-- これは実話です --
多島海の門・潮波の水道

複数方向の潮波が交錯する、無風のチャカオ水道

chacao canal

新しい世界に飛び込み、これから実力が試されるとき、不安と期待の入り交じった複雑な気持ちになるだろう。

自分にはできるのか? 能力の限界を超えていて、何もできずに自分は終わってしまうのか? それとも、想像を超える鮮烈な体験や感動が待っているのか? 

ホーン岬に向かう<青海>の前には、チリ多島海の入り口が開いていた。


島々が1800キロ以上も続く、南米パタゴニア地方の多島海。このあこがれの地を航海するために、どれほど準備を重ねたことだろう。

寄港地でアルバイトをして資金を稼ぎ、多島海の航海資料をそろえ、錨の装備を調え、錨泊技術を勉強し、チリ海軍本部を訪ねて情報収集もした。

だが、無数の島々が日本の本州ほども続く海域を、座礁せずに単独航海できるのか? アンデス山脈から吹き下ろすウィリウォウという烈風に、小さなヨットは吹き流されてしまうのでは? ――チリ多島海を進むには、大洋航海のものとは違う種類の、知識と技術が必要だった。

南米西岸を下る<青海>が、ついにチリ多島海の北口、チャカオ(Chacao)水道を前にしたとき、風力は6に迫っていた。でも、まもなく陸の陰に入り、風は弱まるだろうから、縮帆するのをためらっていた。

が、双眼鏡で前方を調べると、予想に反し、陸に近い海面も、強風の立てる白波に覆われている。このまま陸に近づくのは危険だった。

あわててメインセールのリーフ作業を開始した。が、なぜかすぐに風が落ち、さらに陸が近づくと無風になった。

全くわけが分からなかった。頭の中が混乱した。さきほど双眼鏡で見たとおり、あたり一面には白波が立っていたからだ。 風がないというのに。

「なんということだろう。これは強い潮流の起こす潮波だ。チャカオ水道のまだ手前で、これほどの潮に遭おうとは」

付近の湾に錨を打つと、本番の水道通過に備え、ぼくは慎重に計画を練ることにした。

「チャカオ水道の潮流は、きわめて危険である」と警告する米軍水路誌を熟読し、海図上で浅瀬や暗岩をマークして、安全なコースの線を引き、9ノットに達するという潮流の時刻を潮汐表で確かめる。

海図上で実際の航海状況をイメージしながら、進むにつれて岬や湾が、どんな形で現れて消えるか、模擬航海も行った。

二日後、天気が安定すると、凪の海にエンジンを鳴らして出発した。すでに潮は東流を開始して、<青海>は水道の口に吸い込まれように、コースを外れて進むから、浅瀬に近づきそうで気が気でない。

海面には、無風にもかかわらず潮波が立っている。潮流で測深器の超音波が乱れ、メチャクチャな水深表示が出るたびに、今にも座礁しそうで恐ろしい。

水道内は、まるで流れの速い川だった。自動車に乗るように、左右の景色がどんどん過ぎていく。衝突を警戒していたRemolinos洗岩の横も、やがて無事に通過して、およそ12マイルをわずか1時間15分で走りきり、思いのほか順調に<青海>は水道の出口を前にした。

が、気がつくと、いつのまにか潮の渦巻く海面に入っていた。舵はほとんどきかないし、船体は大揺れで、<青海>はよろめくばかりでどこに向かうか分からない。初めて体験する渦潮の怖さに、ぼくはどうしてよいか分からず慌てていた。


大洋航海の経験しかない自分にとって、チリ多島海の入り口は、最初の試煉に違いなかった。それは確実なナビゲーションと停泊技術を要求される航海の始まり、決して忘れ得ない鮮烈な体験の数々の、ほんの始まりでもあった。

Hints for safe sailing
潮流で注意すべきことの一つは、風との相互作用である。特に潮の向きが風向と相反する場合、険悪な三角波が立ち、小型艇に危険な状況となることがある。潮流の速い場所を通る際は、事前にローカル・インフォメーションを収集するとともに、潮汐表や海図等で慎重に航海計画を練り、最適な時刻と天気を根気よく待たねばならない。



