月刊<舵>2012年5月号より。
(image by Cris originally posted to Flickr as PC275119 CC BY-SA 2.0)
島の入口を通過してすぐ右、Whalers Bayの捕鯨基地跡です。1930年頃に閉鎖され、現在では廃墟となっています。中央には赤錆びたオイルタンクが見えます。そのすぐ右にある灰色の建物と比較して、大きさが推測できます。写真左には屋根の錆びた建物、その手前右には、何か固まりがあります。該当部分と思われるのが、以下の写真です。(image by wili hybrid http://www.flickr.com/photos/wili/ CC BY 2.0)
これは捕鯨基地のボイラーと思われます。鯨の脂肪を加熱して、油を採るためのものでしょう。おそらく屋内にあったと推測されますが、木造の建物は朽ち果て、鉄製のボイラーのみが残ったようです。それは、自分が未来の地球を訪れ、文明の残骸を見る思いでした。誰もいないこの島をあなたがヨットで訪れ、こんな場所に一人で立ったら、どんな気分になるでしょうか。
現在の様子は、以下の衛星写真で確認できます
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( Picture published by the author Lyubomir Ivanov CC BY-SA 3.0)
これは、捕鯨基地と同じ湾にある英国観測基地と思われ、1969年の噴火で被災したと言われています。当時、滞在していた5人の隊員たちは、トタン板を被って降り落ちる噴石を避けながら、救助のヘリコプターに走ったそうです。英国水路誌の記載によれば、建物は大量の溶岩と、噴火熱のため山肌を滑り落ちる氷により壊されたということです。奥の建物は形がありますが、その前にも建物があったようです。写真手前の段差は、コンクリートの基礎に見えるのですが。
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捕鯨基地の廃墟が並ぶWhalers Bayを通過しながら、<青海>は島の奥を目指して進んで行きます。下の図右側下、水色の丸が<青海>の位置です。前方には、A の半島、そしてBの尾根が見えています。
Aの半島まで約500m、Bの山々までは約10km、重なって見えていても、遠近の区別が容易につくはずです。
ところが<青海>の位置を確認するため、Aの半島を見つけようと目を凝らしても、どこにあるのか分かりませんでした。前方には青い海面と、白い山々の景色があります。しかし、その山々の手前にあるはずの半島が見えないのです。
不思議なことに、白い山々の下の部分だけが、なぜかどんどん変化しています。どうやらそれは、<青海>が進むにつれて見える位置が刻々と変わる半島のようでした。
10km先の山々も、その手前に重なって見える500m先の半島も、同様に鮮明で、距離感というものが全くなかったのです。
我々は日常、近くの物は近くに見え、遠いものは遠くに見える、これが当然と思っています。しかし、南極ではその常識が必ずしも通用しないのです。遠近感を失った世界で、海面に漂う氷山や島々の位置を的確に把握しながら、障害物を避けて航海することが出来るでしょうか。
英国海軍発行の南極水路誌には、以下のような記述があります。
「南極では、空中の粒子やチリがほぼ皆無であり、大陸から吹き下ろす卓越風は乾燥している。そのため、通常は空気の透明度がとても高く、しばしば異常なほど高い。この事実を理解していないと、距離の判断に致命的な過ちを犯すことがある。5マイル先と思った物体は、30マイル先かもしれないし、300マイル先の山々が視認された例もある」
海上の1マイルは1852mですから、300マイルは約550km、東京都から岡山県まで届いてしまいます。ちょっと驚きですね。そんな遠くの物と、近くの物の区別がつかなかったら、たちまち自分の位置を見失ってしまうかもしれません。
南極航海の難しさを実感した、最初の出来事でもありました。
