「その話、なんか変ですよ。どうして、そんな写真に興味あるんです?」
ぼくが電話で聞き返した相手は、東北大学流体科学研究所の小濱教授。エアロトレインという、未来の高速浮上列車を研究している。
「私が理解しているのは、あんたが全く自力で冒険したってこと。スポンサーもつけずにね。今のテレビなんかで見る冒険とは、全然違うよね 」
そうなんだ、あちこちの国で働いて資金を稼ぎながら、ぼくは8年も航海を続けたんだ。
「地球環境のことなんだけど、現代人には手つかずの自然に触れる機会が、ほとんどないでしょ。あんたみたいに手つかずの自然を知って初めてね、汚された自然が分かると思うんだよ」
確かに大海原を一人で渡った。烈風の吹き荒れる南米の秘境も走った。自力で南極大陸にも到達した。普通の人は絶対に体験できない地球をぼくは見た
「ほとんど世界一小さいヨットでね、しかも単独で、あんたが地球上の危険地帯まで見聞したことで、環境問題の根源が見えてきたと思うんだよ」
20年も昔の航海だけど、環境問題の深刻な今こそ世間に知らせたいという。小濱教授の研究するエアロトレインも、環境に負荷を極力かけない、エネルギー自己完結型だ。
「小濱さん、環境問題の根源って、自然に対する人間の考え方や態度ですよね。10年近い世界一周航海で、ぼくは分かったような気がするんで す。たとえばですけど、我々は町という人間の群れの中だけで暮らして、笑ったり、涙を流したり、怒ったり、争ったりして、最後には群れの中で死んでいく。町の外のことなんて、たいして興味がないし、それほど見たいとも思わない。どうでもいいって感じかな。でも、群れの外で 起きてることが、我々の運命を左右すると思うんです」
「だからね、そういう思いを航海の写真や文で皆に伝えてほしいわけ。あんな写真見たら、私じゃなくてもショック受けるよな」
「ただ、こんな話をしても、ぼくのまわりでは誰も分かってくれないし、興味も持ってくれなくて」
「いや、それはまさにノアの箱船でさ、このままでは大変な事が起こるって、ノアが一生懸命言っても、ほとんどの人は聞き耳持たずでね。それと似てると思うんだよな。でも、だからといって、言うのをやめちゃダメなんだよ」
「やらなきゃならないって、ことですよね」
「ところで、あんたはそもそも何が目的で、こんな人生最大の冒険を思い立って、決行したの?」
「ヨットは燃料がかからないから、いいんだよね。それが素晴らしいとこなんだよ。風という自然エネルギーだけで移動できるでしょ。本気になって研究すれば数万トンの大型船だって、風と太陽だけで現在の速度はだせるんだよ。ゼロエミッション、排出物ゼロの移動が可能と、私は思ってるの
そう語る小濱教授が研究する未来の浮上列車、エアロトレインも、風と太陽エネルギーだけで運行するという。彼はエアロトレインの発明者だ。
「私も気が多くて、趣味は飛行機とか、いろいろやったけど、奥が深くてまた戻りたいのはヨットだな。ヨットはミニチュアの宇宙船のようなものだからね」
ぼくが学生のとき、実は小濱さんのヨットに乗っていた。
「そうですよね、大海原にはコンビニやスーパーなんて、あるわけないし、ぼくがヨットの上で食べた食料も水も、ほとんど出港のとき積んできたものばかりでしたよ。外からの補給が期待できない世界、食料と水が切れたら、もうおしまいかもしれないんです。ヨットの上で全てを間に合わせないと、だめなんです。これって、宇宙船とか我々の住む地球と同じですよね。閉じた世界。将来のことも考えて、水も食料も資源も、大切に使わなくてはならない世界ですよね」
「食料についても酸素にしても、自分で絶対に作れない人間がさ、自然界がくれる利息の分だけで生きてきたのに、元本に手をつけ始めて、このままいくと、私の計算では57,000年後に酸素なくなっちゃうんだよ」
国立環境研究所の1999年から2005年までの調査によれば、年間平均4ppmの酸素が減っていたという
「でも、地球環境問題とか人類の未来を本気で心配している人なんて、ぼくのまわりには、ほとんどいないんですけど、小濱さんのとこはどうです?」
「まだまだ圧倒的に少ないけど、いろんな意味で、アウトサイダー的な人生を歩んだり体験してる人たちは、共通してそこに気づいているって感じるんだよな」
