27. 青い密室で

-- これは実話です --
Inside the  Melchior Island

ついに座礁した。こともあろうに南極で座礁したのだ。

人類の歴史が始まって以来、この小湾に来た船は何隻あるというのか。しかも今は夏の終わり。船舶は南極を離れる季節だ。氷のドームと青白い氷壁に囲まれて、外から目隠しされた密室のような水面で、発見される望みはない。離礁できなければ、独りで越冬しなくては。

南極航海のためにブエノスアイレスで自作した、マストのステップを駆け上り、高い位置から小湾内を見渡した。前方の水底一面には、荒れ地のような浅瀬が広がり、転がる石の一つ一つまで、数えられるほど鮮明に見える。

ぼくは落ちるようにマストを下りると、ゴムボートを水に下ろして乗り移り、水面から水中をのぞき込む。

船底から突き出たバラストの先が、岩に当たっている。それどころかバラストの後ろにも小岩がある。岩を一つ飛び越して、岩と岩の間に座礁していた。

ただちにエンジンのギアを入れ、ともかく後進を試みる。だが、エンジンの回転を増しても、動く気配は少しもない。前進と後進を交互に繰り返しても、かじを切ってUターンを試みても、やはりだめだ。

マストを支えるワイヤにつかまると、体を海面上に大きく突き出した。体重で船体が横に傾けば、船底は海底から外れるだろう。が、いつもは簡単に傾く〈青海〉の小さな船体が、水平のまま少しも動かない。船室の荷物を片側に寄せて再び試しても、やはりだめだ。完全に浅瀬に乗り上げて、微動すらもしなかった。

急いでボートにいかり とロープを積むと、沖に向けて50メートルほど ぎ進み、錨を海底に投下する。ただちに〈青海〉に引き返し、船尾から張った錨のロープをウインチ強く引く。沖の海底に錨が食い込めば、船体のほうが沖に向けて戻るはずだ。

が、いくら引いても、ウインチハンドルに全身の力を込めても、錨のロープが固く張るだけで、船底をコンクリートで海底に固定したように、揺れも動きもしなかった。

エンジンのギアを後進に入れ、回転数を増してみる。ウィンチの力にスクリューの推進力が加われば、今度こそは動くに違いない。が、なんということだ。回転を上げても、限界まで上げても、船体は微動もしないのだ。

食料の残りは3か月分ほどあるだろう。調理に使う真水は、氷を溶かしてつくればよい。氷を溶かす燃料は、灯油が30リットル残っている。食料と燃料が切れたとき、すでに南極は真冬の季節。〈青海〉を捨てる覚悟があれば、凍った海の上を有人基地まで歩いて行けるかもしれない。100キロ先に米国基地があるはずだ。いや、そんなつもりは決してない。〈青海〉を捨てるつもりはない。

一時は絶望を感じながらも、浅瀬をなんとか抜け出そうと、あきらめずに試行錯誤を繰り返す。エンジンを吹かし、同時にウインチハンドルに力を込め、だめかもしれないと思いながらも、ともかく全力後退を試みる。

1時間後、急にウインチハンドルが軽くなると、鉄の棒のように固く張っていた錨のロープが、急に緩んで弧を描いた。運よく潮が満ちて、船底が少し持ち上がり、バラストが岩から外れたのだ。

速やかに浅瀬を離れると、〈青海〉は白いドームとドームの間を通り、第二候補の湾に移動して錨を打つ。

火山島を出て以来、やっと2日半ぶりに休息できる。南極の独り旅は緊張の連続で、とても体力が続かない。

 

〈青海〉を泊めた五角形の湾内では、氷のドームが取り巻く水面に、アザラシが頭をときおり突き出して、船体をぐるぐると回って去っていく。湾の岸では、垂直に40メートルほども切り立つ氷壁が、数十分の周期で海に崩れ、雷鳴のような大音響を立てている。それにしても、ブルーのインクをかけたような氷の絶壁、青い鉱物結晶を無数に固めたような氷の断崖、両目を通って心の奥まで染みてくる、吸い込まれるように青い不思議な色彩は、どこの別世界から来たというのか。

日が暮れると、氷壁から崩れ落ちた無数の氷塊は、潮に運ばれて〈青海〉をぐるりと取り巻いた。室温2度の冷えきった船内に、ぼくは発行所の違う海図を何種類も広げて比較しながら、南極大陸に向かうルートを確かめる。推測を意味する点線で海岸線を描いた海図、発行元がデータの少なさに困り果てたのか、次のように印刷された信じがたいものもある。

「この海図を使う船長は、船の航跡、水深、危険箇所、航海に役立つ情報などを書き入れ、発行元に送り返してほしい」

これほど情報の少ない極地の海を、再び座礁せずに南極大陸まで行けるだろうか。

航海日誌のページに不安を書き付けて、冷たいベッドに入ると眠りにつく。



*航海のより詳しい情報は、こちらで御覧いただけます。

Aomi Among Ice

Patagonian map

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