-- これは実話です --
第9話  引き潮の町から、荒野の海へ

浅瀬に船を乗り上げ、引き潮を利用して荷役を行うプエルトモント港

puerto montt

いよいよ事を始めるとき、急にさまざまなことが不安になり、忘れていた準備に気づき、あれもこれもと心配し、あわただしく駆け回ることがある。やっと達したチリ多島海最北の町で、ぼくは船出の準備に追われていた。


潮波のチャカオ海峡 (前号参照) を越え、チリ多島海に入った<青海>は、多島海最大の町プエルトモントに到着した。

なんと面白い港だろう――海から眺めるコンクリートの岸壁は、三階の建物ほども高くそそり立つ。小さな<青海>にとっては絶壁で、とても陸に上がれない。この地では潮の満ち引きが大きくて、しばしば7メートル以上も海面が上下するためらしい。

港の一角の浅瀬には、近くの島々から荷を運んできた船が、船底を乗り上げて並んでいる。満ち潮のときに入港し、引き潮を待てば、やがて船は浅瀬に乗り上がる。すると岸から馬車が現れて、積み荷の上げ降ろしを始めるのだ。

岸壁のチリ海軍船を、浮き桟橋代わりに踏ませてもらい、ぼくはプエルトモントの町に上がる。海上警察署で入港手続きを済ませると、これから数カ月も続く多島海南下の旅に備え、南米特産のジャガイモ、ニンジン、キャベツ、タマネギ等を、町のメルカド(マーケット)で見て回る。ここを出ると、千数百キロ南のプンタアレナスまで、ほとんどが無人の島々で、物資の補給は困難と聞いていた。

民芸品店の並ぶ通りも歩き、慣れないスペイン語で会話しながら、羊毛の帽子、靴下、手袋などを入手する。緯度が日本の北海道に近いプエルトモントから、さらに十数度も高緯度の南米最南端ホーン岬を目指すため、防寒対策が必要だ。

昼は島々の間を走り、夜は入り江で休む日々に備え、十分な錨泊資材も不可欠だ。 <青海>には13Kgのダンフォース型アンカー、35ポンド(約16Kg) のCQRアンカー、40ポンド(約18Kg)のフィッシャーマンアンカー、約300mのアンカーロープ等々、24フィート艇には十分すぎる装備をそろえてある。だが、それでも不安で、ロープやシャックル等を町外れの金物店で買い足した。

日本からの長旅で痛んだセールも、多島海を吹き荒れるという烈風、ウィリウォウに備えて整備する。糸のほころびを直し、生地が伸びた部分は狭い船室に広げてリカットし、愛用のセールパームを使って縫い上げた。

チリ海軍の哨戒船<ラウタロ>に、数十枚の海図を持参して、海図や水路誌に記載のないローカル・インフォメーションの収集も行った。金ボタンの並ぶ黒い軍服姿の士官から、危険個所や注意点について詳細なアドバイスをしてもらう。彼はラベルに海軍マークの入ったワインを開けて、昼食まで御馳走してくれた。

あわただしい準備をやっと終え、出港手続きも済ませた日、カラフルなバックパックを背負った男が、岸壁の上から声をかけた。便数の少ないフェリーに乗り遅れたアメリカ人観光客で、急ぐからプンタアレナスまで同乗させてくれという。

いったい、何を勘違いしているのだ。どれほどの決意と覚悟で、ヨットをヒッチハイクしようというのか。どうやら彼は数日で着くと思っているらしい。陸の自動車や、安全を確保されたフェリーの旅とは、速度も体験の種類も違うことを、少しでも知っているだろうか。24フィートの小さなヨットが、海の上でどれほど非力で無防備か、彼は想像できるのか。


ぼくは舵を握ると、町の人々の常識が通用しない、海と呼ばれる荒野に出た。あたかも原始の世界のような、地球の命を実感させるチリ多島海という海に。


Critical Advice to Sailors
小型艇であっても、海外での出入港手続きを怠ってはならない。事前に当該国の領事館等に問い合わせ、検疫や持込み禁止物等について、最新情報を確認すべきである。入港後は、現地の法や習慣を尊重して行動すべきことは、言うまでもない。(これらは当然のことであるが、必ずしも守られてはいない)



 解説


kazi2010-10
月刊<舵>2010年11月号より。

今回は、チリ多島海最大で最北の町、プエルトモントのお話です。

最大の町と言いましたが、どれほど大きい町か見てみましょう。



上の図は、チリ多島海に点在する人口一万以上の市の全てと、比較的有名な二か所の集落について、人口を調べたものです。十万以上の都市は、多島海最北端の ①Puerto Montt(プエルトモント)、そしてマゼラン海峡の ⑨Punta Arenas(プンタアレナス)だけと分かります。

長さ1800キロも続く多島海の中で、Cityはたったこれだけです。日本の本州にも匹敵する地域に、たったこれだけです。しかも、人口は多島海北部の町々と、マゼラン海峡の一点、プンタアレナスに集中しています。そして残りの場所のほとんどは、延々と無人地帯が続いているのです。