 解説

月刊<舵>201010月号より。



今回から、南米チリ多島海の航海が始まります。

 

地図上でチリ多島海を確認してみましょう。

チリ多島海地図

上下逆に配置した日本地図から分かるように、チリ多島海は緯度が北海道より高いため、寒く気候の厳しい場所であると想像できます。

また、チリ多島海の南北方向の長さは、日本の本州かそれ以上もあり、かなり広大な地域であることも分かります。そこには無数の島々が延々と続いているのですが、99パーセント以上が無人島です。

その寂しい秘境の海を、<青海>はホーン岬に向けて航海しようというわけです。


今回のエピソードは、チリ多島海の入口、チャカオ水道(海峡)の航海です。ここを通り、多島海内部へと進入していきます。まずは、地図で位置を見てみましょう。



図中のチロエ島は、日本で言えば四国の半分ほどの面積で、小さな町や村もあり、チリ多島海では人口の一番多い島です。その島と南米大陸の間が、チャカオ海峡です。

海峡の幅は狭いところで約2km。、全長25kmほどです。潮の満ち引きのたびに、膨大な量の海水が、この水道を通って太平洋から多島海の中に出入りします。当然、この海峡では潮の流れが速く、最大9ノットに達するのです。

9ノットというと、時速17キロほどですから、たいした速度には思えないかもしれません。でも、<青海>の平均速度が3から4ノット、エンジンを回した際の最高速度が5.2ノットですから、潮の向きに逆らって進むことは全くできません。潮の時刻に合わせ、潮の流れに乗り、海峡を渡らなくてはなりません。

 

そしてもう一つ、大切なのは天気です。風向きと潮の流れの組み合わせしだいでは、波長の短い波が立ち、危険な状況となる場合があるからです。

そこで[青海]は、チャカオ海峡の手前、Ancudという町の前に錨を降ろし、出発のチャンスを待ちました。二日ほどで、それまでの強風が収まり、天気が安定してくると、米海軍発行水路誌やチリ政府発行の潮汐表をもとに、明日の予定を慎重に立てました。

05:00 起床、朝食
05:30 アンカー回収作業開始
06:00 出発
06:30 日の出
07:01 東向き潮流の開始


canal de chacao map


上の図は、チャカオ海峡における<青海>のコースを示したものです。赤く塗られた部分が、危険な岩や浅瀬です。

浅瀬として、水深5メートル以下の場所をマークしてあります。水深5メートルというと、小型ヨットには充分な深さです。しかし、そこには近寄らないのが賢明です。なぜなら、この地方では、浅い海底の場所にはケルプと呼ばれる大型海草が茂り、海面まで達していることが少なくないからです。また、チャカオ海峡のように潮流の速い場所では、浅瀬の付近で潮流が乱れ、渦を巻いたり、急峻な潮波を立てる場合があるからです。

チャカオ海峡の中で最も危険な障害物の一つは、レモリノス(Remolinos)と呼ばれる洗岩です。図から分かるように、水路の真ん中にあり、 水深100メートル前後の海底から、水面ぎりぎりの高さまで突き出ています。大潮のときを除き、通常は水面下に隠れているため、存在を知ることは困難であり、きわめて危険です。(スイスの三宅氏提供の資料によれば、現在では高さ8メートルの灯標が、目印として岩の上に立てられているとのことです)

<青海>は図上の錨マークの位置に停泊していたのですが、錨を揚げると、チャカオ海峡に向けて進んでいきます。でも、予定より出発が遅れたため、すでに東流が始まっており、右側の浅瀬や岩に向けてどんどん吸い寄せられていくのです。 いつ座礁するか心配で、ハラハラドキドキの連続でした。

