感銘の海

3.嵐

south atlantic storm aomi

船に嵐は、つきものです。神話の中でも、冒険物語の中でも、船で旅する主人公たちは、嵐の海で散々な目に遭います。でも、海の嵐って、本当にあるのでしょうか? 単なる空想の産物でしょうか?

storm and a sailship

夏場に海水浴に行っても、海の嵐なんて分かりません。海辺を観光旅行しても、海の嵐は体験できません。ときには、荒れた海を岸から眺めることはあっても、その中に入っていくことはないでしょう。ほとんどは平和な海、安全な海、優しい海、楽しい海に違いありません。

beach

地球表面は7割が海。なのに、そこで何が起きているのか、我々はよく知りません。どんな太陽が輝き、どんな風が吹き、どんな嵐が吹き荒れるのか、たとえ自称ヨットマンでも、体験のある人は少数です。我々が住む地球表面の大半を占める海。今回は嵐について、私の体験を少しでもお伝えしたいのです。


海の嵐って、何でしょう。風が強いことでしょうか? 波が高いことでしょうか? どこからどこまでが普通の海で、どこからが嵐の海なのでしょう? 経験豊かなヨットマンにとっては、ほとんど凪(なぎ)であっても、新米ヨットマンにとっては、嵐に感じられることも少なくありません。

太平洋横断のとき、「嵐でさんざん苦労した」と感じても、南米ホーン岬の荒海を走った後で振り返ると、「太平洋なんて、まあ、凪のうちさ。だって水平線が見えていたもの」と思うのは普通かもしれません(波が高くなると、海面に乱立する波々に隠れ、水平線が見えなくなります)。その人の感受性や過去の体験により、嵐の判断基準は違うことでしょう。

嵐の基準の一つは、風の強さです。風の強さの基準には、ビューフォルト風力階級があります。 ゼロが無風で、強さに応じて数字が増えていきます。

(スライダーを動かして、気になる数値のところを確認してみてください。)


上の動画では、風力10がstorm(嵐)となっていますが、その手前、風力8以上になる確率を下図にまとめてみました

gales north pacific winter january

これは北太平洋の冬(1月)のもので、米国防総省発行の気象海図から数値を取得し、分かりやすく図解しました。

この季節、強風に遭う確率が高いため、ヨットでの太平洋横断は困難のようです。赤道付近を進めば、図で分かるように海は穏やかですが、日本から北米を目指す場合、かなりの遠回りになります。

一方、夏はどうでしょう。

gales north pacific summer july

風力8(Gale)を超える場所は、ほとんどありません。ヨットでの北太平洋横断には、夏が絶好の季節かもしれませんね。(他に台風やハリケーンを考慮する必要があります。)

夏と冬とでは、これほどに違いがありますが、他の大洋ではどうでしょう。以下は南大西洋の夏データです。

gales south atlantic summer january

もう一度、お断りしますが、これは〈夏〉のデータです。穏やかな太平洋の夏と比べ、かなり風が強いことが分かります。大航海時代、赤道を通過して南半球に入ったヨーロッパの船乗りたちにとって、南大西洋は悪魔や化け物の棲む、恐怖の海に感じられたことでしょう。

sailship storm lightning

ここを通った〈青海〉も、ただでは済みませんでした。南極を目指すため、南大西洋を繰り返し航海したことで、何度となく、ひどい目に遭ったのです。


嵐で恐ろしいのは、風ばかりではありません。空気に比べ、水は800倍以上も重いことから、風の威力よりも波の威力のほうが、船舶に大きな被害を与えます。実際、障害物のない大洋航海中のヨットでは、風よりも波の力で、船体やマストの損傷が起こります。特に嵐の海で横波を受けた場合、転覆することが少なくありません。 wave hit at southatlantic

これは南大西洋の嵐の中、斜め後方から横波を受けた瞬間です。〈青海〉の船首から、後方にカメラを向けています。中央手前の白く平たい物体は、デッキにロープで固定した、折りたたみ式の手こぎボートです。

