-- これは実話です --
第3話  魔物の住みか・チリ多島海

南米大陸の太平洋岸、チリ多島の狭水路では、不気味な島々が左右に並び立つ

patagonian mountains

たとえば宇宙から来た物体を目撃したように、生涯で一度も見ていないものが目前に現れ、距離も大きさも見当がつかず、脳内がパニックになったとき、あなたはどうするだろうか? 

チリ多島海を行く<青海>は、そんな世界の中にいた。


南米大陸の太平洋岸に、無数の島々が1800キロも続く、チリ・パタゴニアの多島海。日本の本州ほども広大な地域に、町や村は数えるばかりで、99パーセント以上が無人島だ。その人里離れた寂しい海を、<青海>はホーン岬に向けて下っていた。

毎晩、島陰に錨泊しながら、ぼくは翌日の航海計画を練り上げる。アメリカ国防省発行の水路誌を熟読し、赤ペンで岩や潮流などの注意事項をマークする。100枚近い米国や英国やチリ製海図から数枚を選び、見比べて信頼性を確かめ、地形や水深を調べて次の停泊地を決め、4B鉛筆でコースの線を引く。天気の急変に備え、安全な避難場所も探しておく。


そうして多島海を南下するにつれ、複雑に入り組むフィヨルド状水路の左右には、不気味な岩肌の島々が、見上げるほど高々とそびえ立ってきた。


周囲の景色は、ただごとではなかった。まるで未知の惑星を旅するようで、とても地上のものとは思えない。恐ろしいのか、それとも美しすぎるのかさえ分からなかった。

一年のうち、330日が雨降りという、チリ多島海の中部地域。島々は不気味な濃い紫色に濡れ、奇怪な岩肌をさらし、暗い雨雲の下に続く。苛酷な風雨に侵された、草も木もない巨大な岩山の並ぶ光景は、あたかも魔物の住みかを思わせた。

日本を出るとき「ホーン岬への航海」(ハル・ロス著、野本謙作訳)を読み、写真と文が語る多島海の異様な山々の姿と色に、ぼくは何度もため息をついていた。が、それとは全く比較にならないほどに、実物はすさまじいものだった。

「いかなるカメラもとらえることができず、どんな文章も表現不可能な、地球に残る最後の秘境の野生美」チリ政府発行の観光ガイドブックは説明する。

だが、わけも分からず、ぼくは夢中でカメラを向けていた。写真を撮るよう、景色に強制されたのかもしれない。食費を削って買ったフィルムは、どんどん減っていく。これ以上、鮮烈な映像が現れないでほしいと、心の底から願っていた。

けれども、島々の隙間を走る<青海>から、奇怪な山々を見上げるたびに、どうにも逆らえない衝動が、心に強く湧きあがる。デッキに立って写真を撮らずにいられない。何度もシャッターボタンを押した後、やっと満足してカメラをキャビンに置きにいく。が、再びデッキに戻ると、またしても両眼に飛び入る山々の姿に驚いて、カメラを取りに引き返す。その繰り返しばかりだった。

カメラをしまう数十秒間、ほとんど景色は変化しないのに、再びレンズを夢中で向けるのは……。 大変なことに気がついた。この想像を絶する光景は、写真どころか記憶にも残らない。類似のものを生まれて一度も見ていないとき、それを人はすぐに記憶できるだろうか。


目の前の景色を脳が処理できず、デッキに立ちすくんだのは、このときばかりではなかった。チリ多島海の水路で出逢った青い氷河壁、雪山のように白く泡立つ嵐の海原、荘厳に光り輝く南極の山々。すべてが生まれて初めての映像で、自分の目と現実を疑う光景だった。


Critical Advice to Sailors
海図や水路誌等の航海情報は、地球上すべてを均等にはカバーしていない。必要性が低く詳細に調査されない水域、軍事上の理由で情報公開されない場所もある。また、同水域の海図でも、発行国により情報の鮮度、詳細度、まれに海岸線の形や水深、暗岩の有無まで違うことがある。 



 解説

月刊舵、2010年5月号イメージ
月刊<舵>2010年5月号より。

今回は、南米大陸南端部、チリ多島海の航海です。

「パタゴニア」、「チリ、アルゼンチン」、「マゼラン海峡」、「ホーン岬」、これらの言葉は、ご存じと思います。

もしかすると、「ビーグル水道」、「フェゴ島」、「ウィリウォウ」、等々の言葉も聞いたことがあるかもしれません。でも、正しく知っていますか?

