-- これは実話です --
第10話  青い別世界に染められて
アンデスの山々と細長い姿の島々が水平線に浮く、チリ多島海北部の景色
Chilote Islands

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遠方へ引っ越したり、就職や進学で新しい暮らしを始めたり、それまでと全く違う環境でしばらく過ごすと、過去の生活が遠い昔か、夢のように感じることがある。

無数の島々が日本の本州ほども続く海、南米チリ多島海で、<青海>は青い別世界の中にいた。


チリ多島海最北の町、プエルトモント(前号参照)を離れた<青海>は、南米最南端のホーン岬に向けて、島々の海を南下していた。

水平線上には、遠くの島々が青い幻のように浮かび、頂上に雪を光らせるアンデス山脈は、紺青の板を切り抜いたように鮮明な輪郭だ。

まるで透き通った青い絵を見るようで、その絵の中に<青海>は白帆を揚げて、青い水を爽快に切り進む。

だが、ぼくは途方に暮れていた。これほど澄んだ山と海と島々の映像は、脳裏に焼きつけようと努めても、美しすぎて記憶に残るまい。これほど人を感動させる高純度の青色は、カメラのフィルムに写るまい。心も青く染めそうな、山、海、島々と空に包まれて、いったい何ができるというのだろう。


毎朝、ぼくは島の入江で目覚め、すがすがしい空気を吸って食事をとり、昼の弁当を作り、錨を揚げて出発する。日暮れまでには、数十キロ南の島に着いて、入江に錨を投下する。

やがて夕飯を終えると、何枚もの海図と水路誌を船室に広げ、数時間もかけて翌日の計画を練り上げる。

だが、航海中に島々を一つ一つ確かめて、<青海>の位置を海図上で判断しながら進むのは、予想以上に難しい。島があまりに多すぎて、どれがどれか混乱してしまう。島と島が重なれば、島の数が合わないし、横に並べば、一つの大きな島のように見えるのだ。

形や位置が海図と違う島、海図に記載のない危険な岩や浅瀬もあるという。チリ多島海の航海情報を集めた米海軍水路誌にも、「この地方の海図の水深は、仮調査的なものである。きわめて慎重に航海すること」という信じられない警告文が載っている。

座礁することなく、無事にホーン岬まで行けだろうか?  ふと気がつくと、いつのまにか人の住む島々は背後に去って、前方には完全な無人地帯が広がった。



入江に停泊した<青海>から、岸までボートを漕いで、無人の島に恐る恐る上陸したこともある。島を覆う密林には鳥が鳴き、海岸沿いに歩いてみると、岩の割れ目に小ガニがカサカサ動いている。

沢の水がキラキラ光って海に注ぐあたりには、無数の小魚が集まり、近寄ると一斉に体をひるがえして消え、あとには透き通った水ばかりだ。潮の引いた砂浜に立つと、そんなものがあるとは思いもしなかった、貝の呼吸音のコーラスに囲まれた。

町のざわめきや自動車の騒音は、遠い別世界の出来事で、日本の暮らしを思い出すのが無理なほど、異質な時間が流れていた。


ボートに乗って、岸辺の水中を見てまわる。海水は水道水より透明で、ごくごくと飲めそうなほど澄んでいた。水底のきれいな砂地には、点々と貝の呼吸穴、緑や茶色い海藻の林、ウニがいくつもついた丘、白い岩肌の山脈。――飛行機で地上を見おろすようだ。

ふと我に返って水面から顔を上げると、島を覆う常緑樹の、目が痛むほど強烈な緑色。ぼくは別世界を旅しているのかもしれない。


チリ多島海北部の青い景色の中で、ぼくはすがすがしい空気を吸っては吐き、潮流の手応えを舵柄に覚え、潮の流れる音を聞き、空と海とアンデスの山々を心と肌で直接感じていた。

ここに来てよかった。ヨットで来てよかった。町にとどまっていてはあることさえ知り得ない、体験の連続だったから。


Critical Advice to Sailors
密集する島々の間の航海は、一歩間違えば予想外の危険水域に迷い込むことになる。島々の間では風や潮が流速を増す場合の多いこと、海図は完璧でないこと等に留意し、常時測深を行うこと、詳細な航海計画を立てること、天気が急変した際の避難場所を検討しておくこと等も必要である。



 解説



月刊<舵>2010年12月号より。

第10話目は、南米チリ多島海北部の話です。
北部といっても、具体的な位置はどの辺か、地図を見てみましょう。


今回の地域は、ほぼ上の地図で示した範囲、第9話・引潮の町から荒野の海へ でご紹介した多島海北端の町プエルトモントから、チロエ島南方の島々までです。

これまでお伝えしたように、日本の本州ほども延々と続くチリ多島海ですが、もちろん場所によって、気候も、景色も、人が住んでいるかどうかも違います。

今回の地域の特徴は、人の住む島々が多いこと、比較的穏やかな気候、そして景色の青さです。空も海も、遠くに浮かぶ島々も、アンデスの山々も透明に青く、陽を浴びた近い島々は目にしみる緑色です。これほど透明度の高い青色の景色は、日本人の大半が未経験に違いありません。

ほとんどの場所は島々に守られ、外洋のうねりや波はありません。澄みきった少し冷たい空気の中、そんな青い海面をセーリングするのは、本当に爽快で、充実し、とても気持ちのよい体験でした。ヨットでここに来て、本当によかったと思ったのです。

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<青海>は南米南端のホーン岬に向けて、数か月もかけながら、多島海を毎日少しずつ南下していきます。夜明けとともに錨を上げ、夕方までには数十マイル先の島陰に着いて錨を降ろします。もちろん、天気の変化に備え、充分な時間的余裕のある航海計画を立てるのですが、ときには向かい風のため、大幅に到着が遅れることもありました。


