-- これは実話です --
暴風雨の島々の狭間で

黒雲の間から差す日光で、黄金色に輝くチリ多島海中部の島

big wave 大波

「絶望的な所に来たものだ」新しい環境でそう落胆しても、あきらめずにその場で探し続ければ、自分の居場所が見つかることもあるだろう。ホーン岬に向けてチリ多島海を南下する<青海>は、荒涼とした無人地帯で居場所を探していた。


ある日到着した島の入江で、ぼくは途方に暮れていた。海図や水路誌を調べても、翌日の停泊場所がないからだ。

約60マイル先には、確かに小型船に適した入江がある。でも、小さな<青海>が一日で走れる距離ではない。前進を強行し、途中で逆風や予期せぬ事故に遭えば、到着前に必ず日が暮れて、暗闇の中で座礁するだろう。

唯一の望みは、三十数マイル先のワイド湾だ。米海軍発行の水路誌には、「海底は岩で深いが、よくシェルターされている」と記載されている。でも、湾の幅は1キロほどもあり、小型艇が波風を防ぐには広すぎる。しかも、深い岩の海底では、おそらく錨は利かないだろう。

狭い船室に海図と水路誌を広げ、夜遅くまで検討を重ねても、他の選択肢は見あたらなかった。

翌朝、思いきって錨を上げると、一夜を過ごした入江を後にした。島々の間を走る細いコンセプション水道には、猛烈な北風がごうごうと吹いている。一瞬、ためらったが、思いきって白波だけらの水道に乗り出した。

「この風では、二度と戻れない。なんとしてもワイド湾で、安全な停泊場所を見つけなくては……」急速に遠ざかる出発点を振り返りながら、思った。

それは、一方向に動くベルトコンベアに乗るようでもあり、止めることも逆らうこともできない運命に、流されるようでもあった。

年間300日以上が雨降りという、チリ多島海の中部地域。島々は黒い鉄の塊か石炭のように、薄暗い曇天の下に並んでいる。ときおり雨は強まり、そしてやみ、黒雲の切れ間から日が差し込むと、暗く沈んでいた島々の岩肌が、そこだけ魔法のようにピンクや黄金色に輝いた。それは現実とは思えない不思議な光景だった。

朝の出発から7時間後、<青海>は北風に押されて35マイルほど走り、ワイド湾の口に到着した。が、状況は全く絶望的なものだった。

雨で煙る広い湾内には、風力5から6の強風が、一面に白波を立てている。小型船が安全に停泊できる場所ではない。とはいえ、湾の奥に進んでいけば、陸が近づいて風は弱まるかもしれない。ジブシートをしめると、湾の奥に向けて舵をとる。

が、だめだ。風は弱まるどころか、山から吹き降ろす突風性のウィリウォウに変わってきた。しかも、ケルプと呼ばれる大型海藻が所々に茂り、今にも突っ込みそうで気が気でない。

どうすればよいのか? 戻るにしろ、次の停泊地に行くにしろ、日没までには間に合わない。いたるところ危険な岩が潜む島々の海で、しかも強風の中、どうやって夜を過ごすのか?

他に行く所などなかった。ぼくは心を決めると、暴風雨の中、ケルプに突っ込まないよう気をつけながら、湾内の海岸線を念入りに調べて回ることにした。そして小さな岬を過ぎたとき、その先に直径数十メートルの小島が確認できた。付近は岬の風下で、ほとんど波がなく、幸運なことにケルプもまばらだ。

「よし、岬と小島の間に入り、船体の前後から陸の木々にロープを張ろう」 

<青海>を乗り入れて仮の錨を下ろし、仮止め用軽量ポリプロピレンロープと本止め用ナイロンロープのコイルをボートに積むと、ぼくは岬に向けて漕ぎ出した。

が、その間にも、利かない錨を引きずって、<青海>はどんどん吹き流されていく。まだまだ油断はできないのだ。



Critical Advice to Sailors
天然の入江に停泊する際、大切な装備品の一つは、上陸用小型ボート(いわゆるテンダー)である。陸までロープ張るばかりでなく、錨を浅瀬に運んで投下する際にも重要な役割をする。高波や強風時の作業を想定し、安定性のよい、信頼できるものを選択しなくてはならない。



 解説

月刊<舵>20113月号より。

チリ多島海中部地方で、危ない思いをした話です。

以前にもお伝えしましたが、チリ多島海では、無数の島々が日本の本州ほども南北に続いており、場所によって気候も様々です。

下の図は、チリ多島海各地の年間降水日数を調べたものです。場所によって、随分違いますね。ちなみに東京都の年間降水日数は100-120日程度のようですから、チリ多島海はとても雨の多い地域と言えるでしょう。そんなところをヨットで走るのは、ちょっと大変かもしれませんね。

図を見て分かるように、南下するにつれて降水日数が徐々に増えていきますが、マゼラン海峡を境にして、降水日数が急に減っています。おもしろいですね。なぜか分かりますか?