・マゼラン海峡というのは、南米と南極の間の海ではありません。
・パタゴニアは、アルゼンチンに広がる大平原のことではありません。
・ホーン岬は、南米大陸の南端ではありません。

最初は私も、ほとんど何も知りませんでした。でも、よく分からないのは当然です。南米は地球の裏側、日本から一番遠い場所ですから。


チリ多島海とは、南米の太平洋岸に続く島々の海で、長さ1800kmほどもあり、ほとんどの島が無人島です。緯度と縮尺が一致するように、赤塗りの日本を並べてみました。北海道より高緯度に位置すること、長さが本州ほどもあると分かります。(図上の赤い長方形で囲った部分が、パタゴニアと呼ばれる地方にほぼ一致します。)

チリ多島海地方の特徴は、強風、寒さ、暗礁、暴風雨等々です。いったい、何がよくて、そんな場所を航海するのでしょう? コタツでミカンを食べながらテレビを見ていたい人には、ちょっと理解しがたいですね。



魅力の一つは、景色の美しさです。チリ多島海北部では、青い海に緑の島々が浮かび、その上に家や教会がミニチュアのように立ち、空気は澄みきり、水平線にはアンデスの山々が並び、平和な時が流れています。



もう一つの魅力は、多島海中部から南部における景色のものすごさです。原始の地球を見るような、地球の数十億年におよぶ歴史を実感させるような、荒々しい野生の景色です。それを目前にして何を感じるかは、人それぞれかもしれません。でも、強烈なインパクトがあることは、疑いようもありません。特にヨットでは、一般の船舶より時間をかけて様々な場所に立ち寄れるため、また、視点が水面から低いため、より迫力ある景色に出会えます。徒歩と観光バスの旅の違いのようなものかもしれません。



そして、これは人によって好き嫌いがあるのですが、特筆すべきは航海の困難性です。ウィリウォウと呼ばれる烈風により、航海中のヨットが横倒しになりかけたり、錨が滑って岩に乗り上げそうになったり、悪天候のため視界が悪く、暗礁地帯に迷い込んだり、さまざまな試練が待っています。でも、難しければ難しいほど、情熱の湧き上がる人もいることでしょう。

地球上には、他にもアラスカや北欧の多島海がありますが、世界地図を見れば分かるように、規模、複雑さともにチリ多島海とは比較になりません。また、今月号にも書きましたが、チリ政府の観光案内には、「いかなるカメラもとらえることができず、どんな文章も表現不可能な、地球に残る最後の秘境の野性美」とまで書かれているのです。



この秘境の海を、ヨットで、しかも一人で走れるものでしょうか? 島々の間には、数々の暗礁があり、ウィリウォウが吹き荒れるのです。当初、私も航海は無理と思っていました。

実際、私が最初にチリ多島海に入った1982年当時、チリ多島海全域を通過した日本のヨットはまだなく(マゼラン海峡等、多島海の一部を複数人で通ったヨットはありました。もし、私以前に全域を航海された方がいらしたら、お知らせください)、ましてやシングルハンドなど、とても無理に思えたのです。

しかしながら、太平洋横断航海の到着地、北米サンフランシスコで、John と呼ばれる老人に会ったことから、多島海通過の可能性が見えてきます。(aomi-story LLサイズのアメリカでをご覧ください)

彼のアドバイスは、こうです。
  1. 海図は米海軍製と一部英海軍製を揃える。
  2. 米海軍製水路誌を使う。
  3. 海底が岩場や海草等、悪条件での停泊に備え、アンカーにはHERRESHOFF FISHERMAN ANCHORを含める。(40ポンドのfishermanと、35ポンドのCQRを買い足しました。)
  4. 充分な長さのアンカーロープと頑丈なswivelを持つ。(アンカーロープ合計で300mほど用意しました。)
  5. 海草地帯でアンカー引き上げのため、蛮刀の準備。(からまった海草を切るためです。刃渡り45cmを二本揃えました)
  6. 狭水路で重要性を増すエンジン保護のため、冷却水用フィルタの新設。(ステンレスのメッシュをもつ、小型のものです)
  7. その他



彼と議論を重ねるうちに、チリ多島海の航海は現実味を帯びてきます。ガーデナーのアルバイトで資金を稼ぎ、Fisherman,CQRアンカー等の装備品を買いそろえ、海図を発注し、頑丈な舵や二重窓や食料棚を作る等々の改造作業を済ませ、多島海の強風に備えてスーパー・ストームジブを注文し、エンジンはヘッドを取り外してバルブの摺り合わせも行いました。

そして赤道を越える3か月の航海の末、チリ北端の港、アリカに着くと、自動車整備のアルバイトで資金を稼いで食料を調達し、チリ中部の港町バルパライソに向かいました。



チリ第一の港、海軍本部のあるバルパライソで、多島海航海のため次のことを行いました。

  1. 多島海全域のチリ製海図の入手。
  2. 海図のupdate
  3. チリ製灯台表の入手
  4. チリ製潮汐表の入手
  5. 多島海local information の聞き取り収集
  6. 多島海通過に必要な諸手続の確認
  7. 海軍本部からの推薦状?(日本大使館を通して)の入手等々。

 でも、航海の資料と情報を入手するたびに、ますます不安は増えていきます。烈風と暗礁で知られる島々の海を、本当に一人で航海できるのか? 未来は全く見えませんでした。

バルパライソを発つと、次はさらに南下して、多島海の入口に近い町、PuertoMonttを目指したのです。


***多島海の他の場所の解説は、トップページのメニューよりお入りください。

***多島海の詳細地図とコースは、パタゴニア航跡図のページをご覧ください。

***パタゴニア航海記の一部は、Aomi-storyに掲載中です。


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