-- これは実話です --
28話  青白い密室で
melchior islnand's shoal
メルキョー群島内、オメガ島(長さ3.7キロ)の小湾。 <青海>が離礁した直後にゴムボートより撮影。湾の三方を囲む青白い氷壁には亀裂が入り、ときおり轟音を立てて崩れ落ちる。手前の岩場には、アザラシの群れが確認できる。(↑上のスクロールバーを動かしてご覧下さい)

ついに座礁した。こともあろうに南極で座礁したのだ。

人類の歴史が始まって以来、この小湾に来た船は何隻あるというのか。しかも今は夏の終わりで、船舶は南極を離れる季節だ。 氷のドームと青白い氷壁に囲まれて、外から目隠しされた密室のような水面で、発見される望みはない。離礁できなければ、ひとりで越冬しなくては。

マストの左右に付いたステップを駆け上がり、高い位置から小湾内を見渡した。前方の水底一面には、荒れ地のような浅瀬が広がり、転がる石の一つ一つまで鮮明に見える。

ぼくは落ちるように急いでマストを下りると、ゴムボートに空気を入れて乗り移り、水面から船底をのぞき込む。

船首付近の水中には、岩の塊が見え、キールの前部が当たっていた。が、驚いたことにキールの後ろにも岩がある。岩を一つ飛び越して、岩と岩の間の凹みに座礁したのだ。

ただちにエンジンのギアを入れ、ともかく後退を試みる。が、エンジンの回転を増しても、動く気配すらもない。前進と後退を交互に繰り返しても、舵を大きく切ってUターンを試みても、やはりだめだ。

片手でサイドステーにつかまると、デッキの縁に片足をのせ、海に体を大きく突き出した。体重で船体が横に傾けば、海底から船底が外れるはずだ。

が、いつもは簡単に傾く小さな<青海>の船体が、水平のまま少しも動かない。完全に浅瀬に乗り上げて、微動すらもしないのだ。

急いでゴムボートに錨とロープを積むと、沖に向けて50メートルほど漕ぎ進み、錨を海底に投下する。ただちに<青海>に引き返し、ウィンチのハンドルを回して錨のロープを強く引く。沖の海底に錨が食い込めば、船体のほうが沖に向けて戻るはずだ。

が、いくら引いても、ロープが固く張るだけで、ウィンチハンドルに全身の力を込めても、船底をコンクリートで海底に固定したように、揺れも動きもしなかった。

食糧の残りは3か月分ほどあるだろう。調理に使う真水は、氷を溶かしてつくればよい。氷を溶かす燃料は、灯油が30リットル残っている。食糧と燃料がきれたとき、すでに南極は真冬の季節だ。<青海>を捨てる覚悟があれば、凍った海の上を有人基地まで歩いて行けるかもしれない。100キロ先に米国基地があるはずだ。

「いや、<青海>を捨てるつもりは決してない。ともかく、なんとかして浅瀬を離れよう」

それから1時間ほども試行錯誤を続けていると、錨のロープを巻いたウインチのハンドルが、突然に数クリック分動いた。全身の力をさらにハンドルに込めてみる。と、急に手応えが軽くなり、ついに船体が岩から外れて動きだした。幸運にも潮が満ちて、船底を持ち上げたのに違いない。

ほどなく浅瀬を脱した<青海>は、小湾を無事に抜け出ると、白いドームとドームの間を通り、 差し渡し2キロほどの湾に入って錨を投下した。

ほっと一息ついた後、氷のドームに取り囲まれた湾内で、<青海>とぼくは2日ぶりに休息をとっていた。周囲の水面には、アザラシが頭をときおり突き出して、船体をぐるぐると回って去っていく。湾の岸では、垂直に40メートル以上切り立つ氷壁が、数十分の周期で海に崩れ、雷鳴のような大音響をたてている。

それにしても、ブルーのインクをかけたような氷の絶壁、青い鉱物結晶を無数に固めたような氷の断崖、両眼を通って心の奥まで染みてくる、吸い込まれるように青い不思議な色彩は、どこの別世界からきたというのか。

日が暮れると、摂氏2度の船室に大きな海図を何枚も広げ、南極大陸に向かうルートを確かめる。だが、推測を意味する点線で海岸線を描いた海図、発行元が情報の少なさに困り果てたのか、次のように印刷された信じがたいものもある。

