余話 7  赤道で見た赤線を越えて

マゼラン海峡

この回で一番にお伝えしたかったのは、赤道無風帯のことでした。

赤道無風帯って、いったい何でしょう? 赤道付近にある無風の海でしょうか? 赤道付近は天気がよくて、いつでも無風なのでしょうか? 

<青海>が世界周航に出る前から、赤道無風帯のことは航海記で読んでいました。風がなくて船が進まず、とてもイライラする海域のようでした。

かつての帆船時代、軍艦も貨物船も動力は風でしたから、無風では船が進まず、それはやがて食料が尽きること、乗員の死を意味していたはずです。海で怖いのは、嵐や座礁ばかりではなかったのです。

赤道無風帯は英語でドルドラムズ(Doldrums)とも呼ばれますが、辞書を引くと「憂鬱」「停滞」「重苦しさ」等々の訳語が出てきます。船乗りにとって、避けたい海域だったに違いありません。

さて、<青海>が実際に通過した赤道無風帯の印象はどうだったかというと、曇って蒸し暑く、ほとんど無風。しかし、時々スコールがやってきて、突風と雨が襲うというものでした。

スコールの後には、しばらく凪が続き、<青海>は完全に停まります。でも、エンジンで走る気持ちは全くありませんでした。ヨットなのに石油を燃やして海を進むなんてバカだ、ヨット乗りの恥と思い込んでいたからです。

そのため、ときおり訪れるスコールの風を丁寧に拾い、少しずつ前進したのです。ときには丸一日以上、平らな海に浮いたままのこともありました。そしてスコールが再び訪れると、急いで帆と舵を操作して、わずかでも前進するのです。

スコールの中では、風向も風力も変化が激しいため、帆を縮めたり広げたり向きを変えたり、大型船では大変な作業になるでしょう。帆船時代に赤道無風帯を通過した船乗りの苦労が、少しは分かるような気もしたのです。

しかし現代では、この海域を多くのヨットがエンジンで通過しています。目まぐるしい変化とスピードが当然の世の中に生きる我々は、じっくりと風を待ったり、ときには潮を待ち続けたりする等の、変化と刺激の少ない時間には我慢できないのかもしれません。

そんな時代に、<青海>はエンジンを使わずに赤道無風帯を通り、本当に良い体験をしたと思うのです。風がいつ吹くか分からず、前進しているか後退しているのかも分からないまま、食料と水は確実に減っていく……。帆船時代の船乗りの気持ちと海の怖さを、少しは理解できた心地になりました。

学生のころ、休日に小さな旅をしたことがあります。日の出前に仙台を歩いて出発し、奥羽山脈の峠を越えて歩き続け、夜8時に60キロ先の山形市まで着いたのです。そのとき、わずか1時間半で到着する列車と、いつたどり着くか分からない徒歩とでは、見る物、体で感じるものが大きく違うことに驚きました。おそらく海の上も同じことでしょう。

さて、この回の題に出てくる「赤線」ですが、少し詳しく説明してみましょう。

それは、北米サンフランシスコから南米に向けて、太平洋を下っていたときのことです。赤道を越える数日前から、海面がやけに濁り始めていたのです。しかも、辺りは生臭い臭いで一杯でした。魚が大量に死んで、腐っているのでしょうか? 

そしていよいよ赤道通過の日、前方海面に赤っぽい帯を見たのです。まるで赤道のように、延々と東西方向に延びているではありませんか。

<青海>はさらに進み、ついに帯の中に突入しました。すると、幅が数百メートル以上もある帯の中に、とりわけ色の濃い細帯が、所々で切れながらも走っているのです。なんでしょう?

<青海>のデッキには、ヒシャクが常備してありますから、線上を通過する際に海面に手を伸ばし、海水を汲んでみたのです。と、それは無数の小さな赤い球、どうやら魚の卵のようでした。海水の臭いがきついのも、プランクトンが大量に含まれているからなのでしょう。

このように赤線を目撃したり、日本語や中国語で「赤道」と書いたりするからといって、もちろん赤道に赤線が引いてあるわけではありません。赤道は英語で"Red~~"ではなく"Equator"、スペイン語でも"Ecuador"ですから、どうやら「赤」とは無関係のようですね。

Bluewater Story 第07回本文も、ぜひお読みください。

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