 

サーモン
<物々交換の村>をお読みになった方は、上の表の最後、Puerto Edenにご注目ください。ちなみに⑦のコジャイケという場所は、鮭の養殖で有名な所です。日本人が始めたそうですが、チリ産鮭は、今どき日本のスーパーでは珍しくありませんね。

さて、前回お話したように、チャカオ海峡を無事に通過して、チリ多島海に進入した<青海>は、多島海最北端の町プエルトモント(Puerto Montt)に寄港しました。ここから南米最南端ホーン岬まで、数か月も続く長旅に備え、食料を補給するのが一つの目的でした。

ところが、港に着いて驚きました。岸壁が見上げるほど高いのです。これでは岸に上がることができません。困ってウロウロしていると、岸壁につけた軍艦から、誰かが手招きしています。どうやら、軍艦に横付けし、甲板を通って、陸に上がれということらしいのです。



これはチリ海軍のパトロール船 <ラウタロ号>で、その左が<青海>です。チリ多島海の島々は、あまりに数が多くて複雑に入り組み、しかも99パーセント以上が無人島ですから、すべての場所を回るのは大変な仕事です。油断していると、知らない間に、どこかの島に、どこかの国が基地を作ってしまう可能性もあるわけです。実際、隣国アルゼンチンとの国境争いが続いていたのです。

それにしても、プエルトモントは不思議な町でした。道路には馬車が走り、近くの島々からは木綿の帆を張った船が荷物を運んできます。メーメー鳴く羊をぎっしりと積んだ帆船も見たのです。



彼らは港の前に錨を降ろし、潮が引くのを待ちます。この地では干満の差が大きく、水面が5~7mも上下する日が多いため、干潮時に船は海底に乗り上げます。すると陸から馬車が来て、船に横付けし、荷物を積み降ろしするというわけです。なかには、バックでつける馬車もあります。馬車がバックするなんて、初めて見ました。もっとも、馬はかなり嫌がっているようでしたが。上の写真、左端に馬と黄色い馬車が写っていますね。



この町の、もう一つの名物は、豊富な貝です。市場には、チョリト(ムール貝)、アルメハ(ハマグリ)、ロコ(アワビの仲間)、巨大なフジツボ、ホヤのような不気味なものも並んでいます。ムール貝は1kg約40円、ハマグリは1kg約60円、アワビの仲間のロコ貝は一個が約40円でした。ロコ貝を注文すると、店員は貝をむいてタイヤのチューブの中に入れ、床に思いっきり何度もたたきつけます。こうすると貝が柔らかくなるのでしょう。刺身にしたり、圧力鍋で蒸したりして、毎日のように食べました。また、初めは気持ち悪かったピコロコ(にぎりこぶしほどの大きなフジツボ)は、思いきって口に入れると、カニとホタテを混ぜたような素敵な味で驚きました。

船底掃除

プエルトモントには、小さなヨットクラブがありました。といっても、当時は何も設備がなく、一隻のヨットがアンカーを打って停泊しているだけでした。また、前述したように、ここは潮の干満の差が大きな町ですから、満潮のとき、つっかえ棒をしておけば、上の写真のように干潮を利用して船底の掃除や塗装ができるのです。右がヨットクラブ唯一の小型ケッチ、左はたまたまプエルトモントを訪れていた3人乗り組みの42ft英国艇で、これから<青海>と同様、多島海を南下するところです。この先、一緒に航海できればよいのですが、ヨットのサイズが大きく異なるため、当然、速度が違います。また彼らは3人ですから、疲れれば交代できますが、<青海>は一人ですから、体力が尽きれば休息しなくてはなりません。つまり、一緒に行動することはできないのです。
(現在では、チリ多島海を訪れるヨットも増え、3つのマリーナが営業しているそうです。電気、水道、燃料補給も可能なようです。)

puertomontt

 プエルトモントは、とても面白い町なので、多島海航海の出発準備をしながら、二週間も長居をしてしまいました。というより、実は出発したくなかったのかもしれません。これからホーン岬まで続く数か月の航海、点在する暗礁、ウィリウォウと呼ばれる列強風、延々と続く無人地帯、それらを考えると、町を出たくなかったのかもしれません。

とはいえ、これから体験する地の果ての秘境、その想像を絶する景色を思い、胸がワクワクしたのも事実です。そのために、これまで念入りな準備と努力を重ね、寄港地でアルバイトをしながら資金を稼ぎ、チリ多島海まで来たのですから。

この先、、どんな思いもよらない光景が、目の前に出現するのでしょう。胸が踊る一方で、待ちかまえている強風や暗礁や潮流のことを考え、とても不安な気持ちになりました。
多島海の航海は、まだほんの始まったばかりです。


多島海の詳細地図や解説付き写真は、Patagoniaのページをご覧ください。パタゴニア航海記の一部は、Aomi-storyに掲載中です。

 

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