1・ヨットで南極に行けるのか?
行きたい。
まぶしい光の国まで、ぜひとも航海してみたい。
心の真ん中に、これまで想像もしない旅への情熱が、抑えきれなく湧きあがる。でも、全長わずか七メートル半のヨット[青海]で、南極の海に行けるだろうか。
日本を離れて約二年、ホーン岬を回って南大西洋に入った後、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着して、思案の日々を過ごしていた。
「ひとりきりの航海では、寝ている間、必ず氷山に衝突してしまう」
「小さなヨットで行けば、流氷に囲まれて身動きできなくなるぞ」
「鉄の船でないと、無数の浮き氷に削られて、船底に穴が開いて沈没する」
「南米と南極の間のドレーク海峡は、地球上で最も荒れる海なのだ」
町外れのヨットクラブでは、メンバーの皆が口々に意見する。無謀な航海はやめて命を大切にしろと、お説教を試みる。歯の治療で街に出て、診察中に雑談を交わした歯科医まで、航海を断念しろと真顔で説得する。即座に反論しようにも、ぼくの口から彼は両手を離さない。
もちろん、危険なのは知っている。だが、今は母国を遠く離れ、南極に近いアルゼンチンの首都にいる。到達手段となる[青海]も、ここにある。今回を逃せば、南極の海を体験するチャンスは、一生訪れないかもしれない。準備を慎重に整えて、ともかく挑戦してみよう
南米のパリとも呼ばれる300万都市、ブエノスアイレス。ヨットクラブに泊めた[青海]に住みながら、ヨーロッパ風の古い街並を歩き回って、情報収集にとりかかる。アルゼンチン南極協会、国立図書館、チリ大使館なども数週間がかりで訪ね回り、南極の資料を収集する。
だが、冷たい海の様子を知るほどに、不安と心配は増していく。一人だけの航海では、進行方向を常に見張るのは難しい。南米と南極を隔てるドレーク海峡で、巨大な氷山に衝突すれば、[青海]は水深四千メートルの海に沈没するだろう。運よく南極に着いても、浮き氷の間を走るうち、船底をえぐられて穴が開く。潮流に乗って動き回る氷山と陸地に挟まれて、船体は押しつぶされるかもしれない。
南極の冷たい海を、本当に航海できるのか。無事に帰って来られるだろうか。
朝日を浴びたラプラタ河が、銀板のようにまぶしく光る町、ブエノスアイレス。到着から半年で、所持金はそろそろ底をついてきた。真夏の暑さで喉が渇いても、飲み物はとても買えないし、破れた服を着たり、ゴミ箱から拾った靴をはいたり、ときには食べ残しのパンや肉をもらうから、まるで物乞いの気分だった。
でも、親切なヨットクラブの人たちは、ぼくを食事に何度も招待してくれた。昼から特産のワインを飲んで、皆は言う。
「一年で物価は十倍に上がっても、ここは友人を大切にする国だ。すぐに価値の下がる紙幣と違って、友達は貴重な財産だ」
南極航海の夢を思えば、月二十ドルの貧乏暮らしはつらくないけれど、氷の海に備えて[青海]を改造するためには、数千ドルの材料費が必要だ。といって、この国で働いて稼ごうにも、月収百ドル程度が相場だし、失業率が高くて仕事は見あたらない。
困り果てた末、どうにか思いついたのは、家庭教師のアルバイトだ。ブエノスアイレス市内には、日本の商社員と大使館員が数十家族も住んでいる。塾も予備校もない外国で、子供の教育は悩みの種に違いない。早速、郊外の日本人学校を訪ねると、幸いにも数人の生徒が見つかった。
夜は資金稼ぎのアルバイト、昼は作業服をペンキと接着剤で汚しながら[青海]の改造作業を進めていく。氷海での安全対策は、そろそろ見通しがついていた。船室のベッドに寝たまま氷山を見張れるよう、大型自動車用バックミラーを取り付け、衝突に備えて船内に防水隔壁を設置する。船底は数か月もかけてステンレスの板と金網と強化プラスチックで覆い、船室の壁や天井には防寒用発泡スチロールを張りつめて、エンジンの念入りな分解整備も忘れない。
だが、言葉も習慣も違う不慣れな国で、バスや電車を乗り継いで材料や道具を探しながら、一人で取り組む数十か所もの改造は、途方に暮れるほどの大仕事だ。出発準備をどうにか完了できたのは、ブエノスアイレスに着いて二度目の正月が過ぎた二月末。三千キロ南の南極には、四月初めに着くだろう。
――それは季節外れ、間違いなく常識外れ。氷の海がヨットを受け入れるのは、十二月から二月の間、南半球の真夏と知っていた。
でも、一度決めたこと。ひとまず挑戦してみよう。おそらく幸運に恵まれて、ホーン岬上陸のように、必ず成功するだろう。
地球最南の陸地と海に向けて、さあ出発だ!
