-- これは実話です --
第1話  貿易風の流れる海で
積雲が点々と浮く、貿易風帯の海


だれでも心の中に、生涯忘れられない景色の記憶があるだろう。息をのんで見つめた、旅先の風景。幼い頃の故郷の景色。生きている限り忘れ得ない、大切な映像の記憶。

ぼくにとって、その一つが、八年間の単独世界一周中に出合った、貿易風帯の光景だった。


日本を出発して最初の寄港地、北米サンフランシスコを離れたヨット<青海>(BW24武市 俊設計)は、太平洋を1,000マイルほど南下して、熱帯地方の海にいた。

まぶしい常夏の水面を、ひたすら安定した強さと向きで、昼も夜も連続して吹く貿易風。ちぎり綿のような積雲が、青空をバックに点々と浮く、子供が絵に描いたような晴れ空の下、追手の風が帆を押した。

風力3、波高数十センチの穏やかな海を、<青海>は水音さわやかに快走する。裸の肌をなでる生温い風の感触が、思わず声をあげるほど心地よい。これほど優しい海があったとは……。

周囲の水面には、島々も、鳥たちも、船もない。貿易風だけが息も継がず、休みなくコンスタントに流れていく。おそらく数万年以上昔から、貿易風は今と同じように海を吹き、頭上に燃える太陽も、水平線に並ぶ積雲も、何一つ変わっていないだろう。その間に人類が文明を築いたことなど、目前の景色とかかわりもないに違いない。

貿易風がひたすら流れる海の上、太古から日が昇り、日が落ちて、それが永遠に繰り返され、ほかは何も変わらずに、あたかも時代は歩みを止めている。ぼくは何世紀の海にいるのか? 水平線に古代の海賊船が現れても、それほど不思議な心地はしないだろう。




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<青海>とぼくが目指して進むのは、南米大陸のチリだった。24feetの小艇にとって、延々3カ月も続く長旅だ。

陸の上では、道路を外れて車を運転できないが、海の上には道路も家も塀もない。だから好きなコースを自由自在に走れるし、目的地まで最短コースを採れるのだ。……と、ヨットを始めた頃は思っていた。しかし、そうではなかった。

<青海>の選択したコースは、最初にサンフランシスコから南西方向に陸を離れ、貿易風の中を南下する①。次に、赤道を越えた辺りで、目的地の方向から吹く貿易風を左舷に受け、ひたすら南を目指す②。3週間ほど南下した後、初めてタックを変え、南米大陸に向けて東進を開始する③。1タック3週間もの航海だ。

とんでもない遠回りのコースに思えるが、この世界一周のため用意した英国海軍発行「Ocean Passage for the World 3rd edition」の中にも、帆船航路(Sailing Vessel Routes)として同様のコースが紹介されている。



それにしても、日本に帰り着くまでの長い航程で、水平線に燃える強烈なオレンジ色の太陽を、何度見つめたことだろう。町で忙しく暮らす人達の、何生涯分も見たはずだ。ぼくはきっと幸せ者に違いない。


Critical Advice to Sailors
貿易風帯は、決して穏やかな海ではない。場所と季節により、ときには風力7を超えるため、注意が必要である。 実際、<青海>が北東貿易風帯を抜け、赤道を越えて入った南東貿易風帯では、風力6近い強風が、休むことなく半月ほども吹き荒れた。



 解説

舵誌2010年3月号見開きイメージ
月刊<舵>2010年3月号より。

シリーズの始まりは貿易風帯の航海です。

実は今回のタイトル、「恒信風の流れる海で」というものでした。ところが最終段階で編集部から、これではまずいという話が出たのです。「恒信風」という言葉が一般的ではないということでした

もともと、"trade wind"の "trade"は、"track"等の「道」を表す言葉であったようなのですが、それが今日では貿易の意味に使われているらしいのです。

「コンスタントに吹く風」という意味では、やはり「恒信風」の方が適切かもしれません。


 貿易風の特徴は、風向と風力が驚くほど安定していることです。貿易風帯に位置する島や陸上では、日射により地面が暖められることにより、風の日変化が起きるため、貿易風はそれほど安定しないかもしれません。しかしながら、自分の体験ばかりではなく資料を調べても、海上では驚くほど一定の強さと方向で、貿易風は吹き続いています。もちろん、今、この瞬間も。

貿易風帯の特徴の一つは、空に点々と浮く積雲でしょうか。舵誌の写真は、北米大陸から南米大陸を目指す途中、南半球を吹く貿易風帯の南端付近で撮影したものです。毎日毎日、こんな空を見ていると、自分がいる時代を忘れてしまいそうです。数百年も前に同じ海を走った貿易船の人達も、全く同様の景色を見ながら、同じようなことを感じ、考えたに違いありません。時代という区分は、この海には存在しないのかもしれません。彼らと会えそうな気さえしたのです。

貿易風は、一定の方向と強度で吹く性質上、それが追い風であれば天国ですが、強い向かい風で吹かれると、ひどい目に遭います。<青海>が走った南半球の貿易風帯が、そうでした。

毎日毎日、風力5から6の海を、風に逆らって走るのです。しかも安定して吹く貿易風ですから、こちらの休み時間がありません。二日経っても、一週間過ぎても、半月後も、風は吹き方を変えません。普通なら、数日の強風のあとには、必ず軽風や凪が訪れるのに、それがないのです。ピッチングが激しくて、体がもたないと思いました。

貿易風帯の航海で、他にも印象に残っているのは、暑さです。デッキがたとえ白くても、ゲルコートや塗料の種類で赤外線の吸収特性が違い、キャビン内温度の上昇をまねく場合が少なくありません。<青海>のキャビンは、38度近かったと思います。通常の航海で1日1.3Lだった飲用水の消費量は、2Lほどに増し、狭いバースにU字型に敷いた布団(普通の家庭用布団です)のシーツは、汗だくになりました。シーツではなく、ゴザのような物を敷ていてからは快適でしたが。



南半球の貿易風帯を抜けた辺り(地図上、南進から東進への転換点付近)には、イースター島がありました。<青海>は、そのすぐ近くを通ったのです。

迷いました。寄港しようかと何度も思いました。この不思議な島に立ち、あの巨石群を自分の眼で見、何かを感じたい。いや、感じなくてはならないと思ったのです。

そこで米軍水路誌を開いてみると、「錨泊に適した入江がない。特別な場合を除き、この島に立ち寄ることを避けるよう、強く勧告する」 と書かれているではありませんか。

実際、日本人夫婦が上陸中、嵐が来てヨットが流され、飛行機で帰国した例もあったと聞きました。でも、自分は決して、それをやってはならない。たとえどんなことがあっても、<青海>と自分を守らなければならない。

シングルハンドではリスクが大きいと考え、寄港をあきらめました。クルージング中、いろんなチャンスが訪れますが、それを逃してしまうと、一生手に入らないことは多いですね。

イースター島の巨石群について、当時はさまざまな説があったと思います。宇宙人の仕業という話も聞きました。

実は、水路誌を調べていて見つけたのですが、イースター島の北岸では、強い磁気異常が観測されていたのです。過去に落下した巨大な隕石、あるいは宇宙船の残骸が埋まっているのでしょうか。やはり行ってみたい。でも、コンパスが使えなくなったらどうしよう。残念ですが、島に寄るのはやめました。


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