目標達成の途上、想像もしない人物や情景に出合い、やってよかった、自分の選んだ道は間違っていなかったと、早くも確信することがある。
ホーン岬を目指す〈青海〉は、パタゴニア最南部に達していた。
この最果ての地を、どれほど夢見たことだろう。
〈青海〉を入手する前、横浜の会社で残業と休日出勤に明け暮れながら、どれほど思いをはせたことだろう。
東京・築地の海図販売店で求めた一枚の海図、米国防総省発行22ACO22032。一辺が120センチ近い、その大きな海図を会社の寮の床に広げて膝をつき、コクバーン水道、バスケット島、スチュアート島……、チリ多島海最南部の島々に、どれほど 憧 れたことだろう。
日本を出発後、寄港地でガーデナーとして芝刈り機を押しながら、あるときは砂漠の自動車整備工場でスパナを握って働きながら、この地をどれほど思い続けたことだろう。
今、その憧れの地が、紛れもなく自分の前に続いている。こんなことがあるだろうか。これほどうれしいことがあるだろうか。それにしても、これほどものすごい景色があるだろうか。
フエゴ島のオカシオン入江(Seno Ocasion / Caleta Brecknock )に〈青海〉を泊めて、ぼくはポリプロピレン製折り畳みボートを組み立てる。デッキに置いた全長2.5メートル、幅0.5メートル、高さ15センチほどの平たい船体を広げ、座席板を差し込み、2本のオールを取り付け、非常時に備えて小さな 錨 とロープを積むと、岸を目指して 漕 ぎだした。
入江の奥には、肌色の岩山が大きな三角形にそびえ、背後に断崖が切り立っている。周囲の不気味な岩山には、所々に大きな岩の塊が、まるで誰かが置いたように載っている。雲間に見え隠れする太陽が、ときおり岩肌を照らすと、光の当たった部分だけがピンクや金色に輝いた。光線の加減一つで、次々と色を変える不思議な岩山の姿は、とてもこの世のものとは思えない。
ひしひしと威圧感が伝わる壮大な景色の中、ぼくは猛獣に見つめられた小動物のように、山々を見上げて息をのみ、岸までボートを漕いでいく。
海岸には、岩の急斜面が続き、上陸できそうな場所は見当たらない。少しでもなだらかな所を探し、ボートを岩に引き上げた。もやいロープを近くの小岩に巻き付けて、険しい斜面をゴム長靴で踏んでいく。ふと、足元から岩のかけらを拾い上げると、白っぽい鉱物の間に、無数の黒い結晶が光っていた。
山の頂上に着くと、入江を見下ろした。荒々しい岩山に囲まれて、さざ波がときおり走る水面に、〈青海〉がぽつりと白く小さく浮いている。
なんという景色だ。なんという場所に自分はいるのだ。このすさまじさ、人間を威圧する岩々と海の迫力は、いったい何物なのだろう。自分は体のどこで、何を感じているのだ。目の前の景色は本当に現実のものなのか。
背中のバッグからカメラを取り出すと、ファインダーをのぞく。この迫力の数分の一さえも、写真に撮りきれないと知っている。どんな文章にも決して表現できないと知っている。
でも、よかった。本当に来てよかった。日本を出るまで、そして航海中も寄港地でも、決して楽な日々ではなかったけれど、日本でサラリーマン生活を続けていたら、このすさまじい景色と驚きには出合えなかった。地球がこれほど美しく、しかも感動に満ちた星であることを、自分の体で直接感じられなかったに違いない。
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