bluewater Story 第05回本文も、ぜひお読みください。

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