-- これは実話です --
基地は越冬態勢に
big wave 大波
英国ファラデー基地(ガリンデス島)付近の小湾に停泊中。船首と船尾からは、岸までロープを張っている。付近は水深が浅く、大きな氷塊や氷山は底がつかえて湾に入れない。写真下部手前の岩場には、南極ではきわめて稀なコケが生えている。

峡谷の底の通り道、ルメール水道で進路を氷に阻まれた<青海>は、進んでは止まり、止まっては動き、小さな氷ばかりの所を探して白い海面を少しずつ切り進み、やっとの思いで谷間の水道から抜け出した。

前方に寒々と開けた南極海、その水平線に浮く島々に双眼鏡を向けてみる。円い視野の片隅には、目指すガリンデス(Galindez)島、その上にミニチュアのように並ぶ英国ファラデー基地のアンテナ塔と建物群が見えてきた。

南極の広大な景色の中、それらはあまりにもかすかで、あまりにも微小な存在だった。(1996年、基地はウクライナに売却され、ベルナツキー基地と改名)

ガリンデス島の入江に着くと、氷海航行の強いストレスと疲労で、丸2日もベッドに倒れていた。約400メートル離れたファラデー基地をゴムボートで訪ねたのは、3月20日。すでに南半球は秋分だった。

冷凍室のような厚いドアの入口を通り、防寒服と手袋を脱いで2階の食堂に上がると、タータンチェック柄の赤シャツを着た男が出迎えた。隊員のユニフォームのようだ。

「ようこそ。テーブルで紅茶でもいかがですか。これまでフランスのヨットも来ましたよ」

「イギリスのヨットは? フランス人のほうが冒険好きかな」

「いやいや、我々英国人ほどにはね」

「ここには何人のメンバーが?」

「科学者、メカニック、調理師など合わせて24名ですが、まもなく半数以下に減りますよ。越冬態勢が始まって」

一通りの話と基地の見学が終わると、ぼくはシャワーを浴びたいと頼んでみた。

「真水は貴重です。無駄にしないように使ってください。ヨットに戻って、タオルと石鹸を取ってきたらどうですか?」

「全部、上着のポケットに入ってます」

 ブエノスアイレスを出港して以来の50日ぶりに浴びた熱い湯は、南極の寒気に冷えた体と心を温めた。

数日後、補給船 <ブランスフィールド>が訪れ、夏期隊員の引き揚げと物資の補給を完了すると、ファラデー基地では越冬態勢が始まった。

これ以上の南下は、もはや決定的に不可能だ。それどころか南極海を即座に脱出しなくては、水面が厚く凍りつき、<青海>は帰路を閉ざされる。

だが、北に向けて引き返そうにも、天気の安定した夏が終われば当然のように、雪まじりの風が吹き荒れ、出発できない日々が連続した。

船室の気圧計は毎日のように指針を激しく上下させ、故障したかと思うほど低い955ヘクトパスカルを表示した。窓の外では風が突然に息を止め、雲間に嘘のような青空が出ても、数分後には逆方向から猛烈な吹雪が襲ってくる。低気圧の中心が、休む間もなく次々と通過しているのだ。<青海>に南極脱出の隙を与えないかのように。

毎朝、2個の目覚まし時計がセ氏2度の船室に鳴り響く。だが、出発しようにも天候回復の兆しはない。<青海>の小さな船体には、雪がどんどん積もっていくばかりだ。いまに本当の冬がきて、<青海>とぼくは雪と氷に埋もれてしまう。それくらい、初めから分かっていたことなのに。

3年前に実現したホーン岬上陸、そして今回は南極大陸到達に成功し、ぼくは勘違いを始めたのではないか。この美しい水の星を自由自在に旅するための、知識と技術を手中にした、海を知ったと思い込んだのではないか。<青海>と一緒なら、地球上のどの海でも渡り、どの大陸にも到達できると、錯覚したのではないか。そして、ついには冬の迫る南極海を南下して……

ガリンデス島に着いて12日目の朝、見上げる厚曇りの空は不吉なほど暗くても、恐れていた吹雪と風は、やんでいた。

次の雪嵐が来る前に、ルメール水道を再び通過して、北に70キロほど引き返そう。天気と運に恵まれれば、夕方にはアンバース島に着くだろう。

いや、たとえ途中で嵐がきても、仮に運が悪くても、これまで多くの困難を克服したように、どうにかして無事に辿り着こう。そこから南極沿岸を離れ、ドレーク海峡に乗り出せば、およそ1カ月でブエノスアイレスに着けるのだ。

と、またしても楽観していたのだ。


 解説

月刊<舵>20138月号より。



英国基地に着いた話です。

**詳しい解説は、後日掲載予定です**



このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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