-- これは実話です --
31話  嵐の予兆
Neumayer canal
ノイマイヤー(Neumayer)水道北口付近。前方の山々の谷間に、細い水路が続いている。両側には標高700~1500mほどの山々が並び、壮大な景観を見せている。<青海>が通過時、海面には小さなが浮氷が多く、しばしば船首でかき分けて進んだ。

午前5時40分、メルキョー群島に朝日が昇り始めると、氷に包まれた島々の上では浮き雲が、まぶしい銀桃(ぎんもも)色に輝いた。

<青海>を泊めた湾内に風はなく、昨日からの嵐はやんでいた。が、気圧は985ヘクトパスカルと低い。すでに次の嵐が近づいているのかもしれない。

それでも出発してみようと決意して、<青海>を岸につなぐ合計110mのロープを回収すると、6日も滞在したメルキョー群島を後にした。振り返った水面には、走る船体を追う魚、いや、双眼鏡で見るとペンギンたちが跳ねている。

次の目的地は45マイル(約83km)南のドリアン(Dorian)湾だ。小さな<青海>にとって、それは一日の移動距離としては長過ぎる。が、海図を見ても、途中に停泊できそうな入江は見当たらない。次の嵐が来る前に、なんとか到着しなくては。

先を急ぐ<青海>の周りでは、日差しを浴びた島々が、氷河の輝く白と岩肌の黒の、まぶしいほど強烈なコントラストを見せていた。が、それは進行方向だけで、後ろ半分には不吉な雲が広がり、山々に暗くかぶさっていた。その境目は頭上付近で、<青海>と同じ速度で南下しているようだった。ついさっき通った場所はすでに日陰なのに、<青海>は常に日を浴びているのが奇妙だった。

やがて周囲の海面には、青氷山がいくつも姿を現した。部分的に溶ける速度が違うのか、波風に複雑に浸食されたのか、一つ一つの氷山は実に奇妙な形状で、あたかも抽象彫刻の作品群を見るようだ。

それらはガラスの大宮殿の失敗作、恐竜の透き通った骨の山、青白い巨大オバケキノコの集団にも見える。あまりにも幻想的な姿には、両眼の焦点も合わない心地で、まわりの景色もぐるぐると万華鏡のように回るようだった。しかも、進むにつれて見上げる方向が変化して、一つ一つの溶けかけた氷山は、不思議な幻でも見るように、刻一刻と姿を変えていく。

青氷山の一群を通り抜け、<青海>はさらに南下を続けていく。と、船底で突然「ガツン」と音が鳴り、<青海>はほとんど停止した。

しまった、暗礁に乗り上げた。海図に記載のないやつだ。これだから南極は油断がならない。嵐の来る前に離脱できなければ、高波が船体を岩にたたきつけてしまうだろう。――わずか数秒間に、様々な思いが頭の中を過ぎていく。

が、次の瞬間、<青海>の横腹をこすりながら、ガラガラと音を立てて氷が流れてきた。幸いにも、岩に乗り上げたのではなく、浮き氷に衝突したようだ。

船首をステンレスで補強したおかげで、被害は何もなかった。それどころか長さ数メートルもある氷は真っ二つに割れていた。「砕氷ヨットだ!」

朝の出発から7時間後、<青海>はノイマイヤー(Neumayer)水道に進入して、両側に壮大な山々の並ぶ狭い水路を走りだす。出発直後は頭上に見えた、晴れと曇りの境目は、すでに<青海>を追い抜いて、空は一面の灰色に変わっていた。急がないと嵐になる。目指すドリアン湾は水道の途中、入口から12マイル(約22km)奥に位置している。

海図に記載のない未発見の暗礁を警戒して、水道の岸に近づかないよう、注意深く中央部を進んで行く。水面には、いたるところに氷が浮いている。気をつけないと、また衝突するだろう。

何度も何度もハッチから首を出して外を見回しながら、船室でパンケーキを焼き上げると、デッキにフライパンごと持ち出して、海面を見張りながら昼食をとる。

が、おかしい。17マイル(約31キロ)ほど続く水道の途中には、海図に記載のない岬、小山のような白い岬が、進路をふさぐように突き出ている。道に迷った、それとも海図の誤りか。

 半信半疑で岬に近づいて、白い急峻な斜面を見上げてみる。

「あっ、これは大きな氷山だ」本物の陸地か、巨大な航空母艦を仰ぐようだ。

 その氷山を迂回した直後から、水面にはトゲのような鋭い小波が白く立ち上がり、氷片との見分けが難しくなっていた。気圧も間違いなく降下を始めている。急がないと嵐が本当に来てしまう。

が、<青海>は追手の北風に帆を膨らませ、風下に向けて吹き飛ばされるように駆けていた。これならば、予定通りにドリアン湾に着くだろう。

周囲にそびえる壮大な岩と氷の景色が心を揺さぶるほどに素晴しく、<青海>は嬉しいほど順調に駆けていたものだから、迫り来る嵐の脅威を、まだ本気で考えてはいなかった。


 解説


 月刊<舵>201212月号より。

31話目は、氷の浮く水道の航海です。

**詳しい解説は、後日掲載予定です**


このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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