2・マストがない!
これほどバカな話はないだろう。
空は確かに青く晴れていた。でも、水平線の一か所に墨色の雲が固まり、渦巻くように見える。その黒い塊に向けて一直線に、[青海]は吸い込まれるように駆けていた。
ぼくは油断したのか。気圧計の表示は低くない、空には太陽も照っている、どうせ小さな低気圧だろうと。
ほどなく風の唸りが高まって、空は黒雲に覆われた。[青海]は追手の強風に帆を膨らませ、夕暮れの海を突っ走る。
速度が出るのは嬉しいけれど、風は今にも帆を破りそうなほど、強さをどんどん増していく。
ぼくは不安に襲われて、マストのメイン・セールを引き降ろす。そこで急に日が落ちて、海には闇が訪れた。
暗黒の夜空には、ときおり雷の閃光が走り抜け、黒雲を不吉に照らしだす。薄気味悪い海原の光景は、地球の果てに続く南大西洋にふさわしい。神話の世界に住む想像上の怪物が、空から突然に舞い降りても、たいして不思議はないだろう。
その闇空を吹き渡る、魔物の声のような追い風が、さらに強まるのに比例して、黒い海面に立つ波も、高さを急激に増していく。ついには、波頭を大きく巻き込むように崩れ、次々と[青海]に被さった。
これ以上、海が荒れないでほしい。そう祈りながらハッチを開けて船室に降りると、床にカッパと長靴を脱ぎ捨てて、大揺れのベッドに横たわる。
真夜中過ぎ、巨大なガラスをたたき割るような音響が、真っ暗闇に鳴り渡った。
と同時に波の衝撃が、体を宙に激しく投げ飛ばす。「転覆、いや、横倒しか? それにしても、あのすさまじい音は?」さまざまな思いが脳裏を駆けめぐる。が、スイッチを手探りして船室の明かりをつけたとき、ぼくは上下の感覚を取り戻すと、事態を一瞬に理解した。
大波で転覆した[青海]は、船底についたバラスト重りの復元作用で、元の姿勢に起きていた。でも、帆に風を受けて矢のように駆けていた船体は、完全に速度を失い、波のままに揺られている。
「ということは……、まさか、そんなことが起きてたまるか」
急いでライトを握るとハッチを開き、頭上のマストに光を向ける。が、そこにあったのは、暗闇を横切る波飛沫と、烈風の唸る悲痛な声ばかりだ。
ついにマストが折れた。決して起きてはならないことが、とうとう現実になってしまった。これでもう、南極到達の夢も、[青海]の航海も、すべてが終わる、何もかもだめになったのだ。体中の力が抜けていく。
だが、船体に次々と響く、初めて体験する鈍い音。大波で揺れる[青海]を急に止める衝撃は何だろう。
海面にライトを向けると、そこに見たのは、銀色の長いヒゲかツタの絡まった、動物か植物かも分からない、海から突き出す柱のように長いもの。生まれて初めて見る奇妙なものが、波の動きと合わせるように、[青海]の横腹を打っている。――折れたアルミのマストが、支えのワイヤーをつけたまま、海に逆立ちに没していた。
それで充分だった、もう何もしたくない。船室に戻ってベッドに入ると、頭から毛布を被る。ブエノスアイレスで一年半もの間、南極に行くため、それだけのために、すべてをかけて準備を続けてきたのに……