舵誌の本文にも書きましたが、測深器の超音波が潮流で乱れ、5メートルや1メートルというメチャクチャな浅い水深が出るのです。怖くて仕方がありませんでした。

出発から1時間ほどで水道に入ると、<青海>は潮に乗ってどんどん進んでいきます。危険なレモリノス岩の横も、やがて無事に通り過ぎることができました。もちろん、岩がどこにあるかは全く分からないままの通過でした。

そして無事に海峡の出口まで来たのですが、そこに待っていたのは激しい潮波と渦でした。

チャカオ海峡の潮波

これは舵誌掲載写真の一部を拡大したものです。少なくとも2方向から、波が来ていることが分かります。周囲はほとんど無風でしたから、風ではなく潮流で波が立っているのです。

たいした波には見えないかもしれません。でも、注意してほしいのは、これが風の立てる波ではなく、潮の立てる波だということです。つまり、海面上の波ばかりでなく、水中の流れまで、違う方向のものが混在しているということでしょう。

風で起きた波が複数方向から来る状況のときも、海面は同様に見えるかもしれません。しかし、それは水の表面だけの現象でしょう。海面に複数方向の潮波が混在している場合は、海面上だけではなく、水の中まで大混乱しているのです。 同じように考えるわけにはいきません。

実際、船体は右に運ばれたと思えば左に運ばれ、舵の自由を失い、あわてることの連続でした。自動車を運転中にハンドルがきかなくなるように、どっちに進むか分からず、とても怖かったのです。

渦潮の写真

この写真をよく見ていただくと、大きな渦であることが分かります。チャカオ海峡の出口(多島海側)では、このような渦や潮波がよく起きることが知られています。


で、どうにか海峡を通過し、ついにあこがれのチリ多島海に入ったのです。

[青海]は暗礁と潮流に細心の注意を払いながら、というより、びくびくしながら、多島海最初の寄港地、プエルトモントに向けて進んでいきます。そこには、それまでの厳しい外洋航海とは異質な、とても幸せな風景が広がっていました。

calbuco island

島々の上には、所々に家々が散らばっています。少ない島の人口から推測して、経営が成り立つか心配になるほど、教会が多いのです。浜辺には船が引き上げられ、海面には帆を張った小舟も見えています。

そしてあちらこちらで、手こぎボートが島から島へと行き来しています。船外機の付いた舟はなく、エンジンの騒音も全くありません。子供ばかり数人が乗った小舟も見えるのです。風と潮は強く、その距離は決して短くないというのに。

ボート上の子供達

<青海>が入江に錨を打つと、子供達が遊びにやって来ました。皆、つぎはぎだらけの粗末な服を着ています。デッキに上がると、帆を触り、「シンテティコ(=synthetic=合成)」と驚いています。どうやら、この地方の帆は木綿製らしいのです。(註・1980年代のことです。現状をご存じの方は、お知らせください)

サンフランシスコから積んできたオレンジを、船首の食料置き場から取り出すと、一人一人の手の平にのせました。「グラーシャス(=ありがとう)」と言って、気持ちよく受け取ってくれました。ここでは、「知らない人から物をもらっちゃだめ」なんていう教育は、していないようですね。


カルブコ島の子供達

彼らがボートを漕いで帰った後、しばらくすると何人かが再び訪れ、先ほどのお礼のつもりでしょうか、手さげ袋一杯のジャガイモを渡してくれました。土のついた、赤みを帯びた取り立てのうまそうなポテトです。そういえば、ここはジャガイモの本場でした。もともと、南米原産の植物ですから。

<青海>が錨を打った、長さ約8キロ幅数百メートルの細長い入江の奥からは、風がときおり、うなりを上げて吹いてきます。やがて<青海>のまわりでは、チャプチャプと音を立て、潮が川のように流れ始めました。この入江(Huito)では、潮流は4ノットに達するということです。

<青海>の小窓から、その流れをずっと見ていました。風の音を聞いていました。そしてふと、この流れは永遠に続き、風はいつまでも永遠に吹き続けるような気がしたのです。まるで時間と時代の流れの縮図を、この目で見ているようでした。多島海の中では、もしかすると時間の進み方が狂っているのかもしれません。



up↑

トップページのメニューへ