rain map of chilean archipelago

今回の話題の場所は、図の下から3番目付近、雨が一番多い場所です。図から分かるように、年間324日が雨降りです。こんなことって、あるでしょうか? 地球上には、とんでもない場所があるものですね。

ほとんど毎日が雨というわけですが、雨が降ると視界が悪いため、航海には適しません。といって、晴れる日を待つわけにもいかず、小降りの日を選んで航海することになります。

しかし、小降りは長く続かず、やがて本降りになることも少なくありません。さらに雨が強まると、左右に続く島々の姿は完全に消え、灰色一色の中を、コンパスと測深器を頼りに進んでいきます。もちろん、カッパや長靴を身につけていますし、海図はポリ袋に入れて、濡れないようにしています。

下の写真は、雨が一休みしたときに撮ったものですが、このあたりの島々は、ほとんどが不気味な岩山で、植物はわずかに生えているばかりです。

rainy ialand of chile

岩肌は、風雨に浸食されたのか、ツルツルに見える所も少なくありません。その薄気味悪い岩肌を、雨水が細い滝となって流れ落ちます。上の写真には、何本もの細い流れが写っていることに、お気づきでしょうか。

そんなある日、とても珍しい体験をしました。貨物船とすれ違ったのです。2か月以上前に多島海に入って以来、たまに現地の小舟やチリ海軍艇を見ましたが、大きな船は初めてです。



cargo ship in chilean archipelago

貨物船の乗組員も、こんな地球の果てで小さなヨットに出会い、驚いたかもしれません。

写真では、海面は穏やかで波もないようですが、波が高く風も強いときは、写真を撮る余裕がなく、結果的に穏やかな海の写真が多くなってしまいます。一人で航海しているのですから、なおさらです。しかし、実際のチリ多島海は、もちろんそうではありません。



さて、今回の出来事を説明する前に、もう一度場所を確認してみましょう。

patagonia map

図の右が南米大陸、そして中央がパタゴニアです。チリ多島海は、パタゴニアの太平洋岸に延々と日本の本州ほども続いていますが、そこを<青海>は数か月もかけて南下していきます。図の一番左が、今回の話の場所です。

細長いので、90°回転させて下に拡大図をのせました。

tizard to bueno

白線が<青海>のコースです。右上から左下まで(二個の緑円の間)が、実は大問題だったのです。というのも、その間は60マイルほどもあり、安全のための予備時間も考えると、小さな<青海>が一日で移動できる距離ではありません。

海図で調べると、途中には停泊地(赤や黄の円)があるのですが、どれも条件がよくありません。二つの赤円のうち、左下は遠すぎますし、黄円とその隣の赤円の場所では、海底の深さが30から70mもあり、錨を降ろすのに適しません。

途中で停泊せずに、夜も走り続けることは不可能です。とにかくどこかに停泊しなくては、無人地帯の暗闇の中で、座礁してしまうことでしょう。

そこで選んだのは、黄円のワイド湾でした。海図によると海底は岩で、錨は利きません。でも、現地に行って、ともかくなんとか停泊場所を探すことにしたのです。

wide bay

これがワイド湾の拡大図です。赤印の暗礁を避けて、<青海>は湾の中に入っていきます。が、事態は全く絶望的だったのです。

予想通り、湾は広すぎて、波風から<青海>を全く守ってくれません。しかも大型海草が所々に茂り、怖くて近寄れません。いったい、今夜はどこで過ごせばよいのでしょう。

でも、ともかく、他に行くところはありません。どうにかしてこの湾内で、停泊場所を見つけなくてはなりません。 覚悟を決めると、暴風雨の中、湾の岸沿いに注意深く走り、停泊できる場所を探すことにしたのです。

しかし、海岸の小さな凹みを探して停泊しようにも、岸辺はどこも海藻が密生しています。とてもダメだと思いました。でも、ともかく念入りに海岸線を調べるしか助かる方法はありません。

そしてしばらく前進を続け、小さな岬を過ぎたとき、そこに小島があり、岬と小島の間に入れることに気づきました。海図によれば、そこにも海藻が茂っているはずですが、幸いにもたいしたことはありません。(上の図、コース矢印先端下の、小さな島にお気づきでしょうか?)

当日は北の暴風雨でしたから、そこは陸の風下になり、風も波もあまりなく、まさに別天地のように平穏な海面でした。「助かった」、本当に命拾いした思いでした。ときどき突風が襲うので、決して油断はできませんが。

これは現場の写真です。岬の木と、小島の木から、ロープをとって停泊しているのがお分かりと思います。海底は岩のようですから、錨は下ろしても利く見込みがありません。

wide bay

それにしても、異様な木々の姿にお気づきでしょうか。ずいぶん傾いて生えていますね。この地方の風がどれほど強いか、容易に想像がつくことでしょう。


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