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<青海>は島の中をどんどん前進し、島の奥の入江を目指します。島の入口に近い捕鯨基地の湾(Whalers bay)を今夜の停泊地にしてもよいのですが、湾が大きすぎて小型船に向かないこと、捕鯨船の錨の残骸等が多く沈んでいるとの情報から、避けることにしました。
進む途中、海面に湯気のようなものが漂う場所を通過しました。上の図に温泉マークが書いてありますが、この島の海岸では温泉が湧き出ている場所があり、海水と混ざっているのです。
ですから、たまに訪れる南極観光船にとっては、「南極で海水浴!」という名所でもあります。webで見つけた下の写真では、周囲を土手で囲ってありますが、付近で泳ぐ人も少なくありません。ただ、岸を少し離れると急に冷たくなるようですが。
( Picture published by the author Lyubomir Ivanov CC BY-SA 3.0)
さて、<青海>はさらに島の奥に向けて前進を続けますが、現在位置がよく分かりません。以前にお伝えしたように、遠近感が全くないため、前方の山々までの距離がまず分かりません。もちろん、周囲の地形で位置を確認しようと試みますが、遠くの物も近くの物もベタリと白く重なって見える景色の中では、まるで目の焦点も合わない感じがして、地形もよく分からなかったのです。上の温泉の写真では山が黒く写っていますが、<青海>が着いた当時は、すべてが白銀の世界でした。しかも、海図に描かれた地形は、噴火で変わっているかもしれないのです。実際、測深器で水深を測ると、海底の地形は明らかに海図と違うようでした。何を信じて進めばよいのでしょう?
<青海>の進行方向の海面上には、白い雪景色のスクリーンが横に続いています。でも、そこまでの距離が分からないのです。まだ遠くにあるのか、それとも今にもぶつかりそうなほど近いのか見当もつきません。そして突然、<青海>は白いスクリーンに突き当たったのです。(図のA地点)
と言っても、ぶつかったわけではなく、「これ以上進むと危ない」と思う距離、おそらく百数十メートルまで近づいたのでしょう。予定では、それまでに目的地の小湾(図のイカリマーク)が横に見えるはずでした。しかし、それは現れず、不意にスクリーンが目前に迫って行き止まりになったのです。
停泊地に向けて一直線に進まず、わざと右寄りに進むのは、予定のコースでした。こうしておけば、もし目的地がみつからない場合、海岸沿いに左に進めば目的地にたどりつくはずです。(図のAからB)しかし、直接目的地を目指し、見つからなかった場合、右を探せばよいか左を探すのか分からなくなります。
それにしても、停泊地の小湾はどうなったのでしょう? やはり火山灰に埋もれて消失したのでしょうか? もし見つからなければ、今夜をどこで過ごせばよいのでしょう? 不安と期待で、頭の中は混乱していました。
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目指す小湾の入口は、突然に現れました。本文に書いたように、「まわりを囲む純白のスクリーンが、急に裂け目の線から左右に開き、まるで手品のように」目標の入江が現れたのです。<青海>は水深に注意しながら、恐る恐る湾に入っていきます。
そこは思ったよりも大きな湾でしたから、強風が吹けば波が立ちそうで心配です。が、奥に入っていくと、意外にもさらに小さな湾が現れました。直径200mほどで、これならば波風から守られています。
写真中央左に、停泊中の<青海>が見えます。上図、左の写真の水色枠が、右の図のそれに相当しています。陸の上は火山礫や火山岩塊などに覆われ、こげ茶色に見えます。
岸辺で拾った、火山礫です。多孔質ですが軽石よりは重いです。(大切な海図の上に、こんなものを載せてはいけません)
現在の様子は、上の衛星写真でご確認ください。
この図は、二枚の海図の比較です。青枠の内部を左右で比較してください。中央の青枠内は、現在の衛星写真を元に作成したものです。左枠の中央付近には楕円形状の島がありますが、右には全くありません。また、<青海>が停泊した小湾は、どちらの海図にも載っていません。こんなことがあるのですね。
それにしても、南極に着いて早々、海図が当てにできないことを思い知り、今後の航海に大きな不安を抱いたのは事実です。この先、南極大陸を目指して無事に南下できるでしょうか? 南極航海は、まだまだ始まったばかりです。