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月刊<舵>2010年12月号より。
今回は、南米チリ多島海北部の話です。
北部といっても、具体的な位置はどの辺か、地図と衛星写真を見てみましょう。
今回の地域は、ほぼ上の地図で示した範囲、引潮の町から荒野の海へ でご紹介した多島海北端の町プエルトモントから、チロエ島南方の島々までです。
これまでお伝えしたように、日本の本州ほども延々と続くチリ多島海ですが、もちろん場所によって、気候も、景色も、人が住んでいるかどうかも違います。
今回の地域の特徴は、人の住む島々が多いこと、比較的穏やかな気候、そして景色の青さです。空も海も、遠くに浮かぶ島々も、アンデスの山々も透明に青く、陽を浴びた近い島々は目にしみる緑色です。これほど透明度の高い青色の景色は、日本人の大半が未経験に違いありません。
ほとんどの場所は島々に守られ、外洋のうねりや波はありません。澄みきった少し冷たい空気の中、そんな青い海面をセーリングするのは、本当に爽快で、充実し、とても気持ちのよい体験でした。ヨットでここに来て、本当によかったと思ったのです。
<青海>は南米南端のホーン岬に向けて、数か月もかけながら、多島海を毎日少しずつ南下していきます。夜明けとともに錨を上げ、夕方までには数十マイル先の島陰に着いて錨を降ろします。もちろん、天気の変化に備え、充分な時間的余裕のある航海計画を立てるのですが、ときには向かい風のため、大幅に到着が遅れることもありました。
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「日本は人口が多いんでしょう?」
「そうです、だから土地が狭くて、寝るときも立って寝るんです。ウソですけど」
「チリの人口と日本の人口と、どれくらい違うのですか?」
「チリ一国とトーキョーが同じくらいかな」
「どんな家に住んでいるんですか?」
「土地の値段が高いから、大きな家には住めません。トーキョーでは、1平方メートルが数万ドルのところもあるんです」
「仕事の昼休みには、自分の家に帰って家族と食事しますよね?」
「いやいや、職場と家は遠いのが普通です。なかには通勤に数時間って人もいます」
どうやら、彼らと日本人の生活は、あまりにも違うようでした。彼らから見れば、我々の生活はまさに常識外れかもしれません。でも、ほとんどの日本人はそれに慣れていて、疑問を持つ人は多くありません。日本の町と違って、島の上では時間がゆっくり流れています。
上の写真は、そんな島々を巡回している病院船です。25人が乗り組んで、月に一回、この島を訪れるとのことです。病気になっても、次に船が来るまで辛抱強く待たなくてはなりません。病院がいくらでもある日本に住む我々は、本当に恵まれていますね。それは決して当たり前のことではないはずです。
島の丘に上り、これから進む島々の海を見渡しました。ホーン岬まで、無事に到達できるだろうか? 途中で浅瀬に座礁しないだろうか? ウィリウォウの強風で<青海>は吹き流されてしまうのでは?
実を言うと、青い海、青い空、快適な風の航海は、そろそろ終わりを迎えていたのです。