-- これは実話です --
32話  悪夢の小湾 (1)
dorian-bay

ドリアン湾に停泊中の<青海>。南岸より撮影。湾内は幅350m 奥行200mと狭く、湾口には暗岩が並び、進入路はきわめて限られている。湾内の水深は5m程度と浅く、氷山は喫水が深いため中に入れない。写真中央付近には、湾口で座礁した氷山が並んでいる。


朝の出発から10時間後、南緯65度に間近いドリアン湾に到着すると、狭い湾内には意外にも、金属光沢の物体――1隻のヨットが浮いていた。

全長約10メートル、船体はアルミ合金製で鈍い銀色。なぜか人の気配を感じない。<青海>に気付いて誰か出てくる様子もない。船室のハッチは開いたままだ。どうしたのだろう。

乗員が陸に上がって氷河のクレバスに落ちたのか、それとも船室で病気になったのか。いつから停泊しているのだ。ひょっとして数か月も。

横に少し離れて<青海>を停めると、船体の前後から岩にロープを張る作業を開始する。強風の吹き荒れる南極では、錨に頼るわけにはいかないのだ。

沖の海面には手頃な小岩が頭を出している。しかし、それにロープを張って停泊すると、<青海>は銀色のヨットに近寄り過ぎて、ぶつかり合うかもしれなかった。

やむなく船首から錨を打つと、船尾からは70メートルのロープを岸の岩まで張り渡す。これで船尾は陸につながれ、岸の方向から強風が襲っても、船体が吹き流される不安はない。が、船首を向けた沖の方向から吹く風には、錨だけが頼りだ。

エンジンを全力にして錨を引いても、海底から外れる気配はない。過去の経験から、少なくとも風力9までは耐えるだろう。が、予期せぬことは起きるものだ。ここが南極であることを忘れてはならない。やはり、船首から沖の小岩にロープを……。

気がつくと、白い岸辺に2つの人影が動いていた。程なく彼らは<青海>の横にボートを漕いできて、握手と自己紹介を始めていた。

フランス人の若者、オリビエと、ガールフレンドのケティーだった。南極の山と海と氷の世界にあこがれ、地中海のニース港を離れた彼らは、すでに1か月ほども南極を旅しているという。今は北に向け、帰路を急いでいるらしい。

<青海>に横付けしたボートに突っ立ったまま、オリビエは深刻な顔で言う。

「南極の夏は完全に終わってしまった。急いで帰らないと冬が来る」

なんということだ。これから<青海>はさらに進んで、南極大陸を目指すのに。
ふと思いついて、聞いてみた。

「君たち、船首から沖の小岩にロープを張ったかい?」

「もちろんさ。南極では想像を越えた嵐が吹くからね」

「でも、水路誌によれば、ここの海底は南極には珍しく泥で、錨が利くようだから。ねっ、そうだろう。 沖の小岩にロープを張らなくても、錨で大丈夫だね?」

「君の小さいヨットなら、風当たりも少ないさ。あっ、そうそう、私達のヨットで茶でも一緒にどうですか」

ブエノスアイレスを出て以来、ひとりぼっちが38日も続いたから、人恋しくてたまらない。最優先となる<青海>の安全確保を怠り、ぼくは即座に「OK」と答えていた。

ゴムボートを漕いで訪ねた銀色ヨットの船内は、暖かく、広く、豪華だった。オーブンのついた立派なキッチン、手足を楽々と伸ばせるベッド、軽油ストーブの暖房設備、壁にはステレオのスピーカーも並んでいる。<青海>の粗末な船室に比べれば、小屋と御殿ほどの差があった。それでも彼らは、自分たちのヨットが南極を訪れた最小記録と、これまで信じていたらしい。

皆でテーブルを囲むと、赤ワインのコルクを抜いて乾杯し、最果ての海で知り合えた幸運を喜びあう。

ケティーのフランス料理を味わいながら、素敵な時間が過ぎていく。我々はヨットや自分たちのこと、南極の山々の息をのむ輝きや、これまでに出合った極地の動物について語り合う。あまりにも楽しく平和だったから、――ロープのことは完全に忘れていた。

ワインで酔いが回った。いや、ヨットが揺れているのだ。沖から吹く北風が強まり、うねりが湾内まで寄せていた。

「君のヨットは、まだ吹き流されていないよ」悪い冗談を言う彼らの顔を見て、ぼくは不安になってきた。

(次号に続く)



 解説


 月刊<舵>20131月号より。

32話目は、ヨットが座礁する直前の話です。


**詳しい解説は、後日掲載予定です**




このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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