月刊<舵>2012年8月号より。
南極基地の廃墟を訪ねた話です。
南極の火山島デセプション島を発った<青海>は3日目になって、やっとの思いでメルキョー群島に着きますが、そこには基地があったのです。1947年にアルゼンチンが建設した「Melchior」基地です。
以下の地図は、メルキョー群島の位置と島々の配置を表したものです。

島々にはギリシャ文字のアルファから始まる名前が付いています。例えば、地図右端の中央にはπ(パイ)島がありますし、その左には大きなω(オメガ)島があります。
基地があるのは、γ(ガンマ)島です。南極の基地は、実はどこにでも作ることができるわけではありません。ほとんどの陸地は氷で覆われていますが、氷の上に基地を建てると、氷の移動とともに運ばれて、やがては海に落ちてしまうからです。
そういうわけで、海岸の基地はどうしても岩場に建てなくてはなりません。しかし、平坦な岩場は南極沿岸ではきわめて少なく、基地を建てることが可能な場所は限られているのです。
その貴重な岩場があるのはガンマ島でした。下の写真が、ガンマ島を北側から見たものです。矢印の先、黒っぽい岩場に赤い建物が三棟、周囲には通信用鉄塔が並んでいるのが分かります。島全体の面積に比べ、岩場はほんの少しですね。まさに猫の額ほどの狭さでしょうか。
この基地には一応、コンクリート製の桟橋がありましたから、<青海>のバウを着けて上陸しました。もちろん船尾からはアンカーを打っています。
桟橋に上がると、そこにはドラム缶が何本も置いてありました。デセプション島からここに来るまで、潮流に流されて予想外の燃料を消費しましたから、軽油を少し頂こうと思いました。
ところが、ホースを差し込んでみると、大半が水だったのです。

岩場の表面には、右の写真で分かるようにペンキの落書きがたくさんありました。ここを訪れた人々が自分の名前を記念に書いたのでしょうか。
桟橋から岩場を少し上り、基地の母屋に向かいました。建物の中はどうなっているのでしょう。探検してみたいですね。
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英国海軍発行の南極水路誌によれば、この基地が建設されたのは1947年であり、"Inspected 1963"と追記されています。基地が閉鎖されたのは、これより前ということになります。実際、1961年までは、この基地の気象観測データがあるのです。以下にそれを見てみましょう。

南半球ですから、2月が真夏で8月が真冬です。グラフから分かるように、夏の月間最高気温は、+10度近くまで上昇しています。一方、冬の月間最低気温は-30℃で、日本の北海道程度です。夏場は北海道より寒いとはいえ、ここは南極でも暖かい地方のようですね。
さて、桟橋から岩場を少し登って行くと、母屋の前に着きました。窓には板が打ち付けてあり、中の様子は分かりません。板のすき間からのぞいても、中は暗くて何も見えません。

入口のドアの前に立ち、真鍮製の丸い取っ手を回しても、鍵がかけてあるようで開きません。しかし、その横の壁には、小さな木箱が打ち付けてあったのです。中を見ると、鍵が入っているではありませんか!
ドアを開けてみると中は暗く、オバケでも出たら一人では対処不能に思えました。で、<青海>に引き返してライトを持ってきたのです。

上の写真に入口が示してあります。母屋の壁に描かれた、水色・白・水色のマークは何か分かりますか?
(答:
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下の図が、航海日誌に描いた母屋の見取り図です。読みにくいので、字を緑色で書き直してあります。かなりいい加減で信頼できませんが。

入口を通って左側に休憩室、そこからベッドルームがしばらく続き、各部屋にはスチーム暖房のゴツゴツした鋳物の放熱器が設置されています。その奥にはトイレや台所等も並んでいます。医薬品庫には天井まである棚に大量の薬、注射器、ガーゼ、包帯等々が詰まっていました。
廊下の所々には、ガラス瓶に透明な液体が封入されて置いてありました。投げつけたとき、すぐに割れて液体が飛散するように準備された印象でした。おそらく、消火のための四塩化炭素(液体)だろうと思いました。南極基地で一番恐ろしいことの一つは、火災だからです。
このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。