月刊<舵>2012年4月号より。
「ドーナツ状の島」「温泉」「捕鯨基地」「噴火」、おそらく南極で1番有名なこの島は、人を引きつける要素に満ちています。
年間平均気温がマイナス3度。北海道中央部の旭川や、最北端の稚内の年平均気温がプラス6℃程度ですから、それより10℃近くも低いわけです。もちろん、誰も住んでいません。
年間降水日数は286日もあります。日本のそれが110日程度、1番多いと言われる富山県でさえ180日程度、雨で有名な屋久島でも約170日ですから、デセプション島がいかに天気の悪い場所か分かります。まさに
チリ多島海の天気(クリックすると図が出ます)
に匹敵するほどです。誌上掲載写真のような晴天に恵まれることは、きわめてまれのようです。
平均風速は7.7m/secとなっていますが、これは風力5に近い風力4です。風力階級表の風力4を見ると、「砂ほこりがたち、紙片が舞う。小枝が動く」とあります。決して、弱い風ではありません。しかし、注意しなくてはならないのは、これが島の内側、標高8mに於ける観測値であることです。島の形から分かるように、島の内側は山々にぐるりと取り巻かれ、強風から守られているはずです。にもかかわらず、これだけ吹くということは、島の外側ではどれほど厳しい風が吹き荒れ、そして小さなヨットがそれに耐えられものか、想像もつかないことでした。
これがデセプション島の航空写真です。地図で見るのと違い、殺伐として、寒そうで、厳しく、その反面、何か強い魅力に満ちています。
島の手前が切れていますね。<青海>はここから島の内側に入っていきます。無事に切れ目を通過出来るでしょうか? そして島の内側には何が待っているのでしょう?
*
米国海軍発行の南極水路誌には、次のような記述があります。
「通路が見つかるまで、島から十分に離れて周囲を回れ。」
この写真は、浅瀬を警戒しながら、<青海>が島の周囲を回り、入口を探しているときのものです。
本当に入口があるかどうか、不安でたまりませんでした。それはやはり岩と雪の塊で、もしかすると切れ目は現れないかもしれないと、心配だったのです。
幸いにも晴天に恵まれて、雪山はまぶしく、海は青く光っています。こんな景色の中をセーリングしていることが、まるで夢を見ているように感じられたのです。来てよかった、でも、まだまだ夢はほんの始まりに違いありませんでした。
以下の図と写真は、入口付近のものです。左の図の入口付近を拡大したのが、中央の図です。
陸地は白、海は青、浅瀬は薄緑に塗ってあります。これを見て分かるように、入口の真ん中には浅瀬がありますね。これはRavin rockと呼ばれる水中の岩で、存在するのに見えず、正確な位置が分かりません。また、その下側にある赤いマーク、これは難破船で浅瀬に乗り上げています。<青海>は無事に入口通過できるでしょうか?
右の写真は、入口の北側、高さ100mほども切り立つ断崖で(300ftとも400ftとも記載あり)、その右側には一枚岩が見えています。真ん中の図で、矢印の根元、小さな白丸に相当するものです。実はこの断崖と一枚岩が、重要な役割を果たすのです。
米国水路誌の続きを見てみましょう。
「入口の一枚岩に50~100mまで接近した後、北東(北西の間違いか?)の崖沿いに100m離れて進め。その崖は垂直に120m切り立ち、実際よりあまりにも近く見えるので、注意が必要である。」
入口の真ん中にある浅瀬に乗り上げないためには、北側の崖の手前を進むことが必要です。しかし、あまり近寄ると、今度は崖の前にある浅瀬に座礁するかもしれません。ですから、崖から100m離れて通れというのです。
しかし、距離の判断を誤るため、注意しなくてはならないともいうのです。<青海>は一枚岩の前を通過後、恐る恐る断崖の前を進みます。が、やはりそうでした。岩壁までの距離が全く分かりません。今にもぶつかりそうなほど近くを通っているように見えるのですが、測深器の表示から推測すると、まだまだ近づく必要がありそうでした。例えば建物や、人影等々、大きさの分かるものが何かあれば、距離は推測できるのですが、岩の壁では全く分かりません。岩の模様は確かに見えても、その大きさがどうなのかは見当もつかないからでした。
やがて<青海>は無事に入口を通過しますが、目の前には青池のように平らな水面が広がりました。ブエノスアイレスを出て以来、一か月も海のうねりに揺られ続けてきましたが、それが全くありません。船体はピクリとも動かず、まるで停止しているようでした。それは、あたかも時間が止まったような、違う世界に迷い込んだような、奇妙な体験でもありました。
リングの奥を目指す<青海>の横には、捕鯨基地の跡が見えています。