余話 3  魔物の住みかチリ多島海

 

地球上には、この世のものと思えない景色と体験が存在することを、少しでもお伝えしたいと思い、この回を書きました。もしかすると、この世とあの世は同じもので、それらに区別はないのではと、不思議な気持ちになったのです。

場所は地球の裏側、南米南端に近いチリ多島海です。ここには無数の島々が日本の本州ほども長く続いているのです。

半信半疑でした。これほど島々の多い海域を、一人で航海できるでしょうか? 途中で疲れても、怪我をしても、交代してくれる人はありません。外洋の航海とは違い、少しでも見張りを怠ると、たちまち島々に衝突する危険がありました。

正直な話、島々の間の航海は外洋航海に比べ、かなり難易度が高いと思うのです。島という障害物の間を安全に、ガイドなしで通過するには、海図を読む力、事前にローカルインフォメーションを収集する脳力、そして夜間や荒天時のアンカリング技術等々、数多くの事を学ばなくてはなりません。

しかもチリ多島海では、島々の複雑な地形によって増幅された烈風、アンデスの吹き下ろしとも言われるウィリウォウが吹くというのです。日本の小型ヨットによる多島海全域通過の記録はそれまで例がなく、しかも以前にアメリカのヨットが南米南端ホーン岬の手前で座礁して、チリ海軍に救助されていたのです。

わずか3馬力半のエンジンしか持たない<青海>で、しかもたった一人、無数の島々の間を無事に航海できるのか、自信は全くありませんでした。

にもかかわらず、<青海>がチリ多島海に向かったのは、日本を出発する前にハルロス著「ホーン岬への航海」(翻訳:野本健作)と出合っていたからでした。

それはアメリカ人夫婦が35フィートのウィスパー号に乗り、延々と続く島々の間を走ってホーン岬を目指した記録です。ウィスパー号は何度もウィリウォウに襲われて錨が滑り、ついにはホーン岬に近い島の上に座礁してしまいます。が、彼等はセールでテントを作り、一週間以上も野営して、チリ海軍の救助を待ったのです。

結局、彼等は壊れたヨットを修理してホーン岬を回り、その後も旅を続けるのですが、その航海を記した本の文章と写真は、チリ多島海の空気、風、景色を強烈に伝えてくれました。

そこには、町の生活に慣れてしまった現代人の知らない世界、いや、おそらく忘れた世界、潜在意識の中に太古からの記憶として埋もれているかもしれない世界が広がっていたのです。

それは怖くもあり、少し懐かしくもあり、しかも不気味な、実に不思議な光景でした。地球上には、これほど神秘的で魅力的な景色が存在するのに、まるでカゴに入ったハツカネズミのように、町の中をグルグル回りながら生きているのは、我慢出来ないとも感じました。


そこで、日本を出る前に東京のチリ大使館を訪ね、「海軍武官」という肩書きのチリ人から航海の助言を受けたのです。また、後に太平洋を横断して着いたサンフランシスコでは、多島海を通過するために必要な数種類の錨やロープ類、米国防総省発行チリ多島海図を全て揃え、<青海>も念入りに整備しました。

ところで、パナマ運河を通らずに世界一周するヨットは、北極海回りの特殊な例を除き、南米大陸の南を走ることになりますが、その一つがマゼラン海峡経由、もう一つがホーン岬経由のコースです。

そのどちらを選択した場合でも、通常は南緯40度や50度という、南太平洋の荒れる海域を走らねばなりません。しかし、チリ多島海を通ってマゼラン海峡やホーン岬に向かえば、無数の島々が波浪からヨットを守ってくれるのです。大波による転覆のリスクを軽減するためには、チリ多島海経由の世界一周がよいかもしれません。

ただ、前述のようにチリ多島海通過は別の面で危険を冒すことになりますし、マゼラン海峡やホーン岬を無事にクリアできたとしても、その後には大荒れの南大西洋が待っていることに、少しも変わりはないのです。

でも、いずれにせよ、<青海>でチリ多島海を目指すことにしたのです。どうしてもその景色を見たいと熱望していたのです。地球の果ての想像を絶する山と海、うわさに聞く秘境の中、命をかけて全力をつくしてみようと、心に強く決めたのです。

 

Bluewater Story 第3回本文も、ぜひお読みください。

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