22. 白銀のリング

-- これは実話です --
Inside of Deception Island

黒岩の絶壁(標高91メートル)の下を恐る恐る通過して、〈青海〉はリング状の島、デセプション島の内部に乗り入れる。巨大リングの内側には、現実とは思えない、全くの別世界が広がっていた。

真っ青な湖のように平らな水面。その周りをぐるりと囲み、まぶしい白銀に輝く山々。両目に飛び込む雪景色のパノラマは、絵はがきのようにきれいで、大きく、広かった。

極限まで澄んだ冷気は、ぼくの距離感を完全に麻痺まひ させた。数百メートル先の白い丘も、10キロ離れて輝く山々も、同様に鮮明だったから、全てがベタリと平面に並び、紙に印刷した画像のように、遠近感が少しもない。〈青海〉を取り巻く円筒形スクリーンに、まぶしい雪景色を投映したようだ。

そのスクリーンまでは、どれほど遠いか近いのか、目を凝らしても見当すらつかなくて、もしかすると、わずか十数メートル先かもしれなくて、船首が今にもぶつかりそうで気が気でない。

辺りは恐ろしいほどの静けさだ。〈青海〉のエンジン音も、水面を囲む雪山、光を反射し合うまぶしい雪の斜面に吸われていく。光が満ちあふれる直径約15キロの島の中、人間は自分一人きりなのだ。妙に寂しく、怖く、不思議だった。

雪山の輝くリングの内側は、滑らかな青池のような水面で、船体はピクリとも揺れていない。〈青海〉は本当に進んでいるのか。時間までもが凍りついたかのようだ。

このまぶしい巨大リングの内側に、時は存在しているのか。目の前に輝く山々と海の景色にとって、人類の歴史や時間はどれほどの意味があるのだろう。ぼくは何という時代の住人か。ここはどこ、自分は何をしている、やはり夢なのか。めまいがしそうだった。

光の中を進む〈青海〉とぼくを、ぐるりと巻いて囲むのは、白と青が上下に触れた、雪山と海の境界線。その一か所に、大きなオイルタンクと家のような建物が見えている。1920年代に閉鎖された捕鯨基地の跡だった。輝く雪景色の中の 廃墟はいきょを目の当たりにして、過去の時代に迷い込んだような、ひょっとすると赤びたオイルタンクの陰から昔の漁師が顔を出し、手を振りそうな、奇妙な心地を覚えていた。

あふれる光と静寂の中、前方の海岸線に目を向けると、湯煙がもうもうと立っている。浜辺に湧く温泉で、卵をゆでたり、付近の温水で泳いだりもできると、以前に海洋雑誌で読んでいた。

このカルデラ火山島の巨大リングの内側には、岬もあれば小さな湾もある。海図で決めた安全な入江に、〈青海〉は向かっているはずだ。なのに、行けど走れど目標地点は現れない。おかしい、火山灰に埋もれて消滅したのか。度重なる噴火で、島の地形は大きく変化したようだ。測深器の表示と海図の水深を比べると、十数メートル違う場所もある。もはや海図を信じては進めない。危険な岩や浅瀬は、どこかに必ず隠れているはずだ。

連日の徹夜の見張りで、全身に強い眠気と疲労を覚えていた。1分でも早く安全な場所に着いて休息しなくては、今に体力が尽き果てる。

海図上の目指す入江は、今も確かに存在しているのか。周りの輝く景色は、間違いなく現実といえるのか。

白い海岸線に双眼鏡を向けると、そこに見たのは、折れ曲がって重なり合う鉄骨のスクラップ。噴火で無残に破壊された気象観測基地の跡だった。

ふと振り向くと、いつのまにか島の口はどこかに消えて、白銀のリングは完全に閉じていた。停泊する入江も出口も分からず、時間のない島の中を永遠に迷い歩いて……。



*航海のより詳しい情報は、こちらで御覧いただけます。

Map of Deception Island

Patagonian map

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