19. ホーン岬上陸作戦


東からのホーン岬
-- これは実話です --

1. コマンダンテ 2. 今ならできる 3. 何としても!4. 再度の挑戦

1. コマンダンテ

ホーン岬の版画

「ホーン岬」、この短い言葉がヨット乗りの血を沸き立てる。――地の果ての南米最南端にそそり立つ、太平洋と大西洋を分かつ伝説の岬。

パナマ運河の開通する20世紀初頭まで、南極大陸から1,000キロ足らずというホーン岬の周辺では、猛烈な嵐で数々の船が難破、消息を絶っていた。海の最悪の難所、魔の岬、恐怖の象徴として、ホーン岬の名は船乗りたちを震え上がらせ、語り継がれてきたという。

現代でも、ホーン岬を小さなヨットで目指すのは、命がけの冒険だ。それだけに、成功すれば至上の喜びと名誉に違いない。挑戦者は後を絶たず、遭難するヨットは少なくない。登山家にとっての最高峰、エベレストのように、ホーン岬は危険な、けれども野心あるヨット乗りにはあこがれの、目標地点でもあった。

その岬の前を通るばかりでなく、ぼくは自分自身の足裏で、実際に岬を感じたいと望んでいた。人々はそれを不可能で無謀な挑戦と言い、本気で耳を傾ける者はない。



南半球の四月初め、パタゴニアの多島海を南下する〈青海〉は、地上最南の町、人口約3,000のプエルトウィリアムスに到着した。

桟橋に上がるなり、写真を撮るなと告げられた。小さな町の意外に大きな港には、灰色の軍艦と魚雷艇が並び、丘の上には赤白模様の通信塔が立ち上がる。この海軍基地から百数十キロ南に、目指す岬は位置している。

ホーン岬の詳しい情報を得るために、基地の司令部を訪ねてみる。入り口の兵士に事情を話し、やがて案内された事務所の一室。そこに座っていたのはコマンダンテ、基地の最高司令官だ。

ネイビーブルーの軍服を着た年配の紳士は、微笑ほほえみながら握手を求めた。ぼくは自己紹介を済ませると、壁に張られた海図の上に、岬に向かうコースを指で描く。

「だめだ。軍事上の理由で、Murray 水道の通行は許可できない」

コマンダンテは、きっぱりと言いきった。そして代わりのルートを指し示し、途中の危険な岩や潮流、嵐の際の避難場所など、詳しい助言をしてくれる。態度は驚くほどに好意的だ。できれば、岬の安全な上陸地点も教わりたい。が、「ホーン岬に上陸したい」と打ち明けて、「そんな危険行為は禁止する」と言われれば、夢が夢のままに終わる。

独り言のように、軽い調子で言ってみた。

「岬の前を通るとき、幸運にも天気がよかったら、ボートをいで上陸してみたい」

急に彼の笑顔が曇った。ぼくは失敗したと思ってくちびるをかむ。しばらく沈黙が続いた後、コマンダンテは語り始めた。

「ホーン岬の海域では、強風が連日のように吹き荒れる。数か月前、ドイツのヨットが烈風に逆らって丸4日も走り続けたが、岬に少しも近づけないまま、とうとう大波にのまれて転覆した。我々チリ海軍が救助して、この基地まで連れてきたのだよ」

彼は机に手を伸ばすと、今日の天気図を取り上げた。

「ごらん、低気圧がいくつも並んで、毎日のように通っていく」

「でも、低気圧の後には、必ず高気圧が来るでしょう?」

「いや、君は間違っている。高気圧は来ない。低気圧だけが次々と通過するのだよ。夏ならば、まだ見込みもあるが、今はもう4月だ。南半球の冬は目前で、天候は絶望的に悪い。チリ海軍は君のために各種の援助が可能でも、この地方の天気に関しては、神に祈るほか道はない」

真剣な口調でコマンダンテは続ける。

「日本からここに来るまで、地球を半周する長い航海で、君は嵐を何度も体験したはずだ。しかし、ホーン岬の嵐は、ほかと違って……」

彼の言葉をさえぎるように、ぼくは後を続けた。

「それは深さ4,000メートルの海底が、岬の付近で急に100メートルほどまで浅くなる。そのために起こる 急峻きゅうしゅんな三角波が、船にとって非常に危険なのです」

「まさにそのとおりだ。波長の短い悪質な三角波に襲われて、帆やマストを失えば、たとえ沈没をまぬがれても、小さなヨットは流されて岩に衝突するか、大洋を永遠に漂流するばかりだよ」