だが、鈍い衝撃が次々と船体に響いている。急いで水面のマストを回収しなければ、薄い船腹に穴が開き、[青海]は沈没するだろう。
しぶしぶカッパを身に着け、ライトを握ると、波飛沫の降る真っ暗闇に歩み出た。
照らす光のコーンの中、海から突き出すアルミ・パイプの陰惨な折れ口は、刃物のように鋭くとがり、波の力で生き物のようにうごめいた。不注意に手を触れれば、指の一本や二本、すぐに切断されるだろう。
[青海]は致命傷を負っても、ぼくはまだ五体満足だ。くれぐれも怪我をしないよう、慎重に回収作業を始めよう。が、この嵐と闇の中、体を振り落としそうに揺れる不安定なデッキの上で、海水が入って重くなったマストのパイプを、一人で引き上げられるものか。マストが船腹を打ち破る前に、手早く回収できるものか。
いや、とても無理だ。仮にできても、作業中に波が襲って落水すれば、水面を吹く烈風が、ぼくと[青海]を即座に引き離す。
くやしいけれど、船体とマストをつなぐワイヤーを外し、マストを海に沈めよう。それ以外、[青海]を救う手段はないだろう。
額にヘッドランプ、胸には一メートルほどの命綱をつけると、烈風が悲鳴のように唸る闇の中、広さも深さも計り知れない闇の中、命綱の先のフックを手すりや金具に掛け替えながら、数メートルも上下に揺れるデッキを這うように移動する。
小さな[青海]にとって、無限にも近い漆黒の大海原。ヘッドランプの光に白く照らされた、幅二メートルのデッキの上だけが、ぼくの命の助かる世界。頭上に次々と崩れる大波が、その狭い実在の世界から、得体の知れない暗黒に、ぼくを押し流そうとする。命綱のフックを掛け換えるとき、もう一方の手を誤って離せば、次の瞬間、永遠に続くかもしれない闇の世界に落ちるのだ。
全身に波飛沫を浴びながら、カッパのポケットからプライヤーを取り出すと、船体の前後左右に固定されたワイヤーの端を一つずつ外していく。だが、合計七本のうち、思い直して船首の一本は残した。マストは船首から水中に抵抗物として吊り下がり、漂流する[青海]の船首を波に向けるシーアンカーの作用をして、波の衝撃を減らすだろう。
懸命の作業を無事に終え、大揺れのデッキを這って船室に戻ると、転覆時に棚から飛び出た衣類や本や食品が、大地震の直後のように、床をヒザの高さまで埋めていた。
大波が不気味な水音を鳴らして接近し、ときには音もなくひそかに近づいて、小さな[青海]を直撃するたびに、強烈な打撃音とともに船室は六十度以上傾いて、ナイフやフォークや割れたボトルのガラス片が、ぼくの体と一緒に宙を飛ぶ。
全身を打っていた。船酔いがひどい。牛乳ビンの底で作ったメガネをかけたように、眼がぐるぐる回る。込み上げる吐き気に耐えながら、ベッドに這い込むと、頭の上から毛布を被る。顔の皮膚は血でヌルヌルしていたが、手当する気力はなかった。
(転覆の要因等については、BlueWaterStory第2話のページに図解を掲載しました。)
3・今に船体が壊れてしまう!