嵐とはいえ、このときは写真を撮る余裕もあるほどで、横波は小さく、被害はありませんでした。しかし、その数日後には、夜間に大波が襲い、〈青海〉は転覆してしまいます。船底に付いたバラスト重りの作用で、すぐに起き上がったのですが、被害は甚大でした。

damaged by wave

①は、転覆直後の船室内です。船室天井の上にはマストがあり、その圧縮力を2本の柱(ステンレスチューブ)で支えています。そのチューブが、写真で分かるように、グニャリと曲がっています。もう少しで、天井が落ちるところでした。

②は、一つ前の写真で見た、デッキに固定した折りたたみボートです。ポリプロピレン製で、ハンマーでたたいても壊れないという頑丈なものですが、波の力で裂けています。矢印の場所には、黒い線状の大きなクラックも入っています。

③は、さらに数年後、転覆してマストを破損したときのものです。下から4分の1の所で折れたのですが、上4分の3は、海中から回収できず、残りの部分を持ち帰りました。右端が折れ口です。南極で氷を見張るため、ステップを取り付けたのですが、そのリベット部分(矢印)から折れているようです。(この後、強度計算を学び、マスト強度に影響を与えないステップを考案し、自作して新しいマストに取り付けました。)

④は、波に打たれ、デッキとハル(船体)の接合部(矢印)が剥がれた状態です。事故に遭った自動車ボディーのように、ハルが大きく凹んでいます。運が悪ければ、長さ1.7mにわたって開いた隙間から、大量の海水が入り、沈没していたかもしれません。


本格的な嵐のときは、食事もやはり大変です。深刻な船酔いのため、食物は喉をなかなか通らないのが普通です。食事を作ろうにも,コンロの上に置いた鍋やヤカンは、激しい揺れで、たちまち飛んでいってしまうのです。

ヨットのコンロは常に水平になる仕掛けがありますし、鍋等を横から支えるようにもなっています。でも、激しい上下動には耐えられません。波が来るたびに、船体は数メートルも持ち上がり、次の瞬間、波の谷間に落下します。これでは鍋が空中に浮いてしまい、コンロから外れてしまいます。

何かを食べようと口に運んでも,その瞬間、急峻(短波長)な大波が来れば、船体と一緒に自分の体が持ち上がるため、食物は下に落ちてしまいます。箸でつかんで口に入れようとしても、その瞬間に船体が波間に落下すれば、口ではなく鼻や顔にぶつかってしまいます。波の上下動を推測し、それに合わせて食べなくてはなりません。


このように、ヨットで大洋航海に出れば、嵐に巻き込まれ、ひどい目に遭うかもしれません。命を落とす場合もあるでしょう。よいことは、何かあるのでしょうか? a sailboat and a bird at storm sea

大型船の乗客になれば、安全に大洋を航海できます。嵐になっても、命の危険は、ほとんどありません。船酔いして食事を作れずに、困ることもありません。波の力で設備が壊れても、直してくれる人がいます。

でも、それで海を体験したといえるでしょうか? 自分の命が危機に瀕してこそ、初めて感じ取ることができる、「何か」があると思うのです。

海という世界には、平和で心地よく、優しい面もあれば、二度と体験したくない厳しい側面もあるでしょう。その両面を実際に体感することで、初めて見えてくるものがあるはずです。

地球表面の大半をしめる海。それなしでは、人類が存続できない海。それがどんな所か、頭ばかりでなく心と体で実感することにより、我々の住む星の具体的イメージを持てるようになり、結果的には、そこに生きる人々の未来を、危機から救うこともできると思うのです。

何らかの模型(モデル)を利用することは、物事をより詳しく考え、正しく判断するために役立ちます。地球の未来を考えるにも、モデルが必要でしょう。多くの人々が、地球モデルを心の中に持ち、それを使って考え、判断し、行動するようになれば、我々の未来も変わるのかもしれませんね。



2022年が皆様にとって、良い年となりますように。明るい未来が訪れますように。

ヨット<青海>より、お祈り申し上げます。


嵐の海での体験談は:
光の国へ、マストがない!
bluewater-story 21話

転覆に関する解説は:
BlueWaterStory 2話・炸裂する波頭、

これらもぜひ御覧ください。


「感銘の海」 今後の予定

・月と星々
・水平線
・雨と雪
・湾の神様
・生き物たちの海

●お願い: 当ページを御覧になった感想を、掲示板にお寄せください。このシリーズを続けていく励みとなりますので。