彼の厳しい言葉が、ぼくの体と心の奥底に刻まれた、触れたくない記憶、思い出したくない感覚、忘れていた荒海の恐怖を、身震いしそうなほど鮮明に呼び覚ます。が、上陸を禁止するとは、彼は一度も口にしない。単独で上陸可能とは、おそらく考えてもいないのだ。

夕方、コマンダンテがトヨタの四輪駆動車を港に乗り付けて、岸壁から〈青海〉を見下ろした。

「これほど小さなヨットで、日本からよくここまで……。ホーン岬を無事通過できるよう、くれぐれも慎重な航海を」

プエルトウイリアムスの町

2. 今ならできる

北からのホーン岬

ホーン岬の10キロ北に達したのは、数日後の朝だった。幸運にも奇跡のような晴れ空の下、初めて見る伝説の岬は、標高406メートルにそびえる三角岩の頂上に日を浴びて、黄色っぽく、そしてなぜか赤味を帯びて、青い海面に立っていた。

あれほど夢見た光景なのに、感動も、喜びもない。それよりも、海図にない未発見の岩と潮流が怖くてたまらない。前方の水面に注意深く目を凝らし、体中の神経と皮膚を張り詰めながら、岬に向けてかじをとる。ホーン岬周辺では一つの小さな失敗が、航海の永遠の終わりを意味している。

正午過ぎ、岬の南端に達すると、晴天の太陽が逆光の位置に輝き、目前にそそり立つホーン岬は、見上げるほど巨大なピラミッド状シルエットに変わっていた。荒々しい突起が並ぶ、黒緑色っぼく見える岩肌に、双眼鏡を向けてみる。

岬の崖下をさらに進むと、急に海岸線が引っ込んで、ぽかりと小湾が現れた。海図で検討した上陸候補地。無数の黒石が人の頭のように転がる岸辺には、うねりと波が白く激しく砕けている。〈青海〉の手漕ぎボートで近づけば、波にのまれてしまうだろう。

その地点をあきらめて、さらに前進を続けると、目の前に枯れ草の丘が現れ、その下に、次の候補に選んだ小湾が見えてきた。近づいて双眼鏡を向けると、湾内は茶色い海藻で埋まっている。乗り入れるのは危険とみた。でも、湾の前に停泊し、海藻の上をボートで進めば、岸に上陸できそうだ。

湾口にCQR型のいかりを下ろすと、エンジンで船体を動かして、錨の利き具合を確かめる。が、全力で強く引くと、海底を滑ってしまう。

幸いにも風が弱く、〈青海〉が吹き流される危険はない。今、今なら上陸できる。これほどのチャンスは、次の夏まで2度と来ないかもしれない。ついに長年の夢をかなえるときが来た。ボートを水に下ろして漕ぎ進めば、わずか数分で念願の岬を踏めるのだ。

デッキの上で、ボートの縁をつかんで持ち上げる。だが、十分に錨が利かない以上、上陸中に猛烈な嵐が始まれば、ぼくを岬に残したまま、〈青海〉は大洋に流されてしまうだろう。錨の種類を替えて試そうにも、秋の日暮れは数時間後に迫っていた。

150メートル先の岸を見つめて思案する。2年近い日本からの道程と比べれば、ボートを漕いで瞬時に上陸できる距離。今のところ天気は穏やか、水面には小波だけが立っている。どうせ途中で嵐は来ない。たとえ嵐になっても、おそらく錨は滑らない。何年も準備したのに、今やらなければ一生できないかもしれない。今だ、今なら夢を確実に実現できる。なんとしてもやりたい。ボートを漕げば数分で、念願の岬を踏めるのだ。

が、やはり、できない。〈青海〉を失う危険が少しでもあれば、それは決してできない。どんなに夢を実現したくても、万一の致命的な危険に対し、回避策を用意していなければ、それは無謀な行為に違いない。

上陸地点を目前にしながら、つらい決断をすると、手早く小湾の見取り図を描き、海底の地形を測深器で調べ、いつのまにか強まり始めた風の中、逃げるように岬を立ち去った。天気は急変し、嵐は駆け足で迫っていた。

南からのホーン岬

3. 何としても!

