-- これは実話です --
第6話  誤算の南極氷海前進
大小無数の氷で埋まった狭水路、南極ルメール水道
antarctic

精一杯の努力と時間を尽くし、準備を済ませ、これで安心と思っても、いざ本番になると、不安がこみ上げる場合があるだろう。

氷の海に突入したとき、ぼくは不安と恐れの真ん中にいた。


南極に着いて19日目、<青海>は南緯65°線を通過して、谷間に続く狭水路、ルメール水道の入り口に達していた。

双眼鏡で前方を調べると、谷底に続く川のような水面は、途中から氷で埋まり、通過できる隙間はない。でも、無数の氷塊が密集して見えるのは、離れて眺めるからだろう。近寄れば、氷と氷の間が開くに違いない。帆を降ろすと、エンジンで谷間の水路を走りだす。

ところが、近づけど、近づけど、前方の氷に隙間は少しも見えてこない。ついに<青海>は、密集する氷の縁に突き当たった。

長さ数十センチの透明な氷片、ドラムカンほどの白い氷、数メートルを超す青白い氷塊、ぎっしりと谷間に詰まって、進路を完全にふさいでいる。

だが、引き返すつもりはなかった。ぼくは心を決めると、小さな氷ばかりの所を探し、船首を慎重に突き入れた。

すると次の瞬間、すさまじい摩擦音と衝突音に包まれた。ガラスを割ったように鋭い無数の氷片は、絶え間もなく船首に当たり、船腹をえぐり取るようにこすりながら、次々と船尾に流れていく。数百キロを超す氷塊が衝突するたびに、<青海>とぼくは激しく揺さぶられ、ガラガラという金属音が、アルミのマストに鳴り響く。

南極航海に備え、船首は4ミリ厚のステンレス板で覆い、船首から最大ビーム幅までの船底はステンレス製網状Expanded MetalとFRPで包んであるが、今にも穴が開きそうで気が気でない。

不意に、<青海>は氷にめり込むように停止した。ぼくはアクセル・レバーを前に倒し、船尾の排気口から黒煙が出るほどに、エンジンの回転を上げていく。

ブエノスアイレスの町を何日も探し回り、やっと見つけた寒冷地用エンジン・オイル。この品質不明の低粘度オイルが、どこまでの回転に耐えるのか? 限度を超えれば、ピストンが焼きつくかもしれない。

いや、その前に高速回転するスクリューが、氷に当たって壊れれば、<青海>は氷原の中で航行不能になるだろう。が、それでも、ともかく、なんとか前進しなくては。

ふと、前方の白い海面から空に視線を上げたとき、水道の左右に千メートル前後も切り立つ山々の、息をのむほど鮮烈な映像が、両眼に鋭く飛び込んだ。急峻すぎて雪も積もらない荘厳な峰々。だが、斜面を縦横に交差する細いくぼみに雪が溜まり、黒い岩肌は白く繊細な網目模様に包まれている。

極限まで澄んだ冷気の中、絶壁状の山々は神々しいほどに、美しくも人を威圧する迫力で立っていた。



南極航海で怖かったのは、氷ばかりではない。潮流や水深等を含む情報の欠如、良質な停泊地の不足、寒さと雪、そして猛烈な風。

嵐で流され、岸の岩場に座礁して、危うく<青海>を失いかけたこともある。

ぼくの体験した南極は、厳しく、つらい場所だった。が、それを帳消しにして余りあるほど美しく、荘厳で、山々と氷と海の記憶が生涯の宝となる世界だった。



Critical Advice to Sailors

南極航海に限らず、船体破損による浸水に備えなくてはならない。ハルのハードスポット(構造上、周囲に比べて力の集中する個所)の点検改造、浸水時浮力を増すための発泡材や水密隔壁の検討、木材や速硬化水中パテの用意、船体構造等の吟味も必要である。<青海>が南大西洋を航行中、波に打たれてハルが凹み、デッキとの接合部が1.7mに渡って開いたことがある。




 解説


月刊<舵>2010年8月号より。

今回は、南極の航海です。

最初に、この図を見てください。


南極を白く塗ってありますが、思ったより南アメリカに近いですね。
ホーン岬から南極半島まで約500マイル、1000キロ足らずです。

<青海>はホーン岬を回って南大西洋に入った後、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに着いたのですが、「本気で取り組めば南極にも行けるのではないか」そんな気持ちがしてきたのです。

そこで南極のことを少し調べてみました。

すると、南極からは南極半島というものが突き出ていて、海岸線は結構複雑で、付近にはたくさんの島々があると分かりました。


これって、何かに似ていますね、そうですマゼラン海峡の話に出てきたチリ多島海です。それまで何か月もかけて苦労しながら航海してきた、チリ多島海に地形が似ていたのです。

それもそのはずです。大昔、南極半島は南アメリカ大陸と地続きで、それが大陸移動により、現在のようになったらしいのです。

島々の間を走り、入江に停泊する航海は、チリ多島海で経験を積んでいますから、アンカリングにしろ地形の読み方にしろ、技術の蓄積があるはずです。ならば、それを南極に応用できないわけがありません。

とはいえ、全く未知なのは氷のことです。
夜中に氷山にぶつからないのか?
氷でFRPの船体に穴が開かないのか?
流氷に囲まれて身動きできなくなるのでは?
南極に着いても、どこも氷の絶壁ばかりで、ヨットを停泊できないのでは?

