烈風で岸の岩場に流された<青海>は、南緯65度が迫るドリアン湾で、懸命に離岸を試みていた。
だが、猛烈な向かい風に阻まれて、わずか3.5馬力の小さなエンジンでは、ほとんど前に進まない。といって、奥行200mほどの狭い湾内で、強風の吹き荒れる真っ暗闇の中、帆を揚げるのは無謀な試みだった。
とりあえずエンジンで何とか進み、フランス艇に助けを求めよう。彼らは岸から2本、沖の岩にも2本、長いロープを張っている。横腹に小さな<青海>をつないでも、おそらく吹き流される危険はない。
正面から襲う波と風に逆らって、ともかく全力前進を試みる。夢中で接近を試みる。が、やはりだめだ。どうにか途中までは行けるのに、風の力が強すぎて、最後の10メートルが進めない。もう少しでフランス艇に横着けけできるのに、それより前に進めない。
波と風の威力に負けて、岸に戻されかけるたび、エンジンが壊れそうなほど回転を上げて、全力前進を試みる。
が、何度やっても、だめだ。フランス艇の10メートル手前に達すると、不思議な力に引かれるように、なぜか止まってしまうのだ。
<青海>は前進できないまま、舵のコントロールを失って、ついに横流れを始めていた。高速回転するスクリューが、岸とフランス艇をつなぐ長いロープに触れれば、すぐに切断してしまう。
そう思う間に、船底からロープを擦る音が響いた。驚いてアクセルレバーを引き戻す。と同時に推進力を失った<青海>は、闇の中をどんどん岸に流れていく。
「これでは再び岩場に乗り上げる!」
あわててアクセルレバー前に押し、船首を沖に向け直すと、烈風と高波に逆らって、もう一度夢中で接近を試みる。
が、やはり、おかしい。残り10メートルまではどうにか行けるのに、それ以上は一歩も進めない。犬をつないだ鎖が張ったように、少しも前に進めない。
「犬の鎖? 鎖?? いや、ロープだ!」
急に思いついてライトを後ろの水面に向けると、船尾から岸に向けて白いラインが延びている――湾に着いた際に張った70メートルの停泊用ロープだった。暗闇の中で気が動転し、こんなことさえ忘れていたのだ。
即座にロープを外すと、海に投げ捨て、再び全力前進を試みる。まわりが空か海か分からないほど深い闇の中、ぼくが必死で点滅させる24万カンデラの強力サーチライト。まぶしい光に驚いて、フランス艇の二人はデッキに姿を現した。
<青海>は烈風と高波の威力に負けて、何度も岸に戻されそうになりながら、それでも少しずつ、少しずつ、フランス艇に近づいて、ついには真横に並ぶ。ところが二つの船体は波とうねりで互いに大きく上下して、船腹で何度も激しく衝突を繰り返す。これでは横着けは難しい。
「早くロープを投げろ」
風の絶叫が響く闇に、彼らが声を張り上げた。と同時に、ぼくは<青海>の船首に走ってロープを投げ渡す。ただちに船尾に駆け戻ると、もう一本のロープも渡し、船体の前後をしっかりとフランス艇に固定する。
「ああ、これで大丈夫、これで助かった、これで命拾いだ」
が、周囲をライトで確かめたとき、一大事に気づいた。フランス艇を岸につなぐロープのうち、一本が途中で切れている。驚いて横の海面にサーチライトを向けると、闇の中、黒光りする岩場が迫っていた。ロープの本数が減って力のバランスが崩れ、2艇は並んだまま、湾の横岸に流されていたのだ。
もはや、どうしようもない。ほどなく岩場に乗り上げ、波に持ち上げられては落とされ、岩に何度も打ちつけられて、船底が破れてしまうだろう。2艇とも航行不能になれば、我々3人は南極に残されたまま冬が来る。
絶望のあまり、しばらくデッキ立ちすくんでいたが、幸いにも残りのロープがどうにか効いて、2隻は岩場の直前で停まっていた。
さらに風力が増すか、ロープがもう一本切れれば、2隻とも座礁してしまう。
「南極の海はこりごりだ。夢なら、今すぐ覚めてほしい」
北の烈風が唸る闇の中、心の底から叫んでいた。
月刊<舵>2013年3月号より。