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-- これは実話です --
火の島
big wave 大波
南極デセプション島に停泊中。島の北西部に位置する直径200m程の小湾で、波風からよく守られている。夏期に吹き荒れるという北寄りの強風に備え、北岸から船首にロープを取り、船尾は錨を打っている。。(写真を部分拡大)

南極の火山島、カルデラ状のデセプション島内に入った<青海>は、今夜の停泊予定地に向けて前進する。

が、行けど走れど、目指す入江は現れない。やはり火山灰に埋もれて消失したのか? 過去300年間、少なくとも7回の噴火が知られているという。ひょっとして、8度目の噴火が最近起きて、地形が大きく変化した? 日没前に安全な入江に着かなければ、どこで夜を……。

島の奥に向けてさらに前進を続けるが、目標の入江は現れない。ついに<青海>は、島の最奥部の白い海岸線に突き当たった。やはり火山灰に埋もれて入江は消えたのか? 一瞬、パニックに陥るが、思い直して船首を横に向け、海岸線を注意深く調べて進むことにした。

そうして島のリングに入って一時間半が過ぎたころ、まわりを囲む雪景色のスクリーンに、縦の裂け目が現れた。エンジンの回転を下げ、裂け目に船首を向けていく。と、純白のスクリーンが、急に裂け目の線から左右に開き、まるで手品のように目標の入江が現れた。

 <青海>を入江の中に進めると、微速で小さな水面を回り、錨泊のため測深器で海底の地形を調査する。が、<青海>は不意に停止した。座礁だ!

一瞬、冷や汗をかいたが、あまりにも急な海底の盛り上がりだったから、幸いにも船体は後方に跳ね返されるように離脱した。火山活動で海底が部分的に隆起したのか? それとも火山灰がここに集中して降ったのか?

その場を離れて錨を打つと、念のため岸までロープも張り渡して停泊する。これで今夜は30日ぶりに、揺れないベッドで熟睡できる。ブエノスアイレスから続いた3000キロを超す苦しい旅は終わり、<青海>はついに南極の入口に着いたのだ!  

翌朝、窓から太陽が射し込み、黄色い光が船室内に充満すると、ぼくはバネのように跳ね起きて、霜が一面に凍りついた二重窓を、ツメ先でキューッと引っかいた。白一色の画面には、青い線が現れた。外は快晴の青空だ!  入江に泊めた<青海>から、黄色いゴムボートに飛び乗って、朝の光の中に漕ぎ出した。  

数分で岸辺に着くと、こげ茶色の噴石と火山礫で埋まった浜にボートを引き上げて、白銀に輝くリングの斜面を登りだす。固い万年雪の上に積もった新雪のまぶしいカーペットには、ゴム長靴の跡が点々とついていく。  

あたりには、そよりと吹く風も音もない。輝く太陽の光だけが、濃い青空と真っ白い雪面の間に満ちている。止まった時間の中、空中に浮かぶ光の粒子の間を、自分だけが動くようにも感じていた。  

山の中腹に立ち上がると、南極の澄んだ空気を通し、直径約14キロのディセプション島が、光るリング状に見渡せた。1921年、島の入口付近の海面は火山熱で沸騰し、停泊中の捕鯨船の底から、すべてのペンキをはいだという。でも、今は人の気配の全くない山々と海と空だけが、時間の止まった平和な絵か、夢のように見えている。  

岸辺に戻り、背中のバッグから軍用折りたたみシャベルを出すと、雪面の所々に顔を出す火山灰の黒い地面を数十センチ掘ってみた。すると現れたのは白い雪、さらに深く掘ると黒い層、その下から再び雪が現れた。小規模な噴火を繰り返しているのだろうか?  

軽石のような多孔質の火山礫を記念に拾うと、ボートで<青海>に引き返した。デッキに上がって岸を眺めると、水から出たペンギンが3匹、雪の斜面をヨチヨチ歩きで登っている。ぼくは何度も「おーい」と声をかけてみた。そのたびに、辺りをキョロキョロ見回す彼らの仕草が、かわいらしくてたまらない。  

1969年に島が噴火したとき、滞在中の科学者が異変に気付く2日も前から、ペンギンたちは自分たちの巣と卯を捨てて、海へ逃げ去ったという。――いまのところ噴火の危険はないだろう。彼らはまだ平気のようだから。  

その夜、ふと船室で目覚めると、犬が鼻で鳴くような奇妙な声が、闇の中に響いていた。


 解説

月刊<舵>20125月号より。



前回に続いて南極デセプション島の話です。

南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを出た<青海>は、約一か月かけて南極半島のデセプション島に着き、ドーナツ状の島の内部に入っていきます。下の図で、もう一度確認してみましょう。
deception island
南極から南米に向けて突き出す南極半島の沿岸には、多くの島々が点在していますが、そのうちの一つがデセプション島です。

