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月刊<舵>2010年10月号より。
今回から、南米チリ多島海の航海が始まります。
地図上でチリ多島海を確認してみましょう。
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今回のエピソードは、チリ多島海の入口、チャカオ水道(海峡)の航海です。ここを通り、多島海内部へと進入していきます。まずは、地図で位置を見てみましょう。
図中のチロエ島は、日本で言えば四国の半分ほどの面積で、小さな町や村もあり、チリ多島海では人口の一番多い島です。その島と南米大陸の間が、チャカオ海峡です。
海峡の幅は狭いところで約2km。、全長25kmほどです。潮の満ち引きのたびに、膨大な量の海水が、この水道を通って太平洋から多島海の中に出入りします。当然、この海峡では潮の流れが速く、最大9ノットに達するのです。
9ノットというと、時速17キロほどですから、たいした速度には思えないかもしれません。でも、<青海>の平均速度が3から4ノット、エンジンを回した際の最高速度が5.2ノットですから、潮の向きに逆らって進むことは全くできません。潮の時刻に合わせ、潮の流れに乗り、海峡を渡らなくてはなりません。
そしてもう一つ、大切なのは天気です。風向きと潮の流れの組み合わせしだいでは、波長の短い波が立ち、危険な状況となる場合があるからです。
そこで[青海]は、チャカオ海峡の手前、Ancudという町の前に錨を降ろし、出発のチャンスを待ちました。二日ほどで、それまでの強風が収まり、天気が安定してくると、米海軍発行水路誌やチリ政府発行の潮汐表をもとに、明日の予定を慎重に立てました。
05:00 起床、朝食
05:30 アンカー回収作業開始
06:00 出発
06:30 日の出
07:01 東向き潮流の開始
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上の図は、チャカオ海峡における<青海>のコースを示したものです。赤く塗られた部分が、危険な岩や浅瀬です。
浅瀬として、水深5メートル以下の場所をマークしてあります。水深5メートルというと、小型ヨットには充分な深さです。しかし、そこには近寄らないのが賢明です。なぜなら、この地方では、浅い海底の場所にはケルプと呼ばれる大型海草が茂り、海面まで達していることが少なくないからです。また、チャカオ海峡のように潮流の速い場所では、浅瀬の付近で潮流が乱れ、渦を巻いたり、急峻な潮波を立てる場合があるからです。
チャカオ海峡の中で最も危険な障害物の一つは、レモリノス(Remolinos)と呼ばれる洗岩です。図から分かるように、水路の真ん中にあり、 水深100メートル前後の海底から、水面ぎりぎりの高さまで突き出ています。大潮のときを除き、通常は水面下に隠れているため、存在を知ることは困難であり、きわめて危険です。(スイスの三宅氏提供の資料によれば、現在では高さ8メートルの灯標が、目印として岩の上に立てられているとのことです)
<青海>は図上の錨マークの位置に停泊していたのですが、錨を揚げると、チャカオ海峡に向けて進んでいきます。でも、予定より出発が遅れたため、すでに東流が始まっており、右側の浅瀬や岩に向けてどんどん吸い寄せられていくのです。
いつ座礁するか心配で、ハラハラドキドキの連続でした。
舵誌の本文にも書きましたが、測深器の超音波が潮流で乱れ、5メートルや1メートルというメチャクチャな浅い水深が出るのです。怖くて仕方がありませんでした。
出発から1時間ほどで水道に入ると、<青海>は潮に乗ってどんどん進んでいきます。危険なレモリノス岩の横も、やがて無事に通り過ぎることができました。もちろん、岩がどこにあるかは全く分からないままの通過でした。
そして無事に海峡の出口まで来たのですが、そこに待っていたのは激しい潮波と渦でした。
これは舵誌掲載写真の一部を拡大したものです。少なくとも2方向から、波が来ていることが分かります。周囲はほとんど無風でしたから、風ではなく潮流で波が立っているのです。
たいした波には見えないかもしれません。でも、注意してほしいのは、これが風の立てる波ではなく、潮の立てる波だということです。つまり、海面上の波ばかりでなく、水中の流れまで、違う方向のものが混在しているということでしょう。
風で起きた波が複数方向から来る状況のときも、海面は同様に見えるかもしれません。しかし、それは水の表面だけの現象でしょう。海面に複数方向の潮波が混在している場合は、海面上だけではなく、水の中まで大混乱しているのです。 同じように考えるわけにはいきません。
実際、船体は右に運ばれたと思えば左に運ばれ、舵の自由を失い、あわてることの連続でした。自動車を運転中にハンドルがきかなくなるように、どっちに進むか分からず、とても怖かったのです。
この写真をよく見ていただくと、大きな渦であることが分かります。チャカオ海峡の出口(多島海側)では、このような渦や潮波がよく起きることが知られています。
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で、どうにか海峡を通過し、ついにあこがれのチリ多島海に入ったのです。
[青海]は暗礁と潮流に細心の注意を払いながら、というより、びくびくしながら、多島海最初の寄港地、プエルトモントに向けて進んでいきます。そこには、それまでの厳しい外洋航海とは異質な、とても幸せな風景が広がっていました。
島々の上には、所々に家々が散らばっています。少ない島の人口から推測して、経営が成り立つか心配になるほど、教会が多いのです。浜辺には船が引き上げられ、海面には帆を張った小舟も見えています。
そしてあちらこちらで、手こぎボートが島から島へと行き来しています。船外機の付いた舟はなく、エンジンの騒音も全くありません。子供ばかり数人が乗った小舟も見えるのです。風と潮は強く、その距離は決して短くないというのに。
<青海>が入江に錨を打つと、子供達が遊びにやって来ました。皆、つぎはぎだらけの粗末な服を着ています。デッキに上がると、帆を触り、「シンテティコ(=synthetic=合成)」と驚いています。どうやら、この地方の帆は木綿製らしいのです。(註・1980年代のことです。現状をご存じの方は、お知らせください)
サンフランシスコから積んできたオレンジを、船首の食料置き場から取り出すと、一人一人の手の平にのせました。「グラーシャス(=ありがとう)」と言って、気持ちよく受け取ってくれました。ここでは、「知らない人から物をもらっちゃだめ」なんていう教育は、していないようですね。