確実だった。どう考えても疑いない。
オーストラリアの2倍も広く、平均2,000メートルを超す厚い氷に覆われた、地球最南の白い大陸。未知と氷が支配する、いまだにフロンティアの大地。極限まで澄んだ冷たい空気、紺青の海に漂う純白の氷山、アザラシとペンギンたちの世界。
南米チリ多島海の航海を終えた今、地質学的にパタゴニアと続く南極半島が、どれほど素晴しい所か容易に想像できた。周囲の海面には標高1,000メートルを超す島々がそびえ立ち、しかも氷に包まれ、まぶしい白銀色に光っている。――地球上に比類なく美しい所。どう考えても疑いない。
行きたい。
まぶしい光の国まで、ぜひとも航海してみたい。
心の真ん中に、これまで想像もしない旅への情熱が、抑えきれなく湧き上がる。でも、全長わずか7.5メートルのヨット〈青海〉で、南極の海に行けるだろうか。
日本を離れて約2年、南米ホーン岬を回って南大西洋に入った後、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに着いて、思案の日々を過ごしていた。
「独りきりの航海では、寝ている間、必ず氷山に衝突してしまう」
「小さなヨットで行けば、流氷に囲まれて身動きできなくなるぞ」
「鉄の船でないと、無数の浮き氷に削られて、船底に穴が開いて沈没する」
「南米と南極の間のドレーク海峡は、地球上で最も荒れる海なのだ」
町外れのヨットクラブでは、メンバーの皆が口々に意見する。無謀な冒険はやめて、命を大切にしろと、お説教を試みる。
もちろん危険なのは知っている。だが、今は母国を遠く離れ、南極に近いアルゼンチンの首都にいる。到達手段となる〈青海〉も、ここにある。今回を逃せば、南極に行くチャンスは、南極の海を体験するチャンスは、一生訪れないかもしれない。準備を慎重に整えて、ともかく挑戦してみよう。あきらめずに努力と工夫を続ければ、ホーン岬上陸のように、今度も必ず成功するだろう。
南米のパリとも呼ばれる300万都市、ブエノスアイレス。ヨットクラブに泊めた〈青海〉に住みながら、ヨーロッパ風の古い街並みを歩き回り、情報収集に取りかかる。チェスボードのように規則正しい道路をベンツ社製乗り合いバスで移動しながら、アルゼンチン南極協会、国立図書館、チリ大使館も訪ね回り、南極の資料を収集する。
だが、冷たい海の様子を知るほどに、不安と心配は増していく。一人だけの航海では、進行方向を常に見張るのは難しい。南米と南極を隔てるドレーク海峡で、氷山に衝突すれば、水深4,000メートルの海に沈没するだろう。運よく南極に着いても、浮き氷の間を進むとき、船底をえぐられて穴が開く。潮流に乗って動き回る氷山と陸地に挟まれて、押しつぶされるかもしれない。
それでも、これらの難問を一つ一つ解決していけば、必ず夢を実現できるに違いない。
幅数十キロもあるラプラタ河が、銀板のようにまぶしく光る町、ブエノスアイレス。到着から約半年で、所持金は底をついてきた。真夏の暑さで喉が渇いても、飲み物は買えないし、破れた服を着たり、ゴミ箱から拾った靴を履いたり、ときには食べ残しのパンや肉をもらったり、まるで路上生活者のようだった。
親切なヨットクラブの人たちは、食事に何度も招待してくれた。昼から特産のワインを飲んで、皆は言う。
「1年で物価は10倍に上がっても、ここは友人を大切にする国だ。困ったときは、互いに面倒を見合うのが普通だよ。すぐに価値の下がる紙幣と違って、友達は貴重な財産だ」
南極航海の夢を思えば、月20ドルの貧乏暮らしはつらくない。だが、氷の海に備えて〈青海〉を改造するためには、数千ドルの材料費が必要だ。といって、資金稼ぎをしようにも、この国では月収100ドル程度が相場だし、失業率が高くて仕事は見つからない。
困り果てた末、どうにか思いついたのは、家庭教師のアルバイトだ。ブエノスアイレス市内には、日本の商社員と大使館員が数十家族も住んでいる。塾も予備校もない外国で、子供の教育は悩みの種に違いない。郊外の日本人学校を訪ねて先生方に相談すると、幸運にも4人の生徒が見つかった。
夜は資金稼ぎのアルバイト。昼は作業服をペンキと接着剤で汚しながら、〈青海〉の改造作業を進めていく。一時は絶望的に思えたが、氷海での安全対策は、そろそろ見通しがついていた。船室のベッドに寝たまま氷山を見張れるよう、ハッチに大型自動車用バックミラーを設置し、マストには上り下り用ステップを取り付けて、高い位置から海面の氷を監視できるようにした。浮き氷との衝突に備え、船内には防水隔壁を作成し、船底は数か月もかけてステンレスの板と金網と強化プラスチックでカバーする。防寒のため、船室の壁や天井には発泡スチロールを張り詰めて、エンジンの念入りな分解整備も忘れない。
だが、言葉も習慣も違う不慣れな国で、バスや電車に乗って材料や道具を探しながら、独りで取り組む改造作業は、途方に暮れるほどの大仕事だ。出発準備をどうにか完了できたのは、ブエノスアイレスに着いて2度目のクリスマスと正月が過ぎた2月末。3,000キロ南の南極には、4月初めに着くだろう。――それは季節外れ、間違いなく常識外れ。氷の海がヨットを受け入れるのは、12月から2月の間、南半球の真夏と知っていた。
でも、一度決めたこと。ひとまず挑戦してみよう。もし、氷が多くて危険なら、すぐにその場で引き返そう。おそらく幸運に恵まれて、ホーン岬上陸のように、必ず成功するだろう。
地球最南の大陸と海を目指し、さあ出発だ。
〈青海〉はマストの前後に帆を張ると、茶色く濁ったラプラタ河を2日がかりで抜け出して、1年半ぶりに海に出る。周りをぐるりと囲む海、いつものように青い海。だが、なぜかいつもと違う海。
南極に着いた自分を想像しようと試みる。
「荘厳に輝く氷の山々を見上げて、感激のあまり立ち尽くすだろうか。ペンギンと握手できるかもしれない」
目を閉じて、精神を集中しても、恐ろしいほどの真っ暗闇が見えるばかりだ。
出発から数日後、デッキの手すりの角に、作りかけの小さなクモの巣を見た。米粒ほどのクモが1匹、波風で揺れる巣の上を、必死に走り回って糸を架ける。海では獲物がないことを、クモは知っているのか。〈青海〉が南極に向かうこと、その寒さでは生きられないことも。
風のひと吹き、波のひとかぶりで、クモの命は終わる。なのに、君はなぜ、激しく揺れる巣から振り落とされそうになりながら、一生懸命に無駄な努力を続けているのだ。
翌朝、クモの体は巣と一緒に消えていた。
「風と波の気まぐれで、小さな命は簡単に滅んでしまう」
ぼくは何度も自分自身につぶやいた。