-- これは実話です --
25話  白い幻影
blue iceberg
海面上の高さ5mを超えるものを「氷山」と呼ぶ。体積の約9割が水面下に隠れ、その部分の形状は推測困難である。海中で横に大きく突き出している場合、通過する船舶の底に触れ、被害を与えることもあるという。不用意に接近しないよう注意が必要である。

予想外の事態と一連の失敗は、朝寝坊から始まった。  

南極に着いて3日目の朝、船内は氷点下に近く、ベッドの暖かいフトンを出るのが面倒で、ぼくは早朝5時の出発を延していた。

次の停泊地は200kmほど先のメルキョー(Melchior)群島だ。海図を見ても、途中に停泊できそうな湾はない。小さな<青海> の速度では、徹夜で氷山を見張る2日がかりの航海だ。

が、わざわざ早朝に出なくても、計算では翌日の昼過ぎに着くだろう。ぼくはベッドに寝たまま、すべてを楽観していたのだ。

結局、デセプション島の入江を出たのは、朝8時過ぎだった。まぶしい雪山が続くリング状の島の中を、出口に向けて1時間以上も前進する。が、急に針路が狂い始めた。氷海航行のために装備した、オートパイロットの故障だ! ――予期せぬ一連の出来事の始まりだった。

直ちに停船すると、修理に取りかかる。だが、本体を開けようにもネジに合うドライバーがない。ぼくは工具入れから砥石とヤスリを取り出すと、ドライバーの先を削って合わせることにした。  

それにしても、人間の気配のないリング状の島の中、周囲を白銀の山々に囲まれたスリバチの底のような水面で、機械を一人ぼっちで修理している……。半分夢を見ているような、妙に不思議な出来事に感じられた。  

ようやく島の外に出たのは、昼少し前。微弱な向かい風で帆は張れず、エンジンを回して進んでいく。強い潮流があるようで、小さくても険悪な三角波が立っている。  

予想外の修理で時間を無駄にしたが、明日の夕方には目的地に着くだろう。と、その時点でも、ぼくはまだ楽観していたのだ。南極では想像もつかないことが、いくらでも起こり得るはずなのに。  

やがて数個の氷山と出合い、一つは今にも衝突しそうなほど近くを通過した。それにしても、なぜ、あんなに透き通った青なのか? 独特の表面模様は、どうしてできたのか?  垂直に切り立つ氷壁に、波が白く砕けている。  

水平線に奇妙な光を目撃したのは、その日の夕方過ぎだった。進むにつれて、輝く点は形と大きさを持ち始め、こうこうと光る黄金色の塊に変化した。ぼくは双眼鏡を取り上げる。

丸屋根の大きな教会堂、いや、ロケットの巨大な格納庫にも見える。どうしてここ南極に? まさか宇宙人の基地……?   ハンドコンパスを向けて方位を測り、海図上で確かめると、それはどうやらオースチンという名の大岩だ。しかし、まるで人工物のような外観は、とても自然の産物には思えない。

次の奇妙な体験は、真夜中過ぎに始まった。薄闇と寒さの中、2個のカイロと紅茶で体を暖めながら、水平線に目を凝らし、徹夜で前進を続けていた。 無風に近い夜だから、帆を下げたまま、墨汁のように黒い水をエンジンのパワーで切り進む。

周囲の闇には、ぼおっと燐光を発するように、氷に覆われた島々の姿――病の床でうなされて見た、薄白い幻影のようだった。  

奇妙なことに、まわりの黒い海面に浮く島々は、一時間前と少しも配置が変わらない。それどころかさらに数時間走っても、白い幻のような島影は、全く後ろに過ぎ去らない。

おかしい。 <青海>は真夜中の海にエンジンを鳴らし、速度4ノットで進んでいるはずだ。停船しているわけがない。逃げようとしても前に少しも進まない、奇妙な悪夢の中にいるようだ。  

ライトを握り、船体の左右に光を振ると、すぐ横の黒い水面は、どんどん後ろに飛んでいく。やはり停船しているわけがない。なのに、島々が一つも過ぎ去らないのは……。

強い海流に押し戻されているのだ!   

