エピソードの詳細は、航海記「ホーン岬上陸作戦」を御覧下さい。
月刊<舵>2011年9月号より。
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ホーン岬を目指す<青海>は、チリ多島海を南下する途中でマゼラン海峡のプンタアレナスに立ち寄り、上陸作戦のための情報収集を行いました。20世紀の初頭にパナマ運河が開通するまで、この町は太平洋と大西洋をつなぐ航路上の石炭補給基地として栄えたと言われ、2002年の人口は約12万。多島海第2の町であり、約600kmも続くマゼラン海峡中唯一の町でもあります。
それまでも港に寄るたびに、ホーン岬の情報収集に努めてきましたが、ここでは海軍船リエントゥールに横付けし、色々と話を聞き、海図を最新の状態に修正することができました。そればかりか食事を御馳走になり、シャワーを使わせてもらい、こちらから要求してもいないのに、彼等は燃料50Lとエンジンオイルまでくれたのです。
とはいえ、彼等がホーン岬付近に行ったのは一度きりのようで、詳しいことを質問すると、チリ海軍の水路誌を開いて調べてくれるのですが、確かな情報は得られませんでした。
<青海>には、米国海軍発行の水路誌が積んでありますが、ホーン岬付近に関しては、ごくさらりと解説してあるだけで、上陸に必要な情報は皆無です。しかしながら、チリ海軍発行の水路誌には、より詳しい情報が載っているようでした。
幸いにも、以前にチリ海軍の本部があるバルパライソに寄ったとき、チリ海軍発行水路誌のホーン岬に関する部分を、コピーしてもらっていたのです。そこで急いでプンタアレナスの町に出て、本屋を探し、スペイン語の辞書を買うことにしたのです。さすがにスペイン語-日本語の辞典はありませんでしたが、スペイン語-英語の辞書は簡単に入手できました。
この町に寄った目的のもう一つは、ホーン岬に備えてエンジンを万全な状態に整備することでした。日本から送ってもらうピストンリングをここで受け取ることになっていたのです。
航海記物々交換の村にも書きましたように、<青海>のエンジンは少し調子が悪かったのです。(後ほど判明したのですが、現地で購入した粗悪エンジンオイルのせいでした。)
しかし、この町の港は、実はとんでもない場所だったのです。
上の航空写真が、プンタアレナスの港です。この場所でマゼラン海峡の幅は30kmほどもありますが、そこに一本の桟橋が突き出しているだけなのです。防波堤も何もありません。小型艇にとっては、間違いなく悪港と言えるでしょう。
ただでさえ風の強いマゼラン海峡です。押し寄せる波と岸に反射した波が定常波となり、高さ1メートル以上もの三角波を立てる日もあったのです。桟橋の<青海>は大揺れで、隣の漁船と何度もぶつかり、パルピット(金属製の手すり)は曲がり、スタンション(手すり代わりのワイヤーを通す柱)の台座は壊れ、ついには窓も割れてしまいます。
(マゼラン海峡の風の強さ、景色のものすごさについては、烈風のマゼラン海峡を行くをご覧下さい)
<青海>は大急ぎで、港を後にしなくてはなりませんでした。
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そのときの写真です。南緯55度を超す島々の荒々しい岩肌を、朝日が照らしています。幸いにも天気に恵まれ、すがすがしい朝でした。島々の間のため、うねりはありません。しかし、ところどころにケルプと呼ばれる大型海藻があり、スクリューにからまないよう注意が必要です。帆を揚げて走っていますが、非常時に備えてエンジンも回転させ、待機しています。ときおり、山々から突風が吹き下ろし、<青海>は大きく傾きますが、実に爽快な朝でした。
ホーン島の北西まで進みました。写真右寄り遠方に、ホーン岬の頂上が見えています。
この辺りは、「ホーン岬上陸作戦・1」に出てくるコマンダンテから、調査が不十分なため注意して航行するよう、アドバイスを受けていました。海図にない暗礁を警戒して、恐る恐る進みます。
ホーン島の西側に来ました。風はたいしてありませんが外海ですので、それなりのうねりがあります。長年憧れたホーン岬が動物か何か、生き物のようにも見えます。それにしても、この上天気はどういうことでしょう。これが本当に恐怖の岬なのでしょうか?