朝になった。濡れ布団で四時間ほど眠り続けていたようだ。窓の外では意外な快晴空に、太陽が強く照っている。
昨夜の出来事、あの転覆事故は、おそらく夢、ぼくは悪い夢を見ていたのだ。念入りな点検整備を欠かさない、大切なマストが、折れてしまうはずがない。
祈るような気持ちでハッチを開ける。が、いつもは前方の空を半分ほども埋めていた、風をはらんで膨らむ白い帆も、頭上に高々とそびえる九メートルのマストも、前後左右に張った支えのワイヤーも、奇妙なほど何もない。毎日見慣れていた当たり前の景色が何もない。長年住んだ家の天井と壁が取り払われ、残った床から空を見上げるように何もない。
まわりの海に目を下ろすと、そこは身の毛もよだつ異様な銀世界。次々と盛り上がる波の山には、雪、雪が積もっているようだ。烈風で生じた水の泡が、真っ白い雪のように見えるのだ。あたかも飛行機に乗って、冬の山地をさまよっている。
いったい、どうすれば陸まで戻り着けるだろう。出入港用の小さなエンジンでは、波のある海は進めない。マストを失って帆を張れない[青海]は、翼をなくした鳥と同じだ。海流に運ばれ、もしかすると永遠に大洋をぐるぐる回り続け、食料がきれて。いや、運よく魚が釣れれば。でも、水、飲み水はどうしよう。
ハッチを閉めると、内側から金具でロックした。出入口と換気口、給排水口も閉じれば、ヨットは波間に漂うカプセルだ。上下が逆になっても、沈没の危険は少しもない。どんな大波を受けても不安はない。
が、その安心感は、さらに強まる波の衝撃で、急速に薄れ始めていく。[青海]を打つ波は、水というのに固体の何か、貨物船から落ちて漂う鉄のコンテナか、大きな流木かクジラのようだ。体が地面に激しく落下したように、波の衝撃が痛いほど全身に響き、強烈な打撃音が耳をキーンと唸らせる。いつまで体がもつだろう。
大波が次々と船体を襲うたび、木材を折るようなキシミ音が鳴り響く。なんとかしなくては、強化プラスチックの船腹が疲労破壊され、[青海]は沈没してしまう。
船首から海に吊ったマストの残骸は、どうやら抵抗物の効果を発揮していない。ならば、役立たないマストは切り離し、替わりにパラシュート型シー・アンカーを投下しよう。波間に漂う[青海]の船首は、シー・アンカーの抵抗作用で波に向き、波の衝撃を最小限の面積で受けるだろう。カッパと長靴を身に着けると、船室のハッチを開き、吹きさらしのデッキに飛び出した。
わずか数秒後、[青海]の横の海面が、本物の丘のように高く盛り上がった。と思う間に、頭上から白く泡立つ塊が崩れ、体は水流に投げ飛ばされる。海に落ちる、ついにやられた、もう助からない、いや、何か、急いで何かを握れ……
気がつくと、頭、胸、腰を激しく打って、強い痛みを覚えていた。波に襲われた体は、幸いにもデッキの端で止まっていた。が、胸の命綱は外れていた。
力をふりしぼって痛む体を起こすと、海に何度も振り落とされそうになりながら、濡れて滑る大揺れのデッキを船首に這い進み、水中のマストにつながるワイヤーを切り離す。
常に点検と整備を欠かさなかったマストは、自分の体の一部のように大切なマストは、帆とワイヤーをつけたまま、海の底に沈んでいく。もったいない、でも、[青海]を守るため、自分が生きて陸に戻り着くため、しかたないと思った。
布袋からシー・アンカーを取り出すと、起伏の大きな海原に投下する。嵐の真っただ中、冬の山地に迷い込んだような、真っ白く泡立つ水面に、身の毛もよだつ烈風の海面に、オレンジ色の布製パラシュート型シー・アンカーが、ぞっとするほど不気味に鮮やかだ。
作業を無事に終え、やっとの思いで船室に戻ると、激しく揺れるベッドに倒れ込む。心も体も極限まで疲れ果て、何もかもが悲しすぎた。
2年前、ホーン岬上陸に成功して、ヨットのことも、海の上のことも、よく知ったつもりでいた。この美しい水の星を自由自在に旅するための、技術と知識を、手中にしたと思い込んでいた。でも、実際のところ、ぼくは海を少しも知っていなかった。