ただちにエンジンをフル回転にすると、最高速度5.5ノットで、黒い海面を夢中で突き進む。薄白い光をぼおっと放つ幻影のような島々は、幸いにも闇の中を動き始め、ゆっくりと後方に去っていく。エンジン整備に少しでも手抜きや妥協があれば、高速回転に耐えられず、前進は不可能に近かった。 海図も満足に作られていない最果ての海、そこは第一級の難所かもしれない。  

全力で走る<青海> が、流れを無事に抜けたとき、南極の夜空は寒々と白んで明けていた。進行状況を海図で調べると、目指すメルキョー群島はまだ100km以上も先だった。昨夜は予想外の時間を無駄にして、もはや日没前の到着は難しい。  

でも、だからといって、夜の群島に進入すれば、闇に隠れた岩や氷に衝突するだろう。群島の前で朝を待とうにも、2日続きの徹夜では、体力と注意力が低下して、致命的な事故を招くかもしれない。  

どうしよう? が、どうしようもなかった。ともかく進み続ける以外には。


 解説


 月刊<舵>201206月号より。

25話目は、徹夜の南極航海です。

南極の入口、デセプション島に着いた<青海>は、一日半の休息をとった後、 南極大陸に向けてさらに南下を開始します。

とはいえ、次の目的地メルキョー群島まで200kmほどもあります。海図や水路誌を調べても、途中に停泊できそうな湾はありません。<青海>の速度はせいぜい4ノット、時速7km程度ですから、順調でも27時間ほど必要です。つまり、徹夜で走る2日がかりの航海になります。
to Melchior island in the antarctic
しかし、これは大問題でした。未調査の部分が少なくない南極沿岸を夜間に走るのは、とても危険なことだからです。闇の中で、海図に描かれていない暗礁に乗り上げないでしょうか? 氷山に衝突するかもしれません。とはいえ、途中に安全な停泊場所がない以上、ともかく徹夜で航海するしかないのです。
leaving Deception island
<青海>がデセプション島を出た際の写真です。走る船尾を追うように、海面には魚が跳ねています。と思って双眼鏡を向けると、それはペンギンたちでした。クチバシがオレンジ色ですね。ジェントゥーペンギンという種類です。
icebergs
やがて、幾つかの氷山に出合いました。奇妙な形ですね。左手遠くに、もう一個の氷山が見えます。夜間、知らないうちに衝突するかもしれません。そろそろ日暮れが迫っていたのです。


ところで、氷山って何でしょう。海に浮かんでいる氷のことでしょうか? でも、大きさは?  以下に記したのは、International Ice patrol という組織により定められた、氷山の定義 です。

  1. グローラー(Growler)--------高さ1m以下、長さ5m以下
  2. バーギービット(Bergy Bit)--高さ1-5m、長さ5-15m
  3. 小氷山(small)--------------高さ5-15m、長さ15-60m
  4. 中氷山(Medium)-------------高さ15-45m、長さ60-120m
  5. 大氷山(Large)--------------高さ45-75m、長さ120-200m
  6. 巨大氷山(Very Large)-------高さ75m以上、長さ200m以上

以上を見ると、高さ5m以上なければ氷山と言わないようですね。<青海>のマストの高さが約10mですから、少なくともマストの半分ほど、スプレッダー程度の高さが必要です。
size of icebergs
    では次に氷山の形による分類を見てみましょう。
  1. テーブル型(Tabular)
  2. ドーム型(Dome)
  3. ブロック型(Blocky)
  4. くさび型(Wdge)
  5. ドライドック型(Drydock)
  6. 尖塔型(Pinnacle)
以上の6つに分類されています。
types of icebergs
ドライドック型というのは、氷山にU字型の切れ込みが入り、それが水面もしくは水面下に達するもので、近接した2個の氷山に見えることがあります。

ところで、これらの氷山、水面下の形はどうなっているのでしょうか? 答えは、「全く想像がつかない」というものです。

御存知のように、氷山の90%(体積)は水面下にありますが、その形を推測するのは困難です。下の写真、<青海>の近くに浮いていたグローラーをデッキから撮影したものですが、水面下の形が見えないように隠しています。下がどうなっているか、想像出来ますか? 頭の中にイメージを描いてから、マウスで写真をクリックしてください。イメージしてからですよ!


iceberg model
どうです? 意外だったでしょう。 氷山にむやみに近づくと、水中で横に突き出す氷に船底が衝突することも分かるでしょう。これは実写したものですが、下はインターネット上で見つけた合成写真です。

iceberg underwater
( Created by Uwe Kils CC BY-SA 3.0)
氷山に近づくと危険な理由は、水中で氷が横に突き出していることばかりではありません。実は氷山は刻々と溶けていますから、そのためにバランスが変わり、急に回転する場合があるというのです。実際、上の写真の氷山は、縦よりも横になった方が安定するようにも見えます。こんな氷山がグルリと回ったら、付近にいる小さな<青海>は、ひとたまりもありませんね。
(続く....かも)


このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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