ホーン岬の南西部に着きました。この辺りから針路を変えると、神経を張り詰めて危険な岩々を警戒しながら、岬に接近を試みます。上陸の候補地点は岬南端の横にあるはずです。それにしても、怖いような威厳のあるような、「魔の岬」にふさわしい姿でそびえています。
あまり近づくと、海図に記載のある海底の岩、もしくは未発見の暗礁にぶつかるかもしれません。しかし、上陸地点を確認するためには、岸に接近しなくてはなりません。この写真は岬の南端直前まで近づいたときのものです。太陽が逆光となり、標高406m(チリ海図の数値。米海軍水路誌には424mとある)のホーン岬は、荒々しい黒岩のシルエットになりました。測深器の表示と海面を交互に見つめながら、海底の地形の変化に細心の注意を払い、息をこらすようにして進みます。
やがて、一つ目の上陸候補地点が現れますが(コースの線が上に凹んでいる地点)、
海岸に砕ける波の状況から上陸に不適と判断すると、暗礁を大きく迂回して島の東、二番目の候補地点に向かいます。(コース矢印の先端)
そこで付近の状況を確認し、錨の試し打ちを行いますが、この日は残念ながら上陸できませんでした。そして急に強まりだした風の中、<青海>は再びリエントゥール入江に戻ります。それまでの好天が幻だったように、ホーン岬に嵐が戻ってきたのです。(航海記のページに「ホーン岬上陸作戦・2」として掲載中)
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ホーン岬に単独で上陸する場合、心配なのは急に嵐が来た場合の対応です。突然に強風が吹き始め、陸からボートで<青海>に戻ることができなくなるかもしれません。そしてさらに風が強まれば、
<青海>は無人のまま吹き流されてしまうでしょう。
それを防ぐためにも、完璧な停泊技術が必要でした。どんな風にも負けない確実な停泊、錨の打ち方が不可欠でした。
ですから、チリ多島海を南下する数か月間、何度も何度も入江に錨を打って停泊しながら、アンカリングの技術を磨いてきたのです。
これらは、<青海>に装備した3種類の錨を撮影したものです。なぜ3種類もあるのでしょう? 1種類のアンカーだけではダメなのでしょうか?
実は、海底の質により錨を使い分ける必要があるのです。
①のC.Q.Rアンカーは、泥には効果的ですが、岩にはほとんど無力です。
②のダンフォース型は、砂に定評がありますが、岩や海藻には向きません。
③のフィッシャーマン型は、岩や海藻にも比較的効果があると言われますが、他の錨に比べて海底に埋まる部分の面積が狭く、保持力が大きくありません。
このため、ホーン岬周辺に錨を打つ場合は(ホーン岬に限ったことではありませんが)、海底の質をよく見極め、最適な錨を選ぶ必要があるのです。そしてまた、錨を打つ場所の付近を、測深器で詳しく調査する必要もありました。錨を打つ前に、海底の地形をよく把握しておかなくてはなりません。どうしてでしょう?
これは、一般的な錨の打ち方を示したものです。錨のロープは水深の3倍から5倍の長さが必要と言われますが、それは海底とロープの角度θを小さくするためです。ちなみに3倍のときθ=19°、5倍のときθ=12°です。この角度が大きいと、ロープを引くことにより錨は上に持ちあがり、海底から外れてしまいます。ロープがより長いほど、角度が小さくなりますから、錨がよく利くことになります。
多くのヨット教科書には、このように書かれていますが、それは必ずしも正しくありません。
なぜなら、海底は平坦とは限らないからです。図の①のケースでは、ロープが長いにもかかわらず、海底とロープの角度は大きく、ロープが引かれれば錨は海底から簡単に外れてしまいます。
しかし②のケースでは、ロープが短いにもかかわらず、海底とほぼ平行になっており、ロープが引かれても錨は外れず海底にとどまります。
ロープが長い方がよいとは、必ずしも言えないことが分かります。
つまり、錨を下ろす前に、海底の地形、凹凸、ときには沈船等の障害物の有無も測深器で十分に確認しなくては、確実なアンカリングはできないのです。
ホーン岬の上陸地点を下見した際、残念ながら上陸はできませんでしたが、<青海>を縦横に走らせて海底の地形を調査し、上陸地点の見取り図も作りました。あとは嵐が過ぎ去るのを待ち、再度挑戦するばかりです。
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