「町という人間の群れを出て、外側から見てるということですよね。ヨットに乗って大自然を命がけで旅することも、群れを出る一種の体験って、ぼくは思いますけど」
「いやあ、うちのおふくろ、明治42年生まれなんだけど、あんたと同じこと言ってたよ。私がアメリカの研究所にいたとき、日本から遊びに来てくれたんだけど、車の窓から2時間くらい黙って外の景色見てて、ぽつりと言ったんだよ『日本が勝てるわけないよね、こんな国と戦っても』って」
「結局、相手を知らないまま突き進んで、負けたんですかね。知らないことすら知らなかった。小濱さんのお母さんみたいに少しでもアメリカを見てれば、あんな戦争、きっと起こさなかったですよね。ちょうど、現代人が地球を見ないまま、実感しないまま、知ったつもりで突き進んで、地球環境を破壊している。でも最後に破滅するのは、地球を知らない我々ですよね」
「たとえば幕末に活躍した人ってのは、勝海舟とか高杉晋作とか、外国行って日本の外を知ってきた人、体験して実感してきた人々だったよね」
「その時代に体験しなければならない外は、日本の外だったけど、現代で外っていうのは、人間の群れの外だって、ぼくは思うんです」
「私、若い頃はね、地球上にさ、自分が死ぬときに見たことない場所残ってたらいやだと思ってたよ。うちの祖父なんてね、明治時代に帆船でラッコとりにアラスカまで行ったし、親父の兄貴はイギリス行ってロンドンブリッジのとこで尺八吹いたら、皆がたくさんお金置いてくれたって。昔から海外にあこがれてたんだよな」
「小濱さんとこ、変わってますね」
「ヨットでとんでもないとこ行く、あんたほどじゃないけど」
「でも、日本で変わってると悪いって思われるけど、それは独創的とかユニークってことですよ」
「そうそう、いやね、いろいろ日本の社会ってのはねえ、どこの社会もそうなんだろうけど、ちょっと変わったことしてると、誹謗中傷とかあって。私のやってるエアロトレインだって……」
「幕末に黒船が来たとき、蒸気っていうか、湯気で船が動くって信じられない人がいたみたいに、列車が太陽光と風力だけで浮上して走るって、考えられないかな」
「ところでね、地球環境問題だけじゃなく、人権問題とか、難民を救えとかさ、今の世界には色々問題があるけど、諸悪の根源はね、増えすぎてるってことだよね。最近の人口爆発の原因は産業革命だよね」
「ぼくが南太平洋で見たクラゲの異常発生みたいに、ネズミだって、バッタだって、群れが大きくなると滅んでしまいますよね。人間だって、あまりに増えすぎていますよね」
「いま、年間1億のペースで増えているみたいね。今日の新聞に出てたけど、もう67億5千万だって」
「20年ほど前、ぼくのヨットは人類発祥の地、アフリカに寄港してたんですけど、そのとき50億超したって聞いて驚いたんですよ。さらに20年前、中学校で習った世界の人口は、30億だったんです。こんなに増えたら、土地だって食料だって資源だって、取り合いになって争うのは当然ですよね」
「いずれ人口調整しなくてはならないんだよね、じぁあ日本は何パーセント殺しましょうとか、この国はいくらとか、そんな時代がこないといいけどね」
「もしそうなったら、ヨットで南米のどこかの国まで逃げなくちゃ! いろんな友達いますから」
「仙台の北の岩出山ってとこに、実は土地買って農業始めたんだよ。六反歩の田んぼと一反歩の畑を耕してるんだけど」
髭面の小濱教授は、流体科学研究所勤務だから、もちろん週末だけのことらしい。それにしても、農業、軽飛行機、油絵、そしてぼくが世話になったヨットと、いろんなことに手を出す人だ。
「私、定年近いこの年になって農業やって、そこで初めて体感できたっていうかね。つまり食糧作るって、すごい大変なことなの。米作るってことね。なんでそんな苦労を皆がしなくていいかって、単純な疑問として出てきたわけ。よくよく考えたら結局、石油づけの機械、トラクターとかあるために、数十人を雇っているのと同じ状況で、楽な農業できてんだよな。そこに辿り着いたというかさ」
豊かな現代生活の、根源が見えてきたと言う。