4年も前に住み慣れた祖国をわざわざ離れ、町にない大切なことを海に教えてもらおうと、無駄な努力や苦労を続け、二度と戻らない青春の日々を浪費して、ぼくは何も学んでいなかった。海を頭で理解していても、自分の体、体で知っていなかった。泣きたいほどに悔しかった。
船室の床に落ちて重なる本や衣類の間から、ナベと食器を拾い上げ、やっと見つけたライターで石油コンロに点火して、とっておきの米国製缶詰スープを温める。どんなに船酔いしても、これだけはうまいはずなのに、絶望と極度の疲労で神経がおかしくなったのか、奇妙なほど味がない。
ぼくはどうして、海を旅しているのだろう。陸の上で暮らすほうが、何倍も快適で安全で楽なのに。だいいち、この航海が、誰かの役に立つというのか。自分自身のためになるかさえ分からない。なのに、過去に決意したから、決めたからという理由で、旅を続けているのか。
運よく陸に着いたら、なんとかして旅費をつくり、すぐに飛行機で帰国しよう。以前は[青海]と運命を共にするつもりでいたけれど、船酔いと絶望感で、これほど苦しくつらいまま、海で死ぬのはいやだ。たとえ[青海]を捨てても、自分だけは助かりたい。日本に帰って、駅の立ち食いソバを味わいたい。
それにしても、これまで生死を共にした、ぼくにとって本当にかけがえのない[青海]が、かわいそうでたまらない。自分で頼みもしないのに、この世につくられて、25,000キロも旅した地球の裏で捨てられて……。もしかすると、そのどちらも[青海]は望んでいなかった。でも、それは、つくられたもの、生まれてきたもの、すべてに当てはまる、悲しさかもしれなかった。
転覆から二日ほどで嵐が収まり、乱立する大波の裏に隠れていた水平線が、再び見え始めると、帆桁のパイプでなんとか工夫して、短い応急マストを作り、役立つか分からないほど小さな帆に風をはらませる。
再び転覆せず、少しも潮に流されず、向かい風が全く吹かず、仮に直線で進めても、最寄りの陸まで五百キロ。
「敗走」、オレンジ色に輝く夕陽に向けて、つぶやきながら舵をとる。
4・二度と海に出たくない
転覆事故から一週間後、マストを失った[青海]は、半ば漂流するように陸地に着いた。
二万人収容のカジノを誇る観光都市、アルゼンチンのマルデルプラタ。港の隅に見つけたヨットクラブの桟橋に、ひっそりと[青海]を横付けする。
「助かった、命拾いした、ついに陸を踏めた」嬉しくて、嬉しくて、本当にスキップして町を歩いていた。が、それもわずか数日だった。
これまでの一年半、南極航海のため、ただそれだけのために自分のすべてをかけて、出発準備を続けてきた。南極の資料を求めてブエノスアイレスの町を歩き回り、資金稼ぎのアルバイトに励み、生活費を月20ドルまで切り詰め、汗とペンキと接着剤にまみれて[青海]の改造作業を進めてきた。なのに、嵐でマストが折れてしまうとは。
到着から丸一か月、夢が破れた胸の痛みに耐えながら、船室のベッドに寝込んでいた。タタミ一枚ほどの狭い床には、棚から落ちたニンジンやトマトやタマネギが、本や衣類や食器と重なり合って、そろそろ腐り始めていた。背も立たない低い天井には、転覆時にこぼれ落ちた米粒が、一面に海水で張りついて、ときおりポツリと落ちてくる。そのかすかな音に驚いて、夜中に何度も飛び起きた。転覆事故の精神的ショックが強すぎて、気持ちが異常に高ぶり続けていた。
ヨットクラブの桟橋には、噂を聞いた見物人が毎日のように訪れる。彼等は物珍しげに近寄って、マストのない[青海]を指さしながら、ひそひそ声で語り合う。だが、敗者など誰も相手にしないのか。同情の言葉をかける人も、励ます者もない。日本の友達に悲しみの手紙を送っても、なぜか返事は届かない。母国を出て約4年、ぼくのことを皆は忘れたのか。町で忙しく暮らす彼等には、命がけの航海も南極到達の夢も、どうでもよい小さなことなのか。
今回の転覆事故で、ぼくはすべての勇気を失った。海の恐怖が心をナイフのように傷つけた。勇ましかったぼくは、何物も恐れなかったぼくは、命知らずだったぼくは、臆病者になりさがった。海岸に崩れる波頭を見ても、冬山のような白い海原の記憶がよみがえり、夜の港に低く鳴る、防波堤に砕ける波音さえ、胸の奥まで突き刺さる。
