月刊<舵>2012年1月号より。
それにしても、ヨットで南極に行けるなんて、思いもしませんでした。
南極は、遠く、寒く、氷山に衝突するかもしれず、ヨットで行ける場所ではないというのが印象でした。ヨットによる太平洋横断や世界一周は、まあ想像できますが、南極に航海するというのは想像の範囲外だったわけです。
では、そんな場所になぜ行こうと決めたのでしょう?
きっかけの一つは、中学生時代に「南極越冬記(西堀栄三郎著)」を読んだことでしょうか。タロとジロの話で有名な、第一次南極越冬隊の記録です。(タロとジロの生存を確認したのは後の観測隊であり、この本にその話は出てきません)
これを読んで以来、いつの日か南極に行きたいと思うようになったのかもしれません。
そしてもう一つは、チリ多島海を無事に通過できたことでしょうか。
というのも、かつて南米大陸と南極大陸の一部は地続きであり、ゴンドワナ大陸と呼ばれていたというのです。ゴンドワナ大陸は、他にもオーストラリアやアフリカも含む巨大な大陸だったということですが、しだいに分離して、2300万年ほど前には南米大陸と南極の一部に別れたというのです。
ですから、南米と南極の一部(南極半島部分)は兄弟、地形も似ているのは当然です。チリ多島海で鍛えた航海技術を生かせるかもしれないと思ったのです。
では、地図で位置を確認してみましょう。
左のような普通の世界地図で見ると、南極は地図の底で、形も大きさもよく分かりません。右側が、南極を中心に地球を見た図です。
南極の大きさ、どれくらいか御存知ですか?
実は、オーストラリア大陸の2倍もあるというのです。でも、その半分は氷で、実際の大陸の面積はオーストラリアと同程度らしいのです。
右の図から、アフリカ、南米、オーストラリアとの位置関係が分かります。また、日本の昭和基地は、アフリカの南方に位置することも分かります。
これらの大陸のうち、一番近いのが南米大陸です。図を見て分かるように、南極から南米に向けて、半島が細く延びています。南極半島と呼ばれるその場所までは、南米南端ホーン岬から1000キロ足らずです。太平洋横断約10000キロに比べると、わずか十分の一に過ぎません。どうして行かずにいられるでしょうか。
(注: これらは、最短距離であり、実際の航海距離は、もっと長くなります。)
とはいえ、そこは並大抵の海ではありません。南米大陸と南極を隔てるドレーク海峡は、地球最悪とも言われる嵐の海らしいのです。
図で分かるように、船の墓場、恐怖の岬と呼ばれるホーン岬よりも、さらに南極に近いのです。それほど危険な海を<青海>のように小さなヨットで航海できるものでしょうか?
また、仮に南極沿岸に到達できたとしても、氷に閉じ込められて、身動き出来なくなるかもしれません。鋭い氷が<青海>のFRP製船体に穴を開けるかもしれません。問題点が多すぎて、どう解決したものか、途方に暮れるばかりでした。
でも、どうしても行きたかったのです。何が何でも南極に到達したかったのです。南極にこれほど近いアルゼンチンのブエノスアイレスに停泊中というのに、南極に行かずに我慢出来るはずがありません。このチャンスを逃したら、一生の間、もう二度と南極に行くチャンスはないかもしれません。
「ともかく挑戦してみよう」そう決意を固めると、情報収集を始めることにしたのです。
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そんなある日、ブエノスアイレスの日本大使館を訪ねると、顔見知りになった職員の人が、日本の新聞の切り抜きを渡してくれたのです。
それは、南極を訪ねた谷川俊特派員のレポート(新聞社名不詳、御存知の方は連絡願います)で、南極の天気の特徴が書かれていたのです。以下に引用してみましょう。
つい数時間前まで、白夜の空が、つき抜けるような青さだった。気温も零度近くまで上がって「夏」を思わせた。ヘリコプターが、好天を機に補給艦からマランビオ基地へ越冬のための燃料をピストン輸送していたのだ。
ところが、みるみる雲が覆い、陸地も空も、そして海までも灰白色でぬりつぶされ、区別さえつかなくなった。
「南極は、夏でも、これだから怖いのですよ。天気の急変でこれまでどれだけの犠牲者が出たことか」とバリオス艦長。
吹雪は少しおさまった。マランピオ基地をあとにし、南極半島突端のエスペランザ基地へ。到着までわずか一二時間の航海だった が、空はさきほどまでのあらしがうそだったかのように、からりと晴れ上がっ た。
そればかりか、渡された切り抜きの中には、<青海>に関する次のような記事もあったのです。
「南極へ向かう直前、南米 大陸最南端のビーグル海峡で「ヨシ・カタオカ」と名乗る日本人の一人乗りヨット「アオミ号」に出会った。 「カタオカは、今アルゼンチン、チリを回っているが、今年暮れには南極に向かう、といっていた。でも、一人ではかなり危険だ。氷山の監視が十分できないからね」とアルグーさんは心配顔だった。
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南極航海で通常と大きく違うこと、その一つは氷山の存在でしょうか。
この写真の氷山、いったい何メートルの高さがあるでしょう? 海面に出ているだけで、この大きさです。氷山はその九割ほどが水面下にあるわけですから、全体を想像してみると、かなり大きな氷の固まりですね。
もし、航海中に衝突したら、<青海>はたちまち壊れて沈むかもしれません。
この図は、これまで(西暦1772年以降?)に氷山が目撃された海域を示したものです。赤い矢印が、<青海>の予定コースです。矢印の先端部、南極半島に行くためには、灰色の模様で示された危険海域を通らなくてはなりません。
もちろん、この海域では過去に氷山が目撃されたというだけで、通れば必ず氷山に遭遇するわけではありません。もしかすると、あまり心配しなくてよいのかのもしれません。
とはいえ、南極に接近するにつれ、氷山に出合う可能性は間違いなく高まるでしょう。寝ている間に衝突する危険は、決して小さくないはずです。
そこで考案したのは、上のような大型ミラーの設置です。船室のベッド(クオーターバース)に寝たまま、目を開けるだけで前方を見張ることができるものです。船外のミラーを船内から見ることができるよう、スライドハッチに穴を開け、透明窓を設けてあります。また、ミラーに大波を受けた場合、安全ジョイントが働いてミラーを破損から守る構造や、予備のミラーも数枚準備しておきました。
写真の左側が、ベッドに寝た姿勢のまま、ミラーを見上げたものです。黒いマスト、ブーム、水平線が鮮明に写っていることが分かります。近くに氷山があれば、必ず見つかるはずです。
そして南極航海に於けるもう一つの危険は、比較的小さな氷、流氷等との接触です。
氷より硬い鋼鉄製の船体なら、問題は少ないのですが、<青海>の船体は強化プラスチック(FRP)ですから、氷に削られて穴が開くかもしれません。
そこで色々工夫した末、船腹をステンレスのメッシュで覆うことにしました。このメッシュに氷を押しつけて動かせば、かき氷ができますから、明らかに氷から船体を守ってくれそうです。写真はメッシュの上からファイバーグラス(透明)を張って固定した状態です。
また、写真から分かるように、船首にはステンレス製(板厚4ミリ)のV字型カバーを取り付け、衝突時に船首部の破損を防ぐ工夫もしました。