ウォラストン郡島のリエントゥール湾

ホーン岬に烈風が吹き狂った4日間、北に30キロ離れた 山間やまあいの入江に、〈青海〉は息を潜めて隠れていた。ぼくは船室に閉じこもり、再挑戦の念入りな準備を進めていく。

作戦の成否は、停泊技術にかかっている。投下する錨の種類を的確に選び、しっかりと海底に打たないと、上陸中に嵐が来たとき、無人の〈青海〉は吹き流されてしまうだろう。

上陸予定地の小湾では、CQR型の錨は強く引くと海底を移動した。海底の質に、錨の種類が適合していないのだ。測深器による超音波反射のパターンでは、海底は硬い泥か砂、もしくは海藻の少し生えた岩。ならばフィッシャーマン型の錨が適している。

小湾の見取り図で上陸シミュレーションを行い、万一に備えて非常食、ハンマー、軍用折り畳みシャベル、発煙筒、フラッシュライトなどを背負いバッグに詰めておく。上陸時にボートが波で転覆する場合も想定し、氷点に近い海水から身を守るウエットスーツも用意した。

とはいえ、単独でのホーン岬上陸は、本当に可能だろうか。これまでチリの港や海軍基地で会った人は皆、「無謀な行為」と断言した。ぼく自身、不可能と思った時期もある。だが、不可能であれば、それだけに、強い情熱が湧き上がる。

やりたい。なんとしても実現したい。かつての船乗りたちを身震いさせた恐怖の岬、伝説のホーン岬を、自分の両足で踏みしめたい。たとえどんなに困難に思えても、あきらめずに努力と工夫を続ければ、やがてチャンスが必ず訪れて、夢を実現できるに違いない。仮に不可能と分かっていても、人には挑戦すべきことがある。

これまでの約4か月、延々1,800キロも続くチリ多島海を南下しながら、吹き荒れる台風並みの嵐の中、島陰に何度も錨を打って夜を明かした。数多くの無人島にボートを漕いで上陸もした。これらはホーン岬上陸のトレーニングではなかったか。ぼくは今や、経験と技術の蓄積を持っている。本番に応用できないわけがない。「ホーン岬上陸」、それは単なる不可能な夢から、完全に実現可能な強い確信に変わっていた。

3週間ほど前にマゼラン海峡を越え、多島海最南部に入って以来、風向、風力、気圧、雲量などを1日数回グラフ用紙にプロットし、気象の特性と変化を知る努力を続けていた。連日の嵐は勢いを弱め、気圧は安定の兆しを見せ、風力は確実に落ち、風向も変わり始めている。

よし、明日、4月15日、ホーン岬上陸作戦の決行だ。

ホーン岬の海藻ケルプ

4. 再度の挑戦

ホーン岬上陸

午前5時、真っ暗闇に目を開ける。山々から吹き下ろすウィリウォウの うなり声を、しばらくベッドで聞いていた。強風が引き起こす船体の震動が、体中に響いている。起き上がってハッチを開くと、南緯五五度の凍った風が、顔の皮膚を突き刺した。一瞬、身震いしてハッチを閉める。

今日はまだ無理なのか。昨日までは、〈青海〉が停泊した入江の口で、波が岩に砕け、空に水柱を上げていた。でも、それはもうない。風力も確実に落ちて、上陸に好都合の西風だ。これ以上待っても、天気がよくなる保証はない。明日には再び嵐が始まるかもしれない。よし、行こう。やはり行こう。途中で風が強まれば、すぐに戻ってくればよい。

突風にまざった雨粒が、いつのまにか船室の小窓をピシピシとたたき始めていた。少し迷った末、それでも出発を決意すると、缶詰で手早く朝食を済ませ、黄色いカッパを着て外に出る。夜明け直前の一面が青い景色の中、冷たい空気を吸っては、吐いた。朝の出発は、やはり、いつでも、すがすがしい。

明け方の海に、〈青海〉はエンジンを軽快に響かせて、入江の外に進み出る。片手に行動計画書を持ちながら、通過点に定めた岩や小島を予定の所要時間でクリアして、時計の針のように正確なペースで南下する。

全てを計画どおりに行って、日没前に入江に戻ってこなければ、暗闇の中で風と潮に流されて、島々に衝突するだろう。ホーン岬周辺の航海には、綱渡りのような緊張感が付きまとう。一歩踏み外せば、それで全てが終わるのだ。

1枚だけ張った帆には、風をびっしりと固めたようなウィリウォウの突風が吹き付けて、マストを何度も横倒しに傾けた。行く手の空には青黒い雲。その底辺からいくつも不気味に垂れ下がる、靴下か手足のようなものは何だろう。

出発から2時間後、進行方向の海面には、黒岩の頂上が天を突くようにして、ホーン岬が現れた。でも、先日の鮮明な輪郭とは違い、小雨に少し かすんでいる。やはり上陸は無理なのか。

周囲の海面に立つ鋭い三角波に、〈青海〉は次々と船腹をたたかれて、ぼくを振り落としそうに揺れながら、岬に接近を続けていく。と、空の厚雲に小穴が開き、太陽のスポットライトが薄暗い景色に差し込んだ。浮き上がるように照らし出されたのは、偶然にもホーン岬頂上の三角岩。一瞬、息を大きくのんでいた。