島の内部には捕鯨基地の残骸や、温泉の湧く浜もあり、南極観光船にとって格好の訪問地とな
っています。もちろん、近年ではヨットで訪れる人々も決して珍しくありません。

前回、白銀のリングでお伝えした捕鯨基地跡の写真をさらに御覧に入れましょう。本来なら、私が撮影した写真をお見せ出来ればよいのですが、残念ながらほとんどありません。アルバイトをしながらの航海だったため、フィルムを十分に買う資金の余裕がなかったからです。そこで、インターネット上で転載等が許可されているものを以下に並べてみましょう。

whalers bay

(image by Cris originally posted to Flickr as PC275119 CC BY-SA 2.0)

島の入口を通過してすぐ右、Whalers Bayの捕鯨基地跡です。1930年頃に閉鎖され、現在では廃墟となっています。中央には赤錆びたオイルタンクが見えます。そのすぐ右にある灰色の建物と比較して、大きさが推測できます。写真左には屋根の錆びた建物、その手前右には、何か固まりがあります。該当部分と思われるのが、以下の写真です。
deception island tanks

(image by wili hybrid   http://www.flickr.com/photos/wili/  CC BY 2.0)

これは捕鯨基地のボイラーと思われます。鯨の脂肪を加熱して、油を採るためのものでしょう。おそらく屋内にあったと推測されますが、木造の建物は朽ち果て、鉄製のボイラーのみが残ったようです。それは、自分が未来の地球を訪れ、文明の残骸を見る思いでした。誰もいないこの島をあなたがヨットで訪れ、こんな場所に一人で立ったら、どんな気分になるでしょうか。

現在の様子は、以下の衛星写真で確認できます




墓 graves in Deception island
捕鯨基地の墓地です。20世紀初頭には、多くの人々が住んでいたのでしょう。そこにはどんな暮らしがあったのでしょうか。祖国を遠く離れ、南極という世界の果てて働き、死に、今でもこの地に眠っています。(写真は1962年に撮影されたもので、墓地は1969年の噴火で破壊され、現在は一部しか残っていないようです)

deception base

( Picture published by the author Lyubomir Ivanov  CC BY-SA 3.0)

これは、捕鯨基地と同じ湾にある英国観測基地と思われ、1969年の噴火で被災したと言われています。当時、滞在していた5人の隊員たちは、トタン板を被って降り落ちる噴石を避けながら、救助のヘリコプターに走ったそうです。英国水路誌の記載によれば、建物は大量の溶岩と、噴火熱のため山肌を滑り落ちる氷により壊されたということです。奥の建物は形がありますが、その前にも建物があったようです。写真手前の段差は、コンクリートの基礎に見えるのですが。


デセプション島の中に入るなり、まるで別の時代に迷い込んだような、人類の過去と未来を考えさせられるような光景を目にしたわけですが、不思議で奇妙な体験は、そればかりではありませんでした。

捕鯨基地の廃墟が並ぶWhalers Bayを通過しながら、<青海>は島の奥を目指して進んで行きます。下の図右側下、水色の丸が<青海>の位置です。前方には、A の半島、そしてBの尾根が見えています。

clear air in Deception island

  Aの半島まで約500m、Bの山々までは約10km、重なって見えていても、遠近の区別が容易につくはずです。

ところが<青海>の位置を確認するため、Aの半島を見つけようと目を凝らしても、どこにあるのか分かりませんでした。前方には青い海面と、白い山々の景色があります。しかし、その山々の手前にあるはずの半島が見えないのです。 

不思議なことに、白い山々の下の部分だけが、なぜかどんどん変化しています。どうやらそれは、<青海>が進むにつれて見える位置が刻々と変わる半島のようでした。 10km先の山々も、その手前に重なって見える500m先の半島も、同様に鮮明で、距離感というものが全くなかったのです。

我々は日常、近くの物は近くに見え、遠いものは遠くに見える、これが当然と思っています。しかし、南極ではその常識が必ずしも通用しないのです。遠近感を失った世界で、海面に漂う氷山や島々の位置を的確に把握しながら、障害物を避けて航海することが出来るでしょうか。

英国海軍発行の南極水路誌には、以下のような記述があります。

「南極では、空中の粒子やチリがほぼ皆無であり、大陸から吹き下ろす卓越風は乾燥している。そのため、通常は空気の透明度がとても高く、しばしば異常なほど高い。この事実を理解していないと、距離の判断に致命的な過ちを犯すことがある。5マイル先と思った物体は、30マイル先かもしれないし、300マイル先の山々が視認された例もある」