この写真は、予定よりもかなり遅れ、日没と競争するように停泊予定地を目指したときのものです。なんとしても暗くなる前に着かなければ、闇の中で進路を見失ってしまいます。あせっていたのです。この地の夜は町と違って、本当に真っ暗なのですから。写真の水平線には、雪を被ったアンデスの山々、そしてよく見ると細長い島々が低く連なっているのが分かるでしょうか。

右上に写った台のようなもの(左下に拡大)は、Islote Nihuel という岩です。別名「悪魔の食卓」とも呼ばれるそうで、ずいぶん特徴的な形ですね。衛星写真を拡大縮小して、人工物のような岩の姿をご覧ください。



それにしても、まわりの景色は透明に青く、不思議に美しく、わけが分からない気持ちになりました。

青い空、雪を光らせる高い山々、切り絵のように鮮明な青い山々の連なり、似たようなものは日本にだってあるはずです。それなのに、この景色をそんなに美しく感じるのは……。

しばらく考えて、やっと分かりました。海、海なんです。おそらく山奥に入らないと見られない景色が、青い海と同時に見えているからでしょう。


チリ多島海の島々は、ほとんどが無人島で、無人地帯が数百キロも続くこと、人口密度がきわめて低いことは、これまでにお伝えしたとおりです。

でも、今回の地域には、人々が住む島が多いのです。多島海北部は、チリ多島海の繁華街のようなものかもしれません。

 

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<青海>が進む途中には、何隻もの小型ヨットに会いました。ヨットといっても、<青海>よりさらに小さく、帆はテトロンでもケブラーでもない木綿製です。 島から島へ、自家用車を運転するような感じで、渡っているのでしょう。 日常生活とヨットが一体になっていて、うらやましいですね。

このあたりは、人々の住む所が比較的多いとはいえ、ほとんどが小さな村です。ある日のこと、そんな村の入江に、<青海>は錨を打ちました。

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陸上には家がポツリポツリと建っていますが、海岸に人影は見えず、静かな時間が過ぎています。海底の小石が透けて見える水面には、小さな漁船が泊まっています。もちろん、我々が日常的に聞き慣れ、あることすら忘れている自動車の騒音はありません。

<青海>が入江についた翌日、岸からボートを漕いで、一人の男が現れました。名前はマルコス、19歳。プエルトモントの学校に通っているそうですが、今は夏休みで帰省中のようです。

マルコス

<青海>の船室に彼を招くと、日本茶を入れ、色々な話をしました。もちろんスペイン語ですが、これまでチリの港にはいくつも寄っていますから、相手の質問はだいたい分かっていますし慣れています。「どこから来たの?」「これからどこに行くの?」「航海はこわくないの?」「職業は何してるの?」等々、スペイン語で聞かれても、ちゃんとこちらもスペイン語で返事ができるのです。

目を離していると、近くにある砂糖を紅茶のつもりで日本茶に入れてしまうため、要注意なのですが、話ははずみました。彼は辞書をひくのがとても速かったので、さらにいろんな会話ができました。

日本に少し興味があるようで、「ゲイシャってなに?」「トーキョーは美しい町?」「オーサカはきれいなところ?」なんて質問をするのです。私は即座に「とんでもない、あなたの村のほうが何倍も美しいです」と答えました。

実際、そのあたりの景色といったら、絵か何かのように美しく、まるで時間も止まっているようだったのです。




毎晩、島々の入江に停泊しながら、<青海>は多島海を南下していきます。以前にお伝えしたように、このあたりは人の住む島が多いのですが、 彼らと何度か話をしました。

多島海に入る前に会った日本人移住者によれば、南米の人達は、日本人を高く評価しているとのことです。米国に戦争で敗れた日本が、経済的に大きく発展したことに感心しているらしいのです。そのためでしょうか、日本のことを色々と質問されました。


「日本は人口が多いんでしょう?」
「そうです、だから土地が狭くて、寝るときも立って寝るんです。ウソですけど」

「チリの人口と日本の人口と、どれくらい違うのですか?」
「チリ一国とトーキョーが同じくらいかな」

「どんな家に住んでいるんですか?」
「土地の値段が高いから、大きな家には住めません。トーキョーでは、1平方メートルが数万ドルのところもあるんです」

「仕事の昼休みには、自分の家に帰って家族と食事しますよね?」
「いやいや、職場と家は遠いのが普通です。なかには通勤に数時間って人もいます」

どうやら、彼らと日本人の生活は、あまりにも違うようでした。彼らから見れば、我々の生活はまさに常識外れかもしれません。でも、ほとんどの日本人はそれに慣れていて、疑問を持つ人は多くありません。日本の町と違って、島の上では時間がゆっくり流れています。



上の写真は、そんな島々を巡回している病院船です。25人が乗り組んで、月に一回、この島を訪れるとのことです。病気になっても、次に船が来るまで辛抱強く待たなくてはなりません。病院がいくらでもある日本に住む我々は、本当に恵まれていますね。それは決して当たり前のことではないはずです。



島の丘に上り、これから進む島々の海を見渡しました。ホーン岬まで、無事に到達できるだろうか? 途中で浅瀬に座礁しないだろうか? ウィリウォウの強風で<青海>は吹き流されてしまうのでは?

実を言うと、青い海、青い空、快適な風の航海は、そろそろ終わりを迎えていたのです。



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*多島海全般の概略はBluewaterStory03をご覧ください。

*多島海の詳細地図とコースは、パタゴニア航跡図のページをご覧ください。

*パタゴニア航海記の一部は、Aomi-storyに掲載中です。

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