「要するにね、人間の歴史を振り返ったら、こんな楽な生活できるはずがないの。できる裏には、奴隷的な存在があったし、今もあるんだよね。過去にはアメリカの黒人とか、ローマ時代は負けた方の兵隊が奴隷になったり、昔の日本だって農民は奴隷に近かったり。で、現代の奴隷は、燃料をエサとして働いてくれる機械奴隷だよね。人間一人が150ワットの出力と計算して、今の機械を全部評価すると、一人あたり30人の奴隷を使っていることになるわけ」
おかげで余暇が生まれ、快適な生活環境が実現した。と同時に様々な問題も生じていると、小濱教授は語気を強める。
「それで石油燃やして、とんでもない大気汚染とか炭酸ガス放出して、地球環境をダメにしてるわけでしょ。あとね、今は若い人が簡単に人を殺したりするでしょ。あれはまさに体外環境の悪影響が体内精神環境に影響を与えたってことだよね。つまり、苦労しなくて、汗水流さなくて生きられる体外環境を作ってしまったでしょ。その結果、命の価値が見えなくなったの。生きるってことが、どういう事か、分からなくなってるのね。だから、自殺願望や殺人願望に走ってしまうんだよ。あんたの航海みたいに厳しい自然に晒されることで、はじめて健全な精神状況になるはずが、現代生活はそうなってないでしょ」
「人類はもともと、自然の中で危険と戦って、食糧を獲得しながら生きてましたよね。ところがさまざまな技術発展で、その必要性が薄れて、町という大きな群れの中で暮らすようになって、自然から遠ざかったんですよね」
「現代人が病んでいる理由はね、行き着くところ、ダーウインのタイムスケール、これは数万年以上の単位、それと科学技術のタイムスケール、これは数十年や百年単位ね、それらのミスマッチングで生じてしまったんだよ。私たちの体も精神も、まだまだダーウイン時間でしか進化してなくて、昔のままなのに、生活環境は科学技術ですっかり変貌してね、あらゆるところに歪を生み出しているわけだよ」
「ぼくが切実な問題と思うのは、生活環境の変化によって、人間社会の常識も大きく変わったことなんです。かつて人類の群れは広大な自然の中で小さくて、人々の常識は周囲の自然界の常識に近かったと思うんです。でも、巨大な群れで暮らす現代では、かけ離れて……。海をひとりで何か月も旅して、町に着くと、それまで暮らしていた自然界の常識と町の常識のギャップに、よく違和感を感じていたんです。たとえば、〈資源は有限〉てのは、地球の常識ではあっても、現代では町の常識ではないですよね。町の中では金さえ払えば、欲しいものを次々と店から運んでこれる。町の中で資源が足りなくなれば、町の外からどんどん取ってくればいい。科学技術が可能にしてくれますよね。我々はそれに慣れてて、あたかも資源は無限のように感じ、消費して、生活してる。有限なことを頭で理解していても、体で実感していないんです」
「で、結局のところ、どうすればいいの? 21世紀に求められる、環境に負担かけない生き方って、どういう生き方かな? あんたが航海で実感したように、地球は思ったより小さくて、その中でもう人口67億まで増えちゃって、どんどん元本を切り崩す状態で生きているわけでしょ。どうしたらいい?」
「ぼくがまず考えるのは、『欲』ってことなんです。もっとほしいとか、やっと手に入れると次が欲しくなるとか。それがすべての原因かなって。ぼくの航海だって、ホーン岬上陸に成功すると、それで満足すればいいのに欲が出て、さらに困難で危険なことを始めたり。それでどんどんいつまでたっても終わりがなくて、どこかでやめないと命がない。つまりはその、考え方というか、価値観を変えることが大切というか」
「それは……、とても無理だな」
「ヨットとか飛行機やってるとき、私いつも言うんだけど、〈命をアースする〉って。たとえば命の大切さっていうのは、自分が危険な状態で初めて実感するんだけど、群れて住むとそれを感じなくなっちゃうの。大昔は自然と闘いの生活だったけど、今はそうじゃないよね。だから、一見危険なスポーツとかなんかは、すごく大事なんだよ」
小濱教授の言う〈命をアースする〉とは、〈自分の命を地球とつなげる〉、という意味だろうか。
