余話 6  誤算の南極氷海前進

マゼラン海峡


「ヨットで世界一周しました」と言うと、大抵の人は感心してくれます。

「ヨットで太平洋を横断したんです」と言うと、なぜかもっと驚く人もいます。

でも、「ヨットで南極に行ったんです」と言っても、あまり反応がありません。せいぜい「ヨットで南極に行けるんですか?」と聞かれる程度なのです。

太平洋横断より世界一周のほうがもっと困難だったし、それよりも南極航海のほうが数倍も難易度が高かったのに、あまりほめてもらえないのです。

難易度の高さは、前例の少なさでもありました。24フィートという小さなヨットによる南極到達は例がなく、もちろん日本のヨットは大きさによらず一艇もなかったのです。

太平洋横断もそうですが、前例がないとき、挑戦者は通常の何倍もの準備と覚悟を要求されます。

前例がないのですから、途中で何が起こるか分かりません。何が起こるか分からないということは、どんな装備や知識や技術が必要か分からないということです。生還するために、全ての想定可能な危機に対し、装備や技術や知識を出来る限り持たなくてはならず、多くの無駄を強いられます。

そして一番決定的で重要なことは、その冒険が、人間にとって可能なことか不可能なことかさえ、事前に分からないということです。

ところで、<青海>はなぜ南極に行ったのでしょう? 以前に舵誌を読んでいたとき、対談の記事中に、こんな話がありました。

「ヨットで南極まで航海した人いるよね。なんでわざわざあんなとこに行くのか、理解できないよ」詳細は忘れましたが、こんな内容だったと思います。

一般の人達から見ると、われわれヨット乗りは、同じ種類の人間に見えるかもしれません。しかし、ヨットに乗る動機と目的はさまざまです。

あるとき仲間に尋ねてみました。なぜヨットを始めたのかと。その答えは思いもよらないものでした。

「ヨットやってるとカッコいいから始めたんだよ」

衝撃でした。ヨット乗りは皆、大海原に憧れてヨットを始めたと思い込んでいましたから、自分の見識のなさを思い知りました。

スポーツとして、ヨットレースの緊張感を楽しむ人もあるでしょう。大自然の中、自分の力を試すための手段として、大海原を渡る人もあるでしょう。家族の大切な思い出を作ろうと、海外に船出する人々も少なくないでしょう。キャビンで仲間と酒を飲むのが楽しくて、ヨットに通う人もあるでしょう。

なかには、「本物の海を知りたい、大海原を体験したい」と、海に強く憧れて、ヨットを始めた人もいるはずです。<青海>で世界一周しようと決めたのも、そんな思いに駆られたからでした。

日本を出発後に初めて体験したのは、沿岸の海とは全く違う太平洋の海原でした。
次に進んだ貿易風帯の海では、風と雲と太陽と時の流れを肌で感じ、赤道無風帯では微風を拾って平らな海を渡り、南米ではチリ多島海の美しくも過酷な海を知り……。

世界中の海はつながっているのに、とても同じものとは思えないほど、それぞれが個性的で違っていたのです。

<青海>が次の海に進むたび、新しい世界が前に開け、全てが新鮮で、驚きの連続でした。
この先、さらにどんな海を体験できるのでしょう。そこには、どんな景色と驚きがあるのでしょう。期待で胸がワクワクしていたのです。

そして日本を出て約2年後、<青海>が南米ホーン岬を回って太平洋から大西洋に抜け、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに着いたとき、約3000km南には、南極大陸があったのです。

順調に走れば、わずか1カ月ほどの航程です。その白い大陸のまわりには、見たこともない海が広がり、鮮烈な景色と体験が待っているに違いありません。

でも、果たしてヨットで行けるでしょうか? 氷に衝突したり囲まれたりしたら、どうすればよいのでしょう? 

そこでアルゼンチン国立図書館や南極局を訪ね回り、足りない資料は米国に発注し、情報収集を始めたのです。

南極航海が可能か不可能か、行ったきり帰って来られないのか、見当もつきませんでしたが、さらに多くの海、違う海を知るために、ともかく挑戦しようと決めたのです。


Bluewater Story 第06回本文も、ぜひお読みください。

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