そればかりではありません。南米から南極に行く途中、地上最悪の海とも言われる嵐のドレーク海峡を、無事に通過できるのでしょうか。
いくつも、いくつも、不安がありました。

そこで、情報集めを開始しました。
国立図書館に通ったり、アルゼンチン南極局に出向いたり、港に停泊していた日本の大型貨物船アトランティック丸を訪ね、最新の気象海図を見せてもらったり、在アルゼンチンのチリ大使館で南極の海図を分けてもらったり、米国海軍や英国海軍の南極水路誌を取り寄せたりもしたのです。

すると、調べるにつれ、全く不可能ではない気がしてきたのです。工夫すれば、リスクをかなり減らせるように思えたのです。できるかどうかは分かりません。でも、ともかくやってみよう。
そう決意を固めると、300万都市ブエノスアイレスで資金稼ぎのアルバイトを続けながら、南極航海の準備を始めました。


南極へ行く準備の一つは、南氷洋で氷山と衝突する危険を減らすことです。

単独航海ですから、眠らずに一日中、海面を見張ることはできません。

幸いにも、夏の南氷洋は夜でも明るいことが多いため、ベッドに横になり、うつらうつらしながら、ときおり目を開けて前方を見張ることができればいいですね。

そこで考案したのが、この写真のミラーです。



大きさは、約20x30cm。スライドハッチに開けたアクリル窓を通し、船内で寝たまま前方を見張ることができます。左の写真は、クオーター・バースに寝た状態で撮影したものです。マスト、そしてよく見ると船首のパルピット、水平線も写っていますね。船酔いで寝込んでいても、これがあれば安心です。夜間にブイを見つけたことさえあるのです。

次の対策は、マストにつけたステップです。これでマストの頂上まで、一気に駆け上がることができます。まわりを氷に囲まれたとき、高い位置から、脱出路を探すためのものです。


ステンレス板(25mm幅)を曲げて作り、足を乗せる部分を補強してあります。鉄工所に通いながら自作したのたのですが、これが原因の一つになり、転覆時にマストを折損することになります。

実は、ステップを取りつけるため、マストに直径3mmの穴を数十か所も開けたのですが、そこに応力集中が起こり、マストの強度が1/3ほどに下がったのです。

世の中で市販されているマストステップも、ほとんどが同様の問題点を抱えていますので、要注意です。

マスト折損事故の後、新しいマストを立てると、マストを含めて強度計算した新しいステップ設計し、製作して取りつけたのは、言うまでもありません。

次は、船体と氷との摩擦対策です。

<青海>の船体はFRPですから、固い氷で穴があく危険性があります。そこで、最大幅の場所より少し後ろまでを、ステンレスの金網(ステンレス板に切れ目を多数入れ、引き延ばしたもの。エクスパンデットメタル)でカバーしました。

船底の曲面に、どうやって金網を固定するか、色々悩んだのですが、工法をなんとか工夫して張り付け、FRPで表面を覆いました。


船首にカバーを取りつけた後、パテをつけて表面を滑らかにし、塗装するとできあがりです。

他にも氷による損傷に備え、水密区画の製作、船首部で氷を割れるようにするためice-beamを船首内側に設置、等々、いくつもの改造を行いました。皆様が興味をお持ちでしたら、またご紹介するかもしれません。


では、舵誌掲載写真の細部をご説明しましょう。

lemaire mountain

最初に、写真の山々の部分を見てみましょう。 

このとき<青海>は、ルメール(Lemaire)水道という谷間の細い通路を進んでいたのですが、両側には険しい山々がそびえています。高いものは 1,180メートルほどで、海面から直接、壁のようにそそり立つ姿は実に壮観です。英国海軍水路誌、"The Antarctic Pilot" にも、"It is noted for its outstanding beauty"と説明されているほどです。

山々は急峻すぎて、雪も積もらないのですが、くぼみの部分に雪がたまり、圧縮されて氷となり、海に崩れ落ちます。そして、幅2キロほど(狭いところで約1キロ)、長さ15キロほどの細長いルメール水道を埋めるのです。

lemaire-ice

この写真のように、小さいものから、数十メートルのものまで、さまざまな氷の塊が水面に浮き、進路を阻んでいたのです。

<青海>の船体は、南極に備えてステンレスのメッシュで覆ってありますし、ステンレスの厚板をV字型に溶接したカバーを船首につけてあります。また、氷の力に負けないよう、船首の内側にはice-beamと呼ばれる補強構造も設けてあります。 小さな氷の所なら、どうにか前進できるかもしれません。

lemaire-lead

上の写真をよく見ると、山の手前の黒い水面に気づくでしょうか。この細長い水面は、リード(Lead)と呼ばれ、船の脱出路となるものです。風や潮の関係で、氷が寄せられて開いた水面です。

一見、前進不可能に思えても、リードまで達すれば、あとは順調に氷の外に出られる場合もあるのです。

lemaire-deck

次に<青海>のデッキの上を見てみましょう。ゴチャゴチャと、いろんな物がありますね。タイヤはフェンダーやシーアンカー用ですが、それ以外にも、他のヨットではまず見られない重要かつ珍しい装備が、少なくとも4つ写っています。ヨットマンなら分かりますか?


***南極に向かった経緯等については、航海記Aomi-Storyをご覧ください。

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