もう二度と海に出たくない。
港で知り合った背の高いスイス人、ジョニーヴ・レイモンド、23歳。
自作の木製ヨットで地中海を出た彼は、南米を目指して大西洋を単独横断後、ここアルゼンチンにやってきた。さらに前進を続け、南米最南端に近いマゼラン海峡を目指すという。ジョニーヴのヨット〈FAREWELL〉は、全長7.5メートル。[青海]と同じ大きさだ。
冬の季節、大荒れの南大西洋を小さなヨットで下るのは、無謀で自殺行為に等しいと、港の人々は忠告する。が、彼は少しも耳を傾けない。
「本当に大切なのは、勇気と強固な意志だ。ヨットのサイズや嵐の強さは関係ない」
そう言いきる彼に、缶詰60個と海図のコピーを分け与え、
「頑張れ。決してあきらめるな。勇気と強固な意志を失うな」
と励まして、出港する〈FAREWELL〉を見送った。
が、半月後、マゼラン海峡の手前、南緯50度付近で大波に打たれ、船体を破損、海中に沈没したという。
無鉄砲、向こう見ず、怖いもの知らず――でも、これが若さ、勇ましさ、青春の素晴らしさだ。ぼくも以前は同じだったはずなのに、いつのまにか歳をとり、かつての勇気をなくしたのか。
日本を出るとき、ぼくは友人達に言いきった。「嵐でマストを失って、無人島に流れ着いても、木を切り倒して新しいマストを作り上げ、あきらめずに航海を続けてみせる」と。なのに、その強固な意志は、いつのまにか捨てたのか。
いや、違う、違うのだ。かつての勇気と強固な意志は、本当の海を知らないからだった。海の恐ろしさと厳しさを、頭で理解していても、自分の体、体で知っていなかった。
あの転覆事故は、海からの警告に違いない。こりずに再び海に出れば、もはや助かる見込みはないだろう。
大型ヨットでマルデルプラタに到着した、ジャンポールという男。
国籍、フランス。年齢45歳くらい。有名な海洋冒険家クストーのもと、〈カリプソ〉号の船長をしていた。20年前から南極航海を夢見、鋼鉄製ヨットを建造し、今年の夏、乗組員二人と一匹の猫を従えて、南極半島を訪れた。
ガスオーブン、温水シャワー、高価な電子航海機器、完璧な設備の船室で、彼は厳しく警告する。
「それほど小さなヨットで、南極に向かうべきではない。南米と南極を隔てるドレーク海峡は、地球上最悪の海なのだ」
彼は棚から本を取り出すと、ページを開いて波の写真を見せた。それはとてつもなく巨大で、波頭は巻いて崩れていた。
「高さ15メートル。いや、推測ではない、科学的に計測された確かな数値だ。これほどの波がドレーク海峡では実際に起こる。君のヨットのマストは半分ほどだろう。巨大波が襲ったら、どうするつもりか。我々が南極を離れ、ドレーク海峡を渡ってホーン岬に着いたとき、実に一安心したものだ。嵐で名高いホーン岬さえ、ドレーク海峡を体験した我々には、まさに安らぎの場所なのだ」
返す言葉がなかった。
「以前、粗末なヨットで南極を目指した男が、途中で転覆してマストを失い、アメリカ基地に援助を求めたことがある。それ以降、南極基地の人々はヨットを迷惑に感じていた。しかし、ここ数年は立派な装備のヨットが増え始め、我々は歓迎されている。なのに、そこに君が行って事故を起こせば、彼等は再び扉を閉ざして、ヨットの訪問を拒絶するだろう。どこかの小さなヨットが沈もうと、君が死のうと、少しの興味もない。ただ、南極航海の楽しみを奪われることが、どうにも我慢できないのだ」
そんな言い方はないだろう。夢が破れて失望の底にいる者に。ぼくだって自分なりに精一杯、ときには一人で泣きながら、本当にすべてをかけてきたのに。
「君がドレーク海峡を無事に渡って、仮に南極沿岸に着いたとしても、無数に浮く氷の角で削られて、船底に必ず穴が開く。私のヨットのように鋼鉄船でなければ、南極航海は不可能だ。プラスチック製の小さなヨットで、しかもたった一人、氷山を交代で見張ることのできない航海は、自殺行為に等しいと言える」