海上の1マイルは1852mですから、300マイルは約550km、東京都から岡山県まで届いてしまいます。ちょっと驚きですね。そんな遠くの物と、近くの物の区別がつかなかったら、たちまち自分の位置を見失ってしまうかもしれません。

南極航海の難しさを実感した、最初の出来事でもありました。

<青海>は島の中をどんどん前進し、島の奥の入江を目指します。島の入口に近い捕鯨基地の湾(Whalers bay)を今夜の停泊地にしてもよいのですが、湾が大きすぎて小型船に向かないこと、捕鯨船の錨の残骸等が多く沈んでいるとの情報から、避けることにしました。

Deception Island hot spring

進む途中、海面に湯気のようなものが漂う場所を通過しました。上の図に温泉マークが書いてありますが、この島の海岸では温泉が湧き出ている場所があり、海水と混ざっているのです。

ですから、たまに訪れる南極観光船にとっては、「南極で海水浴!」という名所でもあります。webで見つけた下の写真では、周囲を土手で囲ってありますが、付近で泳ぐ人も少なくありません。ただ、岸を少し離れると急に冷たくなるようですが。

Hot spring in Deception island

( Picture published by the author Lyubomir Ivanov  CC BY-SA 3.0)

さて、<青海>はさらに島の奥に向けて前進を続けますが、現在位置がよく分かりません。以前にお伝えしたように、遠近感が全くないため、前方の山々までの距離がまず分かりません。もちろん、周囲の地形で位置を確認しようと試みますが、遠くの物も近くの物もベタリと白く重なって見える景色の中では、まるで目の焦点も合わない感じがして、地形もよく分からなかったのです。上の温泉の写真では山が黒く写っていますが、<青海>が着いた当時は、すべてが白銀の世界でした。しかも、海図に描かれた地形は、噴火で変わっているかもしれないのです。実際、測深器で水深を測ると、海底の地形は明らかに海図と違うようでした。何を信じて進めばよいのでしょう?

to Telephone bay

<青海>の進行方向の海面上には、白い雪景色のスクリーンが横に続いています。でも、そこまでの距離が分からないのです。まだ遠くにあるのか、それとも今にもぶつかりそうなほど近いのか見当もつきません。そして突然、<青海>は白いスクリーンに突き当たったのです。(図のA地点)

と言っても、ぶつかったわけではなく、「これ以上進むと危ない」と思う距離、おそらく百数十メートルまで近づいたのでしょう。予定では、それまでに目的地の小湾(図のイカリマーク)が横に見えるはずでした。しかし、それは現れず、不意にスクリーンが目前に迫って行き止まりになったのです。

停泊地に向けて一直線に進まず、わざと右寄りに進むのは、予定のコースでした。こうしておけば、もし目的地がみつからない場合、海岸沿いに左に進めば目的地にたどりつくはずです。(図のAからB)しかし、直接目的地を目指し、見つからなかった場合、右を探せばよいか左を探すのか分からなくなります。

それにしても、停泊地の小湾はどうなったのでしょう? やはり火山灰に埋もれて消失したのでしょうか? もし見つからなければ、今夜をどこで過ごせばよいのでしょう? 不安と期待で、頭の中は混乱していました。

目指す小湾の入口は、突然に現れました。本文に書いたように、「まわりを囲む純白のスクリーンが、急に裂け目の線から左右に開き、まるで手品のように」目標の入江が現れたのです。<青海>は水深に注意しながら、恐る恐る湾に入っていきます。

そこは思ったよりも大きな湾でしたから、強風が吹けば波が立ちそうで心配です。が、奥に入っていくと、意外にもさらに小さな湾が現れました。直径200mほどで、これならば波風から守られています。

telephone bay

写真中央左に、停泊中の<青海>が見えます。上図、左の写真の水色枠が、右の図のそれに相当しています。陸の上は火山礫や火山岩塊などに覆われ、こげ茶色に見えます。

deception lava

岸辺で拾った、火山礫です。多孔質ですが軽石よりは重いです。(大切な海図の上に、こんなものを載せてはいけません)

telephone bay map

現在の様子は、上の衛星写真でご確認ください。

 

deception island volcanic change この図は、二枚の海図の比較です。青枠の内部を左右で比較してください。中央の青枠内は、現在の衛星写真を元に作成したものです。左枠の中央付近には楕円形状の島がありますが、右には全くありません。また、<青海>が停泊した小湾は、どちらの海図にも載っていません。こんなことがあるのですね。

それにしても、南極に着いて早々、海図が当てにできないことを思い知り、今後の航海に大きな不安を抱いたのは事実です。この先、南極大陸を目指して無事に南下できるでしょうか? 南極航海は、まだまだ始まったばかりです。



このページの白い背景は、南極大陸の雪面写真から作成しました。

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