余話 1  貿易風の流れる海で

pacific sunset

シリーズ初回でお伝えしたかったのは、貿易風帯特有の雰囲気です。


「貿易風? 確か小学校か中学校で習ったよ。常識っ!」


それは赤道付近に吹く風で、帆船時代に貿易船が、この風に乗って走っていたことくらい、もちろん分かったつもりでいたのです。


ところが実際に貿易風帯を航海してみると、そこには思いもしない海があり、思いもしない風が吹き、思いもしない空が広がっていました。


貿易風帯の典型的な景色の一つは、水平線に浮いて並ぶ積雲の姿とも言われます。毎日毎日、朝も昼も晩も、ほとんど景色は変わらず、時間が止まっているような気持ちになりました。平均速度が3ノットという小さな<青海>では、貿易風帯の通過に日数がかかったせいもあるでしょう。


そしてやはり特徴的なのは、風でした。付近に陸地がない大洋上では、貿易風は陸風の日変化を受けません。そのため飽きるほど一定の速度と風向で吹くのです。朝も昼も、昨日も今日も明日も、おそらく100年先も。


大きく誤解していたのは、風の強さです。航海中、台風や低気圧はもちろん警戒しなくてはなりませんが、貿易風はヨットにとって味方の風で優しい風、恐れる必要は全くないと思い込んでいたのです。


ところが意外にも、貿易風は台風に近い風力7に達することも珍しくないようです。実際、北米を出た<青海>が南米チリに向けて南下する際、風力6近い向かい風の中を半月以上も同じタックで走る必要がありました。それは5000キロも離れた南米大陸から吹いてくる、南東貿易風の中でした。


波の高さは、風の強さと吹く距離により決まると言われますが、ほとんど同じ風向の貿易風帯を数千キロも伝わる間に、波とうねりはかなりの高さに成長していたのです。


遠くから、まるで一直線に続く崖のような波浪が、次々と近づいてくるのです。ピッチングが激しくて、コンロで飯もなかなか炊けず、船室の船首部分の食料棚は、バラバラに壊れて材木のようになりました。

 

数日で収まる偏西風帯の嵐と違い、これでは体の休む暇がありません。貿易風帯の航海を楽しく、幸せなものにするには、追い風のコースを選択すべきだったのかもしれません。


とはいえ、貿易風に逆らって南米チリを目指す<青海>が、南緯25度まで南に下ると、ついに貿易風は勢いを弱め、あれほど一定だった風向も、変化に富んだものとなりました。


嵐が来て大波に揺さぶられ、船酔いで一日中ベッドに寝ている生活。凪が来て、揺れない船室で楽しく食事をし、星の光が海面に写り、だが、少しも前進しないことに不安を抱く生活。そんな偏西風帯の暮らしが、やっと戻り始めていたのです。


そのころ<青海>の前方には、イースター島がありました。南緯27度という貿易風帯の外れに位置する、神秘的な巨石文化の島に、できれば上陸したいと思っていたのです。ヨットの旅では、さまざまな体験のチャンスが訪れますが、逃してしまうと一生体験できないことが実に多いものです。


そこで水路誌を調べてみると、「錨泊に適した入江がない。特別な場合を除き、この島に立ち寄ることを避けるよう、強く勧告する」と書かれているではありませんか。
海図を見ても、海岸線は単調で、深い入江はありません。一番近い南米大陸まで3500キロ、ニュージーランドまでは6500キロ以上も離れた孤島です。周囲に風や波を遮るものはありません。


何年か前、日本人夫婦が上陸中に嵐でヨットが流され、飛行機で帰国したという残念な話も聞きました。シングルハンドの<青海>では、なおさらリスクが高いことでしょう。

実はもう一つ、寄港を断念した大きな理由がありました。水路誌を見て始めて知ったのですが、イースター島の北岸では強い磁気異常が観測されていたというのです。もしかするとコンパスが使えず、航海に支障を来すかもしれません。


それにしても、なぜ磁気異常があるのでしょう? そしてあのモアイ像とは無関係なのでしょうか? 過去に落下した巨大な隕石、あるいは宇宙船の残骸が、付近に埋まっているのでしょうか? 

 

Bluewater Story 第1回本文も、ぜひお読みください。


トップページのメニューへ