「私、怖い物知らずで、結構危険なスポーツに首つっこむじゃん。ヨットもそうだけど、まあ、あんたとはレベルが全然違うだろうけど。たとえばね、飛行機を操縦してても、このままひょっとして目にゴミが入ったらどうしようって思う。飛行機の場合はもう、目が見えなくなったら、それで終わり。そういう不安を感じるたびにやっぱり、まず自分の命の大切さを感じて、人の命の大切さも感じていくわけ。ヘタすると死ぬってのがね、人間を正常に保つうえで必須の条件なんだよ。なのに、危険なことは一切するなって社会になっていってる」
「そうですよね、ぼくの航海を振り返っても、命に危険が迫る極限状態で、初めて見えてくるものがあったと思うんです」
「あんたが命がけの航海で体得したこと、人類が本来持っている研ぎ澄まされた野性味や感性が大切だってこと、人間が群れて快適安全に住む今でも大昔からの本能や鋭さが必要だってこと。それをなくしたことが、深刻な環境問題の原因でもあるんだよ」
「ぼくが一番大切と思うのは、態度ですよね。自然に対する態度。いくらエコの技術が発達しても、我々が自然界を実感しないというか、自分の命と地球がつながってることに気がつかなければ、環境問題の根本的解決にはならないですよね。でも、町で生まれ育った我々には、それって難しいことで」
「だからね、航海の体験を文や写真で皆に伝えてほしいわけ。あんたの航海記の原稿読んで、『わっ』と思ったんだよな、命をかけて実践してきて、これに気づいたかって」
「でも、ほとんどの人は町の中で暮してて、町の経験しかなくて、ぼくが航海の話をしても分かってもらえないんです。自分の住んでいる世界の外を理解するには、想像力が必要ですよ。遠くを見る目が必要なんです」
「高知の桂浜に立ってる、坂本竜馬の銅像だけど、あいつの目がね、水平線の向こうを見てる気がすごくしてさ。うん、遠くを見ているってかね、私は感じるんだよ、あいつに」
「その時代、彼は日本の外を想像できたと同時に、自分のいる時代の外、未来も想像できたってことですよね」
「そうそう、我々だって、そうじゃなきゃいけない。自分の住んでる町の外、地球を想像できると同時に、自分の住んでる時代の外も想像できなきゃならない。今のままじゃ未来の人達の首をしめていることになるわけだから、こんなことはやっちゃあいけない。生態系の頂点に立つ霊長類としては、やっちゃいけないことを知らないでやっている。何で知らないかというと、あんたが言うように……」
「群れの中しか見えなくなって。町という群れの常識で地球を考えるようになって」
「今の人間社会ってのは、過去からの延長線上をとんでもないマスで突き進んでいるでしょ。これを別の方向に修正するには、100年や200年かかるかもしれないね」
「動物の群れが、崖の縁に向けて突き進んでいるとき、前にいるのが気づいて止まろうとしても、後ろから押されてどんどん落ちてしまうってことかな」
「21世紀はオリンピックとか万博とかノーベル賞とかね、ああゆう種類のはもう価値がない方向で行かないと、だめということなんだけど、世の中はまだまだ……」
「じゃあ、小濱さん、これからは何が本当に大切なんでしょう」
「それはね……、ちょつと宗教的になるかもしれないけど、アダムとイブが聖書の創世記で告げられた言葉、『生めよ増えよ地を満たせ』って、増え過ぎろってことじゃなく、要は生存し続けよと命令されてんだよな。それってミミズとか蛙とか、全部DNAレベルまで下がっていくと、共通してやってんだよね。生きのびるゲーム。生き続けろといってるわけ。なのに、禁断の果実を食べちゃって、生き続けられない環境を自分たちで作っちゃったでしょう。でも、そこん中でも人類が生きのびれるよう、一人一人が真剣に、積極的に努力しなくちゃならない。そういう方向に進んでいくのが、環境危機に直面した我々の使命と思うんだよ」 」
「これまで人々が追い求めてきたのは、金銭や物の豊かさでしたよね。それが最近の日本では、健康とか幸福とか、物欲とは少し違う種類に変わってますよね。でも、小濱さん、その次は何か想像つきますか? その先にあるものが大切だと思うんです。もっと時代が進めば、その先にあるものに、皆が気づいてくるかもしれないって、思うんです」