遠方へ引っ越したり、就職や進学で新しい暮らしを始めたり、それまでと違う環境がしばらく続いたりすると、過去の日々が遠い昔か夢のように感じることがある。
島々が延々と続く海で、ぼくは青い別世界の中にいた。
夢のよう。いや、絵のようだ。
青インク色の海に、島々が青い蜃気楼のように浮かび、頂上に雪が光るアンデス山脈は、紺青の板を切り抜いたように鮮明な輪郭だ。あたかも青い絵の中に入ったようで、時間さえも止まりかけたよう。その絵の中に白帆を揚げて、〈青海〉は青い水を爽快に切り進む。
なのに、ぼくは途方に暮れていた。これほど澄んで透明な、山と海と島々の景色は、脳裏に焼き付けようと努めても、美しすぎて記憶に残るまい。これほど人を感動させる高純度の青色は、カメラのフィルムに写るまい。心も青く染めそうな、山、海、島々の景色に包まれて、いったい何ができるというのだろう。
チリ多島海最北の町、プエルトモントを離れた〈青海〉は、南米最南端のホーン岬に向けて、島々の海を南下する。
毎朝、島の入江で目覚めると、すがすがしい空気を吸って食事をとり、昼の弁当を作り、錨を上げて出発した。日暮れまでには、数十キロ南の島に着いて、入江に錨を投下する。やがて夕飯を終えると、何枚もの海図と水路誌を船室に広げ、数時間もかけて翌日の航海計画を練り上げる。
アメリカ国防総省発行の水路誌を熟読し、赤ペンで要注意箇所をマークする。100枚近い米国、英国、チリ製海図を見比べ、地形や水深データの信頼性をチェックしながら、翌日の停泊地を決め、4B鉛筆で海図にコースの線を引く。天気の急変に備え、安全な避難場所も探しておく。航海というよりも、まるで事務作業に来たようだ。
実際、島々の海を走るのは、予想以上に難しい。島々を一つ一つ確かめて、〈青海〉の位置を海図で確認しようにも、島があまりに多すぎて、どれがどれか混乱してしまう。島と島とが重なれば、島の数が合わないし、横に並べば、一つの大きな島のように見えるのだ。形や位置が海図と違う島、記載のない危険な岩や浅瀬もあるという。チリで買い求めた海図には、印刷後に発見された暗礁の位置が、発行所によって、いくつも手書きで記入されていた。
チリ多島海の航海情報を集めた米軍水路誌にも、「この地方の海図の水深は、仮調査的なものである。きわめて慎重に航海すること」という信じられない警告文が載っている。座礁することなく、無事にホーン岬まで行けるだろうか。ふと気がつくと、人の住む島々は背後に過ぎて、前方には完全な無人地帯が続いていた。
〈青海〉が走りながら引く釣り糸には、面白いほどに獲物が食いついた。体長50センチほどで、胸ビレの長い、アジのように骨太の魚だ。長さ30メートルの釣り糸は途中でY字状に分かれ、それぞれの先にイカの形のプラスチック製ルアーを付けてある。両方のルアーに獲物が食いついて、2匹を同時に釣り上げる日もあった。人口が密集する日本では、魚よりも釣り人の数が多いと、冗談半分に言うけれど、ほとんど人の住まないこの地では、困るほどに釣れるのだ。資金不足で十分に買えなかった缶詰は、かなり節約できそうだ。新鮮な釣りたてを3枚におろして刺身にしたり、塩を振って網焼きにしたり、1匹が2日分の食料となった。
入江に停泊した〈青海〉から、岸までボートを漕いで、無人の島に恐る恐る上陸したこともある。島を覆う密林には鳥が鳴き、海岸沿いに歩いてみると、岩の割れ目に小ガニがカサカサ動いている。沢の水がキラキラ光って海に注ぐ辺りには、無数の小魚が集まり、近寄ると一斉に身をひるがえして消え、あとには透き通った水ばかりだ。潮の引いた砂浜に立つと、そんなものがあるとは想像もしなかった、貝の呼吸音のコーラスに囲まれた。町のざわめきや自動車の騒音は、遠い別世界の出来事で、町の暮らしを思い出そうとしても、無理なほど、異質な時間が流れていた。
ボートに乗って、岸辺の水中を見て回る。海水は水道水よりも透明で、ごくごくと飲めそうなほど澄んでいた。水底のきれいな砂地には、点々と貝の呼吸穴が並び、緑や茶色や白いプラスチックシートのような海藻の林、ウニがいくつも付いた丘、白い岩肌の山脈――飛行機から地上を見下ろすようだ。ふと我に返って水面から顔を上げると、ペンキを塗ったように鮮やかな、オレンジ色の不思議な岩。島を覆う木々の、凝視すると本当に目が痛くなるほど鮮烈な緑色。
チリ多島海北部の青い透明な景色の中、ぼくはすがすがしい空気を吸って吐き、潮流の手応えを 舵柄 に覚え、潮の流れる音を聞き、空と海とアンデスの山々を心と肌で直接感じていた。
来てよかった。ヨットで来てよかった。町で暮らしていては想像もつかない体験が、存在することさえ知り得なかった体験が、ここでは次々と続く日々だから。
こちらに、解説があります。