「この海図を使う船長は、船の航跡、水深、危険箇所、航海に役立つ情報等を書き入れ、発行元に送り返してほしい」

これでは、何のために南米で働いて高価な海図を買ったか分からない。とんでもない所に来たものだ。

情報の少ない極地の海を、再び座礁せずに南極大陸まで行けるだろうか。

航海日誌のページに不安を書きつけて、冷たいベッドに入ると眠りにつく。


 解説


 月刊<舵>20129月号より。

28話目は、南極で座礁した話です

前回お伝えしたように、メルキョー群島にある基地の廃墟を訪ねた<青海>は、安全な停泊場所を探すため、γ(ガンマ)島を離れ、η(イータ)島とω(オメガ)の間に進入していきます。
melchior islands harbor
測深器の表示に注意しながら、<青海>は息をこらすように進んで行きます。なにしろ南極では十分な調査が済んでおらず、海図は当てにならない場合が少なくないからです。どこかに未発見の暗礁が潜んでいるかもしれません。

melchior islands omega harbor
白い氷のドームに左右を挟まれた細い水路を恐る恐る進み、奥に進んでいきます。そんな場所を走るのは、もちろん初めてですから、なにか神聖な白い場所に踏み行っていくような、とても不思議な感覚を覚えていたのです。

左右にそびえる氷のドームまでどれほど離れているのか、距離感は全くつかめません。進むにつれて周囲の景色はどんどん変化していくのですが、どれほど進んだかもよく分かりません。氷の世界で暮らしたことのない自分の感覚や直感は、全く役立たないようでした。

やがて目の前に小さな湾が現れました。湾の三方は高い氷壁に囲まれ、正面の氷壁は所々で崩れかけていて危険です。とても停泊できそうにありません。

しかし、ともかく湾内の様子を調べるため、中に入ってみることにしたのです。測深器の水深表示を見ながら、ゆっくりと前進を試みます。

すると、十数メートルあった水深が、突然、2メートルを切りました。と同時に船底に衝撃を受け、<青海>は座礁したのです。

Melchior Island  wrecked
これが座礁現場の写真です。周囲は氷の壁に囲まれ、外部からは見えない密室のような状態でした。もちろん辺りに人影はなく、一番近いアメリカの有人基地までは、100キロほどの航程です。

すでに南極の夏は終わりかけ、船舶は南極を離れる季節ですから、発見されなければ一人で越冬しなくてはなりません。といって、越冬するのに必要な食料も燃料もないのです。

何とかして暗礁から抜け出さなくては、大変なことになると思いました。



では、どうすれば浅瀬を離脱できるか、簡単に説明してみましょう。

on the rock
まずは、なだらかな斜面に乗り上げた場合です。ヨットの底は上の図のような形状をしており、キールと呼ばれる重りの部分が突き出ています。

この場合、バックすれば海底からキールは外れるのですが、速度がついた状態で海底に乗り上げると惰性でさらに前方に進み、より浅い海底に乗り上げることになります。こうなると、エンジンでバックしただけでは、なかなか海底から外れません。

そこで、

  1. 他船の援助が可能であれば、引っ張ってもらう。
  2. 船尾から沖(図では右側)に錨を打ち、ウインチで錨のロープを引く。
    (この際、手漕ぎボート等が必要になります。)
  3. 泳いで引っ張る-------------------------------------------ウソです。

海底が急に浅くなり、その先の比較的平坦な場所に乗り上げた場合は、運がよければUターンできるかもしれません。
On the rock U-turn
多少前進しても浅くならないため、推進力の弱い場合が少なくないバックで離脱を試みるよりは、前進を使うほうが有利です。ドロの海底の場合は、特に有効です。
(キールが海底に着いているため、Uターンというよりはキールを中心に、その場で回転することが少なくありません)

海底が凹凸のある岩場の場合、上記の方法ではダメなことが多いでしょう。その際によく行うのはヨットを横に傾ける事です。
On the rock HEEL
右の図は船首方向から<青海>を見た状態ですが、横に傾けることにより、キールの先が上に移動し、海底から外れる可能性があります。この状態を保ったまま少しバックできれば、浅瀬を離脱できるわけです。

傾ける方法は

  1. <青海>のように小さなヨットであれば、体重を船体の片方に移動する。
    (人数が多ければ、有効な場合もある)
  2. マストの頂上からロープを張り、陸から引っ張る。
  3. 船体の数十メートル横に錨を打ち、そのロープをマストの頂上経由でデッキに下ろし、ウインチで引く。
  4. 大きな帆に風を受け、走行時のように船体を傾ける。

等々があります。(他に良い方法を御存知の方は、掲示板に書いてくださいね。)

とはいえ、色々と試行錯誤を繰り返しても、結局のところ<青海>は浅瀬を離脱出来ませんでした。やはり越冬を覚悟しなくてはならないのでしょうか?

しかし、実に幸運でした。しだいに潮が満ちて海面が上がり、船体が持ち上げられ、<青海>は浅瀬を何事もなく離脱することが出来たのです。

ただ黙って待っていればよかったのです。ああでもない、こうでもないと、いろいろ工夫しながら急いで浅瀬を出ようとしていた自分の行為を、自然から笑われたような、海の見えないパワーを実感したような、不思議な気持ちになったのかもしれません。



このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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