月刊<舵>2011年8月号より。
この水道に関しては、色々とお伝えしたいことがあるのですが、特に有名なのは氷河です。
このあたりは南緯55度。日本付近で言うと樺太の北端よりもさらに高緯度で、気候は寒く、山には雪が積もります。長年降り積もった雪は圧縮されて氷となり、重みで山々の谷間をゆっくりと下って海に落ちます。それが氷河です。(氷河の青いスクリーンに、氷河の図解があります。)
これまで数か月もチリ多島海を走る途中、氷河は何度も見たのですが、ビーグル水道内の氷河は特に素晴らしいものでした。
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では、本文の航海をもう一度振り返ってみましょう。
これがビーグル水道内の入江、カレタ・モーニングです。数日続いた嵐も静まった、出発の朝です。山々は雪をかぶり、まるで墨絵のような、色彩のない世界です。
やがて入江を出た<青海>は、次の停泊地に向けてビーグル水道を走ります。
嵐の後で風は穏やか、波もほとんどありません。チリ多島海は猛烈な嵐で知られますが、こうして入江の中で嵐の終わりを待ち、風の弱い日に走れば、たとえ一人でも航海できるわけです。
吸い込む空気はすがすがしく、幅1マイルほどの狭い水路の岸辺には、山々が連なってそびえています。
そして山の上では、氷河が青い蛍光色の光を放っています。近くの水面には、海に崩れた氷河の一片が浮いています。帆はだらりと垂れ下がり、風がほとんどありません。
その日の夕方には、70km程先のフェラリ泊地に到着し、<青海>は錨を投下します。が、本文に書いたとおり、錨が滑ってしまうのです。 錨は海底の泥に潜っていることは確かなのですが、なぜか利かないという、訳の分からない不思議な状況でした。
そこで活躍したのが、このPaul-Luke製フィッシャーマンアンカーです。重量40ポンド(約18kg)あり、<青海>が持つ最大のアンカーです。ちなみに、他には35ポンドgenuineCQR型アンカー、30ポンドDanforth型アンカーと、24フィートにしてはかなり大きめの錨が揃えてあります。もちろん、アンカーロープは数百メートルも用意してあります。
アンカーを選ぶ際、カタログに載っているholding power の数値に惑わされないでください。カタログデータは、完全に海底に食い込み、海底が壊れないという前提での数値です。海底に対する食い込み性能が悪い錨であれば、その数値は全く意味を持ちません。詳しくは、また機会があればご説明しましょう。
これは翌朝、フェラリ入江で撮影したものです。直前まで風は全くなく、水面には山々が完全にそのままの姿で反射していました。でも、太陽が昇り始めたのでしょうか。海面には突然に細波が立ち始めました。
こんな美しい景色の中にいることが現実で、日本で暮らしていた日々は夢の中の出来事のようでした。
大自然の中で暮らす自分が本物で、町の中で忙しく暮らす自分は仮の姿だったのだと、そんな気持ちになったのです。