が、そう断言する彼は、[青海]を少しも知らないのだ。ベッドに寝たまま氷山を監視する大型ミラーをつけたこと。衝突に備え、金属板で船首を補強して、防水隔壁を船室に設けたこと。氷で削られるのを防ぐため、船底をステンレスの金網で覆ったことも。
これならばできる。と思った。
やはり、ぼくは南極に行く。なんとしても、どうしても行く。これは自分に課した決定事項だ。どのような言いわけも認めない。
つらいから、苦しいから、怖いからといって、夢を途中であきらめたら、これまでの努力は、何年も続けてきた苦労は、二度と戻ってこない若い日々は、なんのためになるのか。
日本を出る前に書き留めた目標の中に、〈旅によって不屈の精神力を養う〉という一項目があった。なのに、ここで屈したら、あきらめたら、日本を出てからの四年間が全く無意味になる。いや、残るものはマイナスばかりだ。
さあ、今こそ立ち上がるのだ。今こそ試練の時、今こそ再起する時だ。転んでも跳ね起きるのが青春ではないか。
単独で挑む南極航海は、命の保証のない冒険に違いない。[青海]ほど小さなヨットで、南極大陸に到達した前例はないのだ。しかしそれでも、より頑丈なマストを立て、船体を念入りに整備し、体力と精神力を鍛え、あきらめずに夢を必ず実現してみせる。多くの困難をどうにか克服して、ホーン岬上陸のように、絶対に勝ってみせる。
港の防波堤までランニングを続け、夜の海をしばらく眺めた。崩れる波頭を見つめても、もはや恐怖は覚えなかった。
再挑戦を半年後の夏に定めると、[青海]をトレーラーに積んでマルデルプラタの町を離れ、延々と続くアルゼンチンの大草原を朝から夕方まで突っ走る。真っ平らな円盤の大地に沈むオレンジ色の太陽は、あのなつかしい大海原に落ちる、まぶしい夕陽を見るようだ。
400キロ北の大都市、暮らし慣れたブエノスアイレスに着くと、ヨットクラブに置いた[青海]に住みながら、資金稼ぎにとりかかる。日本人中学生の家々を一晩に4時間ほど回り歩いて、数学や理科を教える日々が始まった。
昼間は全力で[青海]の修理を進めていく。以前より丈夫なマストを立てるため、強度計算を勉強し、マストのサンプルを入手すると、工業試験所で破壊強度試験を行った。マストに取り付けるステンレスの金具類は、頑丈な設計図面を描くと、何週間も鉄工所に通って機械を借りながら自作する。工業金物店をバスや電車で訪ね回って、部品や材料を探したり、食事も忘れてエンジン整備を進めたり、ぼくは時間と競争で駆けていた。
修理作業とアルバイトに追われる日々は、夢の中で暮らした月日のように飛び去って、ブエノスアイレスに再び夏が訪れた。ただちに出発しなくては、南極の夏場に間に合わない。だが、船体にマストが立って出航準備を終えたのは、予定を大幅に過ぎた一月の末。3000キロ先の南極には、早くて三月初めの到着だろう。
それは間違いなく夏の終わり。またもや季節外れで常識外れと、頭の中では知っていた。
ブエノスアイレスを離れた[青海]は、一週間、二週間、ひたすらに海を南下する。
緯度は南緯35、40、50度と変わり、気温は15度に下がり、10度をきり、気圧も確実に降下して、海面に立つ波は高さと衝撃力を増していく。
激しい揺れに、食器や本が船室内を飛び回り、用意した二種類の船酔い薬は効かなくて、ベッドに寝ているだけで苦しくて、背骨を痛いほど打つ波と、人を威嚇する風の音に、フトンを被って耐えながら、さらにつらくなるのを知りながら、空腹で動けなくなるのを知りながら、飯を作る気力もない。南下というより、南極という得体の知れない地獄に向けて、一直線に落ちるようだ。
ぼくはどうして南極を目指すのか。本当に地球最南の海と大陸に着けるのか。仮に南極の海に達しても、氷の間を安全に航海できるのか。そして無事に帰って来られるか。
いや、そんなことは、どうでもいいのかもしれない。生きて帰れば成功で、命を失えば失敗か。成功はよいことで、失敗するのはだめなのか。大切なものは、別のところにあるはずだ。
転覆に関する詳しい解説は、
BlueWaterStory02・ 炸裂する波頭、
転覆と再起については、
BlueWaterStory21・マストがない、
を御覧下さい。