朝の出発から3時間15分後、上陸予定地の小湾に着いて帆を降ろすと、予想どおり湾内は岬の風下で、うねりも波もほとんどない。「これならば上陸可能だ」

作戦の成否を決める停泊方法は、状況に応じて数種類の案を立ててある。風向と地形を再確認すると、ぼくは計画書の第3案に着手した。

まず初めに、湾内に密生する海藻の林に〈青海〉を注意深く近づけて、計画書の第1ポイントにフィッシャーマン型の錨を投下する。次にエンジンを全速で回し、船体で錨のロープを強く引く。すると予想どおりだった。綱渡りができるほどロープが固く張っても、錨は全く滑らない。がっしりと海底に食い込んだ。急いで第2ポイントに移動して、もう1本の錨も打ち下ろす。

これで大丈夫、これで完璧だ。過去の経験から風力八の疾強風にも耐えるだろう。上陸中に〈青海〉が吹き流される不安はない。ぼくは小躍りしていた。上陸作戦は成功したも同然だ。

水面にボートを下ろすと、オールに力を込めて、岸までの150メートルを漕ぎ進む。風はときおりヒューヒューと息を強め、小波が岩に白く砕けている。だが、そんなものは気にならない。茶色い海藻の上を滑るように通過して、大きな黒石の転がる浜辺に到達した。

「やった、ついにやった。伝説のホーン岬を踏みしめた」

興奮で、膝はガクガク震えていた。よくもまあ、南緯55度58分という最果ての地まで来たものだ。〈青海〉は今、日の丸とチリ国旗を鮮やかになびかせて、ホーン岬の海に停泊し、足裏には何年も夢見た黒岩の地面を感じている。これほど愉快で素晴らしいことがあるだろうか。

海岸の岩場で写真を撮り、記念の岩を拾い集め、辺りを散策する間に、予定の1時間は過ぎ去った。でも、このまま帰りたくない。上陸したからには、憧れの岬で一夜を過ごしたい。海面上406メートルにそびえる岩山の頂上も踏んでみたい。今、今ならできる。決断すれば間違いなく実現できる。今やらなくては一生の間、チャンスは2度と来ないだろう。

「やりたい。どうにかして、やりたい」

が、だめだ、やはりそれはできない。99パーセント安全でも、1パーセントの致命的な危険に対し、回避策が用意されていなければ、無謀な行為と知っている。次の嵐はいつ始まり、どれほど勢いを増すか分からない。急いで出発点の入江に帰らなければ、もしかすると永遠に、どの入江にも戻れない。

ただちにボートを漕いで海藻の上を引き返すと、150メートル沖の〈青海〉に乗り移り、ロープを引いて錨の回収に取りかかる。が、錨が、やけに重い。というより、力が、腕に力が、思うように入らない。

左手に巻いた包帯が、真っ赤に染まっていた。食事の後片付けのとき、缶詰のふたで指を深く切り、傷の奥には白いものまで見えていたのだ。合計110メートルのロープを全て引き上げ、2個の錨を回収できるだろうか。

鉛色の空からは、硬いひょう がバラバラと降り落ちて、デッキを鳴らし始めていた。風も急に勢いを強め、次の嵐が迫っている。1分でも早く岬を離れなくては。

痛む左手をかばいながら、両腕で少しずつ、少しずつ、錨のロープを夢中で引き寄せる。出血が増すたびに何度も休み、背中一面に冷たい汗を感じながら、懸命に錨の回収を試みる。

重量20キロ近い鉄の塊は、やっとのことで水面に姿を現した。ところがどうだ、錨の爪には茶色いビニールのような海藻が数十キロ、いや、おそらく100キロ以上も、ごっそりとボール状に絡み付いている。これではどんなに頑張っても、腕の力、一人の力では、水面からデッキに上がらない。

さらに強まる風の中、急いで船尾の物入れを開け、このときのためにサンフランシスコで用意した、刃渡り45センチの ばんとうを出すと、デッキに腹ばいになり、上半身を海に突き出して片手を伸ばし、海藻の固まりをたたき切る。

「ふう、やっと錨を回収できた」

即座に帆を揚げて帰路につく。振り返った後ろにはホーン岬の頂上が、雹の降り落ちる暗い空を、さらに黒く突いていた。強風で海面が白くなり、顔は飛沫しぶきでぬれる。が、もはやそんなことは、どうでもよかった。

嵐に追われるように、朝と同じ30キロのコースを3時間半で引き返し、山間の安全な入江に逃げ込むと、腕時計を見た。出発から10時間30分。行動計画書よりも1時間、全てが早く完了し、ホーン岬上陸作戦は成功した。



*航海のより詳しい情報は、こちらで御覧いただけます。


Patagonian map

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